大した絵ではないけれど(笑、手間暇の中で描いてみました😊最近Uruさんの歌を聴いているのですが、この絵もそれを聴きながら描きました。西村由紀江さんのピアノも聞きながら描いています。ときどきちゃんと生きることがこんなにも困難なのかと思いながら、自分なりの何かを捨てずにやっています。
芸術をやりたいんだ。 そのことに気が付いた。 カネもうけが芸術の範疇に入るかどうかということではなく、入っても入らなくても、僕は芸術をやりたいんだ。 だから僕は芸術をやり抜く。 集まり散じたり、いろんな季節も巡るだろう。 でもひたすらに、僕個人は芸術をやり抜く。 ただそれだけだ。
明日から、《部屋に飾りたい作品展 #3》が始まります。TOPページの上部に記事を掲載しております。関心のおありの方は是非に。長年、魂を埋め込んできた「薔薇の踊り子」という少女の絵、皆さんの信頼を裏切らないような気持ちで出品させて頂いております。楽しんでください🍷🌙
《数字では量れない自分が見えてきた》、二度の美術展を通して、幼い頃、つまり小学生の俺が何故芸術で評価を頂いてきたのか、確認することができつつある。つまり芸術を志すものは、芸術屋であってはならず、芸術家でなければならない。何かに於いて恐ろしく抜け落ちていなければ存在しない魂だよな。
《桜の花の貴女のように》を加筆している今、自分の絵はまだまだこんなもんじゃないと、過去の絵も想い入れあるが、パッションがふつふつと湧いてきたし、自信を取り戻せた。これで終わる僕ではないし、これまでにはない展開の扉をガンガン開いていこう!至高の美を纏った女性を描いていくぜ!
決定的に判ってきたのは、僕の絵は、まだまだ超未熟だということだ。 そして精神年齢も超未熟。 だったらとことん美術と向き合って、超一流を目指そうぜ!って話。 驕るも何も、未熟なんだから、驕るものなんてないはずだよ。 美しさとは若さだとすれば、その未熟な若さでガンガン勝負していけよ!
自問自答の毎日だ! コブクロの、DOOR のように「行くしかないだろ!!」、そんな答え。 勇ましい中でも、ボクへの、人からの小さな優しさを、そして正義を見逃す自分でいたくない。 成長したものがあるとすればそれだ。 それを踏みつぶさないよう、なじらぬよう、有り難く受け容れていこう。
こころのところ、急がず生きていくことの人生の美しさを分かり始めている。 テレサ・テンの川の流れのようにを聴いたりしながら、しかし一筋に汗を流しながら絵を描いたりしている。 急がず生きる、湖にたゆたう白鳥のような時間をイメージしてしまう。 自分はそんな綺麗な生き物じゃあないけど😊
《自分の誇り》昔、誇り高くモノを言ったとき、「己惚れるな」「天狗」「想いあがるな」「しったか」「先生」、そんな風に言われたことがあると思います、皆さんも。でもそれが自分の紛れもない、本当のプライドのような誇りなら貫けばいいと僕は思います。たぶん、何かを伝えられると思うんです。