ヨルシカの晴るについて考えたこと

ヨルシカの晴るの、主に歌詞についての考察です。
第2クールのOP曲になっている『葬送のフリーレン』への言及もあります。

フリーレンがドイツ語で氷結(freezeと同じ語源)、ヒンメルが空なので、
フリーズしていたフリーレンの時間を、晴る(ヒンメルの青)が溶かし動かしてくれたと思いました。
第2クールのキービジュアルに「魔法は、自由だ。」とあります。
freezeをfree(自由)にしてくれた青空が魔法 と取ると、
ヨルシカのレプリカント「空は酷く青いんだから それはきっと魔法だから」との繋がりを感じます。
レプリカントの「冷たくなって年老いて その時にやっとわかる 僕もその青さがわかる」が、フリーレンからヒンメルへの歌のように聴こえました。


冬眠(freeze)が終わって春(晴る)になる
春の花が降り、フリーになるのかなと。
「晴る風」=はるかぜ=遥かze
freezeのzeが遥か遠くへ行ってfreeになるとか。

冬眠(曲)の「仕事も学校も全部辞めにしよう」「遠くに行こうよ」は、
冬のfreezeから春のfreeを目指す感じがして、 晴るやフリーレンに繋がる気がします。



晴るの英題はSunnyです。
フリーレンがサンデー(Sunday)の連載だからSunnyなのかもと思いました。
どよんとした曇りから晴れになる
土曜(どよん)から日曜(サンデー)になる という。

NY(ニューヨーク)はネットスラングで入浴なので Sunny→Sun入浴。
日(Sun)を浴びる で、晴るは月光浴の対になっている気がします。

「晴」の字の中に「月日」があります。
「青」の上部分(龶)は「生」の変形で草木が生える象形なので、
「月日」に草木が芽生えて「晴」、春が来たのかなと。
月光浴の「氷雨ひさめ」≒日冷ひさめ で、
日冷めみたいな月の束に、晴るで草花(龶)が咲くとか。


「胸を打つ音奏で」の「音奏」に春(日と𡗗)があります。「胸に春乗せ」とありますし。
「僕ら春風 音に聞く晴るの風」は、春を越えて晴るへ行くのかなと。
「音奏」から「春」を引くと「立天」。
「この歌よ凪げ」で春を越えて天に立つ、雲の上の晴るに行く気がします。
「胸を打つ音よ凪げ」=心臓が止まる
亡くなって天国(雲の上の晴る)に立つと。
フリーレンは、ヒンメルに会う為に天国と呼ばれる場所を目指しますし。

レプリカントの「冷たくなって年老いて~僕もその青さがわかる」も天国を待ってる気がします。
「空は酷く青いんだから それはきっと魔法だから」
天国は人が安心する為の嘘、おまじない(魔法)みたいなものだと感じます。


「晴れ模様に目を閉じては青色」は、「目」という字を閉じて「日」。
目を閉じ「日」になって「青」色 → 「晴」と思いました。

TikTokの晴るの映像で青色の上に桜色が乗っていくので、
「青」の上に「日」差しが乗って「晴」 と取れます。
青い雨滴に日が差し一層輝くから、「降り止めば雨でさえ貴方を飾る晴る」かなと。

「貴方の目にビイドロ」は、涙がビイドロのように光を反射してそうです。
「雨でさえ貴方を飾る晴る」は 雨=涙 で、
晴れた日の光をビイドロみたいに反射した涙が貴方を飾ると。

「貴方を飾る晴る」は、
 貴方おかはる
春泥棒の「川沿いの丘、木陰に座る」人が去った春とも取れます。


「ビイドロ」は息を出し入れすると音が鳴る、ぽぴんの別称でもあります。
心に空いた穴に風(息)が通り、ビイドロのように音が鳴るから
「胸を打つ音よ凪げ」「音に聞く晴るの風」 音≒風 なのかなと。

