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ナブナ/ヨルシカ

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ナブナさん、ヨルシカさんの歌詞について考えたことです
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記事一覧

ヨルシカの回文

ヨルシカについての回文です。
新しい回文を作ったら追加するかもしれません。

ヨルシカを聴きたい!焚き木を齧るよ。
よるしかをききたい たきぎをかじるよ

【だから僕は音楽を辞めた】
夜、だから僕は音楽観を吐く。ほら語るよ。
よる だからぼくはおんがくかんおはく ほらかたるよ

駄目、嫌だったから僕は吐く。法螺騙った。辞めた。
だめやだったからぼくははく ほらかたった やめた

【夜紛い】
人生ご

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ヨルシカの晴るについて考えたこと

ヨルシカの晴るの、主に歌詞についての考察です。
第2クールのOP曲になっている『葬送のフリーレン』への言及もあります。

フリーレンがドイツ語で氷結(freezeと同じ語源)、ヒンメルが空なので、
フリーズしていたフリーレンの時間を、晴る(ヒンメルの青)が溶かし動かしてくれたと思いました。
第2クールのキービジュアルに「魔法は、自由だ。」とあります。
freezeをfree(自由)にしてくれた青空

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ヨルシカの月光浴について考えたこと

ヨルシカの月光浴の、主に歌詞についての考察です。

「光陰矢の如し」の光陰は月日の事で 光=日 陰=月 なので、
月光浴→月日浴→月日(=光陰)を浴びる と思えます。

月光浴が月日の月なのは、 松尾芭蕉のおくのほそ道序文「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」を連想しました。(エルマの日記で松尾芭蕉について触れられています)
月光浴「貴方の足が月を蹴った」は、芭蕉のように人生という名の旅

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ヨルシカの斜陽について考えたこと

ヨルシカの斜陽について考察したことです。

「僕らは目も開かぬまま」は、恋は盲目って事に思いました。
日が落ちるように恋に落ちたと。

恋に落ちて頬が赤く染まるのを、
落ちていく夕陽の色に喩えてる気がします。
「頬色に茜さす」は、茜色に染まる頬を反転させてるのかなと。

「柔らかに爆ぜた」は恋の爆発で、
恋心のお日様のような爆発に僕の目が開かない、と取ると、
『僕の心のヤバイやつ』という言葉に合い

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ヨルシカの幻燈について考えたこと

ヨルシカ『幻燈』楽曲の、主に歌詞についての考察です。
『ブレーメン』『チノカテ』『月に吠える』『451』『靴の花火』『左右盲』『アルジャーノン』は個別に記事を書いたので、それ以外の曲がメインです。
『月と猫のダンス』に行っていないので、ライブ内容を踏まえた考察ではありません。

都落ち都落ちMVは3分84秒(=4分24秒)で、
あと1秒長ければ385(みやこ)です。
385(都)から落ちて384に

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ヨルシカの451について考えたこと

ヨルシカの楽曲『451』についての考察です。

451を『華氏451度』モチーフだとすると、
焚書の火を幻の火、つまり幻燈に喩えてる気がしました。
音楽画集『幻燈』のスマホをかざさないと聴けない仕様は、
デジタル化され本が無くなった世界に似てるなと。

4月5日発売の幻燈第1章に『451』が収録されるので、451が並んでいて面白いです。

451=詩恋=私恋
451=11×41=いいよい=良い宵 

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ヨルシカのアルジャーノンについて考えたこと

ヨルシカの楽曲『アルジャーノン』の、主に歌詞についての考察です。
ヨルシカの他の楽曲や『アルジャーノンに花束を』への言及があります。

「頭の真ん中に育っていく大きな木」は、
ツリー状に枝分かれした未来の可能性、迷路だと思えます。
ゆっくりと歩いていく「根本」は現在や過去の事で、
「長い迷路の先」つまり未来を恐れない為に、現在や過去をしっかりと踏まえるのかなと。

