ヨルシカの451について考えたこと

ヨルシカの楽曲『451』についての考察です。

451を『華氏451度』モチーフだとすると、
焚書の火を幻の火、つまり幻燈に喩えてる気がしました。
音楽画集『幻燈』のスマホをかざさないと聴けない仕様は、
デジタル化され本が無くなった世界に似てるなと。

4月5日発売の幻燈第1章に『451』が収録されるので、451が並んでいて面白いです。

451=詩恋=私恋
451=11×41=いいよい=良い宵 と取れます。
『451』は『嘘月』のような、尾崎放哉の晩年の句のような、私的な恋の詩でもあるのかもしれません。

『451』を(4,5,1)という数の三つ組としてmod 5で考えると(-1,0,1)になり、
藍二乗や複素平面の単位円、CDの回転や輪廻転生に繋がります。
『華氏451度』の表紙の一つに、451が燃えてるものがあります。
炎が451(回転=CD)を燃やして幻燈はCDじゃなくなり、
輪廻転生(文脈)を燃やしてn-bunaさん歌唱になったのかなと思いました。
mod 5で考える理由は、
5を法とする整数の乗法群が位数4の巡回群で{1,i,-1,-i}の乗法群と同型なので、
藍二乗(iの2乗)に関連付けられるからです。

皆既日食の理論上の最大時間が451秒と言われてるのも意識してるのかなと。
「あの太陽を見てた」で始まりますし、
幻燈での前の曲『月に吠える』MVでは、月食のような事が起きるので。



紙の束を燃やす事≒花束を燃やす事 と思え、
『チノカテ』の、本(白い花)を捨てる事を連想しました。

「昇華」には、固体を気体にする、ある状態から更に高度な状態へ飛躍するという意味があります。
昇華して紙(固体)が火花(気体)になったとすると、
札束(紙束≒本)を、花束に昇華させたのかなと。
強盗と花束、盗作と創作に、大きな違いはないらしいです。
本来の強盗が盗むのは、花束ではなく札束でしょう。
盗作(札束)を昇華して創作(花束)にしたと思えて、「さぁ創造して 燃やして」に繋がる気がしました。

本を昇華して、本という木を開花させた、火花を咲かせたとも取れます。
「本」という字の由来は「木の根元」ですし。


何度も繰り返す「燃やして」は「絵燃やして」に、
「踊って」は「絵を撮って」に聞こえました。
『幻燈』の、絵にスマホをかざして(撮って)曲を聴く仕様を意識した歌詞なのかなと。
スマホの光(幻燈)は、読書離れを引き起こす、本を燃やす光でもありそうです。

「昇華して」=ショー化して と思えます。
『華氏451度』のように暮らしが劇場化して、自分ではないものに踊らされる、という。
「踊って」=手を取って で、
皆と手を取り合って、一つの大きな存在(=太陽)へ同化されてしまうのかなと思いました。

さぁ引火して=サイン化して
燃やして=模写して
昇華して=賞を貸して
踊って=絵を盗って 絵劣って と思えて、
サイン(誰が書いたか)や賞(評価されているか)など、内容ではなく外側が大事にされる事や、
絵を盗るなど、作品が軽く扱われ消費される事が歌われてる気がします。

「放火して」=ほかして(捨てて) と取れます。
「ほかす」は、関西弁で「捨てる」です。
その後「飽きるまで愛して」「さぁ消費して」と続くので、捨てるという意味に合うと思いました。

「さぁ昇華して 踊って」を、踊りのステップが紙を燃やし火の華が咲いた と取ると、
『靴の花火』の「靴の先に花が咲いた 大きな火の花が咲いた」に繋がります。



「俺の蒔いた炎の意図を探してる」「たかが炎一つに熱を上げてる」は、
炎の意図を探る人に火が付く(熱が上がる)と取れます。
幻燈(音楽画集)について語る人々の言葉もまた幻の火(幻燈)であり、
幻が人から人へと飛び火していくその様子が、『幻燈』という一つのメディアアートでもあるのかなと思いました。
『春と修羅』の「わたくしといふ現象」「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」が飛び火するのかもしれません。
その飛び火は、魂の生まれ変わりのようでもあるのかなと。

「意図」=糸 で、炎が伝っていく導火線と取れます。
意図を探る事で火が導かれ、探る人に火が付くと。
「俺の蒔いた炎」の蒔いたは、植物の種子を畑などに散らす時に使う言葉です。
集まる人の魂に、火種をまいているのかなと。


ヨルシカの451の歌詞「意図を探してる」は、
い=1 とう=10 で 意図=110
110番を探してる、とも取れます。
炎を蒔いてる人を見て、普通に通報したのかもしれません。

「愛しい」で「いとしい」と読むので、
意図を探す事は、いとを探す事にも思えます。
俺の蒔いた炎のいとを探してる、という。
いとして=意図して と取れて、
喜びや悲しみの意図を、飽きるまでいとしてほしいのかもしれません。


意図=いと とすると、
糸の上部分の幺は幻や幽に使われていて、微かという意味があるので、
「集まる人」が探してる「意図」は幻なのかなと思います。
幻に「熱を上げてる」から幻の炎、幻燈になるとか。

幻燈や451の火は、存在しない幻の炎、ネットの炎上にも思えます。

ボーカルがn-bunaさんなのは、今までのヨルシカのイメージを壊すのが目的なのかもと思いました。
華氏451度の本を燃やす炎=ヨルシカという物語を燃やす炎 という。

地上のほとんどのエネルギーは、元は太陽から来ています。
生き物は、太陽をエネルギー源にして踊る機械とも思えます。
誰もが太陽の炎に踊らされてるのでしょう。
太陽と同一化して個体である事を辞め、周囲と一体化し踊る事(思考を辞める事)の快楽を歌っている気がしました。

熱という見えない意図(糸)で、操り人形みたいに踊らされるのかなと。
『心に穴が空いた』MVに、操り人形が出て来ます。
「胸の窓を開けて」=心に穴を空けて かなと思いました。


ヨルシカの考察は映像についてのものが多く、歌詞についての考察は少ない気がします。
華氏451度モチーフの『451』が動画ではなく一枚絵のMVなのは、
映像からでしか物を考える事が出来ない(本を読まない)人達への、皮肉でもあるのかなと思いました。

451の絵では、ペン先から煙が出ています。
「燃やして」という文字で本を燃やしたのかなと。
絵の背景は赤、人の服は緑色で、火に囲まれた植物にも見えます。
燃やしているようで燃やされている、
音楽や本を消費しているようで、実は消費されてるって事に思いました。
絵の5人は同じ顔なので、炎の意図を探す「集まる人の顔」は全員俺自身な気がします。


「燃やして 喜びを愛して」「燃やして 悲しみも愛して」を
本(言葉)を燃やし言葉を捨てて愛する と取ると、
『テレパス』の「もう一回だけ愛して 何も言わないでいいから」に繋がります。
451で燃えた本の灰が、テレパスで雪化粧みたいに白く降ってるのかなと思いました。

太陽を反射した熱(月光)が踊ってると取ると、
月のダンス、『月と猫のダンス』に繋がります。

炎は物を燃やして奪うだけでなく、人の心に温もりを与える事もできます。
「さぁ創造して 燃やして」は、創作を通じて人の魂に火を付け、
聴き手に創作したいと思わせるような、創作意欲の炎を宿したいのかもと思いました。
文学モチーフである『幻燈』楽曲たちも、n-bunaさんやsuisさんがモチーフ先の作品から受け継いだ、炎なのだと思いました。

以上です。