盗作(曲)の「この歌が僕の物になれば、この穴は埋まるだろうか。」を連想しました。
穴がある限り風が通って音が鳴る=満たされなくて歌を作る
穴が埋まれば音が止む=満足すれば歌を作らなくなる=音が凪ぐ という。

盗作はアルバムで9曲目、心に穴が空いたも9曲目で、繋がりを感じます。
エルマはエイミーが居なくなってできた穴を、エイミーを模倣(盗作)する事で埋めようとしたのかなと。


「この歌よ凪げ」=雨音よ止め=涙よ止まれ だと思いました。
泣いた後は晴れやかな気分になるように、
ビイドロを思いっきり演奏したら(歌い終わったら)スッキリする(晴れる)と。
風が止んで波が静かになる(凪ぐ)ことを、音の波で解釈してる気がします。
「土を打つ音よ鳴れ」=雨の音楽よ鳴れ で、
雨のリズムに合わせて歌うと。
「晴れではない状態から晴れを願う曲です。」と、n-bunaさんのコメントにあります。
「晴れを願う曲」は、晴れたら終わる(凪ぐ)ので、
最後のsuisさんのアカペラは、演奏(雨)が止んだ、音の空白(青空)の中で歌っているのを想像しました。


「晴れに晴れ」と、晴れを繰り返す事から遥々はるばるを連想しました。
遠路はるばる、晴る風は遠くから遠くまで行くのかなと。

「咲いて晴るのせい」の英語「Bloom and blame」の字面が綺麗です。
blame(非難)ということは、晴るの所為せいだなと。

「咲いて晴るのせい」のせいは、せいでもある気がします。
花という春のせいせいが咲くと取れます。
春に草木が芽生え、根を張る(はる)から晴るとか。

「青」の上(龶)も「春」の上(𡗗)も草木の象形らしいので、
「月日」を夏草が邪魔をすると「青春」になりそうです。

「曇」には雲の上に日があって、「雲の上では晴る」を連想します。
曇る から雲が引かれて 日る(昼)
そこに青が足されて 晴る(春)になる、曇天が晴天になるのかなと。


「目蓋」「春荒れ」の蓋と荒は、草冠(艹)の下に「去」「亡」があって、この世を去った人の上に草が根を張るのを連想しました。
『葬送のフリーレン』の「葬」も同じです。
「去」「亡」で心に穴が空いた→非心(悲)になる→「何が悲しいのだろうか」
「通り雨 草を靡かせ」の「靡」は、非の上に麻、
非の心(悲)の上に草花が根を張る春を、待ってるのかなと。
「晴れ、空よ裂け」で空を裂き、からの心(悲)を埋めるとか。
亡くなった人に花(艹)を供え、悲しみを乗り越える事を想像しました。


晴るのn-bunaさんのコメント「雲が、コインの縁に盛り上がる銀色のくずと似ていました。」から、
雲→塵→土鹿→土に還った鹿→夜鹿(ヨルシカ) と連想しました。
雲は水が蒸発したもので、天国に行ったものと取れますし。

晴る≒貼る なのかなと。
n-bunaさんのコメントにスクラッチカードとあるので、スクラッチシールを貼るように雲が覆うとか。
太陽や花のシールを貼っていくのかもしれません。

「胸を打つ音よ凪げ」の凪げ≒薙げ 雲を薙ぎ払っていけ、と思えます。
春一番の風が雲を薙ぎ払い、晴れ渡ると。

「心に穴が空いたその向こう側に君が棲んだ」ように、スクラッチカードを削った先で晴れた空が澄んでる気がします。

晴る≒張る とすると、
貴方の音が心臓の鼓動に根を張ってるのかなと。
胸を張る、とも取れますし。

雨晴るる「心臓の音が澄んでいた」と、
心に穴が空いた「心に穴が空いたその向こう側に君が棲んだ」の対応を感じます。
曇り空に穴が空いて、青が澄んだ
心に穴が空いて、君の音が棲んだ
曇った心を晴らしすぎて困るから「胸を打つ音よ凪げ」、一旦凪いでほしいのかなと。