先=咲き で、
長い迷路の先では

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ヨルシカのテレパスについて考えたこと

ヨルシカの楽曲『テレパス』の、主に歌詞についての考察です。

※MVが出たのでリンク貼っておきます。

涙についての曲だと思いました。
雪化粧が地面を隠すように泣き顔(寂しさ)が隠れていて、
「溢れた塩の瓶」=しょっぱい涙 かなと。
雪が解けて水になるように、雪化粧みたいな寂しさが解けて涙になる、という。
一瞬だけでいい歌、メロディーも無く寂しさでもいい歌は、泣き声でも良いって事かなと。

ヨルシ

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ヨルシカの思想犯について考えたこと

ヨルシカさんの、主に『思想犯』について考察しました。

思想犯の「烏の歌に茜」についてです。
茜の花言葉は「私を思って」「媚び」「誹謗」「傷」などのようで、思想犯の歌詞に合ってる気がします。

『盗作』(曲)では「群がる烏合の衆」の後に「まぁ、それは僕も同じか」と続きます。
烏を烏合の衆とすると、
「烏の歌」は烏合の衆と同じである僕の歌で、「烏の歌に茜」は、その歌に「誹謗」や「傷」が付くって事かな

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ヨルシカの盗作と創作について考えたこと

ヨルシカの、主にアルバム名『盗作』と『創作』について考察します。

創作や盗作の「作」は「咲く」に掛かっている気がしました。
早々に咲く(そして早くに散る)から「そうさく」
とうに咲いていた(今に生きていない)から「とうさく」 とすると、
早くに亡くなった奥さんと、思い出に生きる盗作おじさんの事に思えます。

創作→生まれたもの→命
(広義の)盗作→創作の遺伝子を引き継ぐこと→延命
と連想すると、

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ヨルシカの雲と幽霊について考えたこと

ヨルシカさんの曲『雲と幽霊』について考察したことです。

「このままずっと遠くに行けたらいいのにな 夜しかもう眠れずに」は、
眠りの中、夢の中なら遠くに行けるってことかなと。
「幽霊になった僕は、明日遠くの君を見に行くんだ」
人生の夜(亡くなった後)には幽霊になって遠くへ行けるという。

目蓋の裏は暗いので、目を閉じると主観的には夜です。
目を閉じずに眠る事はできないから「夜しかもう眠れずに」なの

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ヨルシカの『負け犬にアンコールはいらない』について考えたこと

ヨルシカのアルバム『負け犬にアンコールはいらない』楽曲の、主に歌詞について考察しました。

前世『前世』(曲)の文章で人が犬に生まれ変わったようなのは、
満月を見て狼に変身する狼男を連想しました。
エイミーがエルマの詩に月明かりを見て音楽を再び始めること(だぼやめの手紙8/31より)に対応してるのかなと。
エイミーが音楽を再び始める=アンコール という。
ヨルシカ=夜進化(ヨルシンカ)、月夜に変身

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ヨルシカの春ひさぎについて考えたこと

ヨルシカさんの春ひさぎについての考察です。

春ひさぎ=春陽詐欺 とすると
陽炎、春の陽が見せる幻に騙される と思えます。

陽炎のゆらゆら揺れるのは音の波が揺れるようで、音楽に合わせて踊っているみたいだなと。

MVの概要欄より、春ひさぎは「商売としての音楽」のメタファーです。
大衆に寄せた、綺麗に言語化された音楽(陽炎)で詐欺をする、商売をするってことかなと。

商品として自分を安売りすること

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だから僕は音楽を辞めたの「心の中に一つ線を引いても」について考えたこと

ヨルシカさんの『だから僕は音楽を辞めた』の「心の中に一つ線を引いても」という歌詞について考察しました。

「心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな」と続きます。

「線を引いても」=栓をしても でもある気がしました。
気持ちに栓をしても消えなかったと。

「辛」に一つ線を引くと「幸」になる事が、『ヒッチコック』で言及されています。
心の中の「辛い」を

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