気づいたらおむつプレイがライフスタイルになってた話
令和2年10月10日土曜日。
しばらく更新していなかったので、今日はリハビリついでに書こうと思う。
この休日におむつをつけ合って彼女とやったことや思ったことを記録する。
プレイからライフスタイルへ。
世の中には、非日常の興奮と快楽を得るために、セックスでおむつを使用するカップルがいる。
長らくおむつプレイをしていると、プレイ以外でもおむつを使うようになる。日常生活の一部でカップルがおむつを使うようになったとき、それはプレイというよりは、ライフスタイルといっていい。
彼女をおむつプレイにハマらせてからだいぶ時間が経った。すでに自分たちも、何気ない休日に、プレイというにはあまりにも平穏なおむつの使い方をしていた。
エロ動画でもエロ漫画でも、おむつをプレイとして取り扱ったコンテンツは山ほどある。一方、その延長線上にある「ライフスタイル」としておむつを取り扱った事例は意外と見かけない。
非日常のプレイが日常になったものにはあまり興味がもたれないのだろうか。あるいは、プレイを越えた先にこのような境地があることを知る機会がないだけかもしれない。
そうであれば、こういう記事を残しておく価値はいくらかあるといえる。
今回は、この日のありふれた日常を切り取りながら、思ったことを書いてみた。
ソファで水音が立つ。
湯を張った浴槽に誰かがシャワーで放水すると、壁越しにはこういう音が聞こえてくるものだ。
ここでいう「壁」というのは、彼女のズボンの股の生地。壁の「向こう側」には、吸収量多めの紙おむつがある。
ソファに座って漫画を読む彼女は、着衣のうえで、盛大にすっきりしている真っ最中。
ホースの流水を浴びせて水面を激しく乱したときのように、ジュウウウ、ゴポゴポゴポという水音が立つ。
ちびるのは無論のこと、普通におむつに用を足す程度なら、まずこういう音は立たない。
おむつの吸収スピードを越えて一気に出すと、一時的に股間に水たまりができるが、彼女はそこに勢いよくおしっこを噴射しているわけだ。水を入れたコップを用意して素早く蛇口をひねると、これに近い音が鳴るかもしれない。
つまり、彼女は、素知らぬ顔でだらしなくソファにもたれながら、おむつにの中では数回分のおしっこを一気にぶちまけていることになる。
おむつをつけて、恋人とくつろぐ。
この日は雨なので一緒にどこかに出かける気にはなれず。朝から彼女の部屋に上がり込んで、いつも通りおむつを使ってセックスした。
というと、がっつり彼女とおむつプレイを楽しんだように聞こえるだろうか。
それも事実ではある。ただ、おむつはセックス以外の時間でも着用していた。
家に上がるやいなや、相手におむつを当て合って休日スタート。
彼女とおしっこをちびちび漏らしながらアマゾンプライムで映画を見たり、スプラトゥーンで対戦して勝ったときにどっと漏らしたりして、ときどきおむつを交換しながら、夕方まで休日を楽しんだ。
パンツもおむつも気分次第。
俺も彼女もおむつが好きだ。エロモードに入っていなくても互いにおむつを当ててくつろいだりする。
というと、休日になるたびにカップルでおむつ三昧と思うかもしれないが、そこまで頻繁ではないし、彼女に命令しておむつ着用を義務づけているわけでもない。
各々、自分で着用したいときに着用している。おむつをするかどうかは気分次第。
感覚としては、「今日はコーヒーにするか紅茶にするか」に近い。
つまり、パンツで過ごすか、おむつで過ごすかを選択する自由があり、そのときは偶然おむつをつけたい気分だった、くらいのことなのだ。
おむつが普通の下着になった。
お互い相手に気を遣うタイプではない。無理をせず自然体でいようとする。その方が結果的にお互いのためになる。
自分の過ごしたいように過ごそうとして、おむつに足を通す。あるいは相手につけてもらう。
もちろん、自分だけがおむつをすることもあるし、彼女だけがおむつをすることもある。
新しい変態プレイを提案して拒否されたときは、「このプレイはまだ早かったか」と肩を落とすものだ。
ただ、「今日はどう? おむつする?」と聞いたときに彼女が断ったとすれば、そのときは「今日はそういう気分なんだな」と納得するだけである。彼女との間で、おむつの扱いは、そんなポジションに落ち着いている。
おむつを使いすぎて、もはや特殊なプレイをしているという認識は皆無といっていい。
もちろん常識を借りて考えれば、それが特殊なのはわかっているが、実態としては下着の一種として着用している。
今日パンツをはくかおむつをはくかは気分の問題。
自分たちにとって、その2つの選択は等しく日常の範疇である。
日常に溶け込んだおむつ。
ここまで来れば、性的なプレイというよりは生活のスタイルといったほうが適切だろう。
まあそれくらいおむつが日常に溶け込んでいる。じゃなければ、こんなドキドキゲーム「おむつギャンブル」だってやらない。
これは、おむつを着用した2人のプレイヤーAとBが、各々「おしっこする」「おしっこしない」のいずれかを主体的に選択し、起床時に二人のおむつが同じになるかどうかを賭けるゲームだ。かなり楽しい。
そんなわけで、この日は二人ともおむつを着用して漫然と過ごした。間を置いて2回セックスした。午前と午後に一回ずつ。
コーヒーをよく飲んだため、何度かお互いおむつを替えることになった。ゴミ箱に使用済みおむつをいくつ放り込んだかは覚えていない。
おむつをつけているので催したらその場で用を足せばいい。朝から夕方までそうした。解放感がある。「排泄したい」という生理的欲求を満たすのは、なんだかんだ気持ちいい。
しかし、今となっては、性的な興奮はそこまででもない。
おむつを使っていろいろなプレイをするうちに、こんな使い方にも行き着いたが、まあ慣れというのは恐ろしい。人間は適応してしまう。「二人でいけないことをしている」という背徳感があったのもすでに過去の話だ。
だから一層過激なプレイにエスカレートしていったわけだが、その詳細は過去記事に譲るとする。
こまめに相手のおむつをチェックする。
ときどき彼女のズボンの中に手を入れておむつチェック。おむつ着用でだらしない休日を過ごすときにも、これはマメにやる。前がパンパンに膨らんでいて、厚みが確認できれば替え時となる。
ズボンの上からでも一目瞭然なくらい膨らんでいたら、即刻おむつ交換タイムだ。
まずは、彼女を仰向けにして、ズボンを脱がす。
彼女は特に抵抗しない。「おむつを替えられる側」に徹している。「あ、うん。結構したかも。お願いします」とか言えちゃう。なんなら彼女はそのままスマホもいじっていられる。
排泄障害のない大人が、プレイではなく生活の一部としておむつを愛用するというのはこういうことだと思う。
おむつプレイとしてならば、フェティシズムや変態プレイの文脈においては飽きるほど語られてきただろう。しかし、ライフスタイルとしてのおむつはどうだろうか?
今回はもう少しこれについて綴ってみる。おむつの愛用が、初々しいプレイから熟成したライフスタイルに移行したとき、カップルはおむつに何を見出すのか。ここだけの随想録。
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