「胸を打つ音よ凪げ」は、はやる気持ちを抑える、鼓動を落ち着かせたいとも取れます。
その後「僕ら晴る風」と続くので、抑えること(凪ぐこと)ができないほどの気持ちだったのかなと。
「あの雲も越えてゆけ」は、抑えられないならいっそ飛び出していこう、というふうに聴こえました。


「あの雲も越えてゆけ遠くまだ遠くまで」から、矢が飛んでいくのを想像しました。
春の枕詞の「あづさゆみ」は、弓を「張る」から来ています。
夜紛いの「君に一つでいい風穴を開けたい」のように、ハートを撃ち抜く、春という恋の季節を到来させるのかなと。

「晴るのせい」「春のせい」が肯定的なニュアンスでもあるのを見ると、
だから僕は音楽を辞めたの「あんたのせいだ」も、あんたのおかげだという意味に聴こえてきます。
エルマのおかげだと思うのは、エルマのせいにする事にも近いのかなと。


【追記】
MVが出たので、映像を踏まえて考えたことの追記です。
MVの公開日3/5が啓蟄に掛けてあるなら、「蟄」は虫の冬眠なので冬眠(曲)を連想します。
両方遠くへ行こうとしてる曲ですし、
「晴れに晴れ、花よ咲け」は「花になって空を見ようよ」に、
「この歌よ凪げ!」は「言葉とかいらないよ」に繋がる気がしました。


MV最後の鳥は食べた実を運び、壁の向こうにも同じ花が咲くのかなと。
鳥の運ぶ花が「あの海も越えてゆく」という。
壁のどちら側にも晴るが来て、花が咲くのであればいいなと思います。

ラストで亡くなった人の帽子を埋めた土の上に草が生えているのは、
「蓋」「荒」「葬」の、
「去」「亡」「死」の上に草冠(艹)がある事に対応すると思いました。


「雨でさえ貴方を飾る晴る」だからMV内の『晴る』の文字が雨っぽいデザインなのかなと。雨で飾った晴る。
「晴」の「日月」が「雨」になっていて、残りの「龶」は「生」が変化したものです。
「雨生る」と書いて「晴る」でもあるのかなと。
生る(なる)は草木の実ができるという意味なので、雨を栄養に草木が生えることを連想しました。

晴るMV公開が火曜日なのは、
「雨」になった「日月」(日曜日と月曜日)の先に火曜日(火=晴れ)があるって事かなと。
「月日」を「生」きていけば、いつかは「晴」になるのかなと思います。

晴るMVの「晴」の日月=雨 とすると、
雨の上の生(龶) と取れて「雲の上では晴る」に繋がります。
あの世に行った人も雨(雲)の上で生きている という事に感じました。

『晴る』をMV内の男の幽霊が子に向けた歌(想い)だとすると、
「この歌よ凪げ!」は無念が晴れる、男の幽霊が成仏する事にも取れます。
むねを打つ音よ凪げ」は、
無念むねんを打つ音よ凪げ で、幽霊の無念を晴らす事でもあるのかなと。


MV内の『晴る』の一部が「゛」になっているので、雨=゛(濁点) とすると
「泣きに泣け、空よ泣け 泣いて雨のせい」は
なけ を゛(雨)が飾って なげ(凪げ)になったのかなと。
藍二乗(-1)に藍二乗(-1)を掛けて+1になるように、泣きに泣けば凪ぐ(晴れる)と思いました。

雲の下は雨(-1、藍二乗)
雲の上では晴る(+1) だと取ると
六月は雨上がりの街を書くの「今の暮らしはi^2 君が引かれてる0の下」に繋がります。
雲の上を亡くなった「君」がいる場所としても違和感ないですし。
-1(藍二乗)を掛けて雲の上と下を行ったり来たりすると思うと、輪廻転生(生まれ変わり)みたいです。
ヨルシカのロゴマーク、6時を指す長針と短針は、あの世(雲の上)とこの世(雲の下)を指してもいるのかなと。




画竜点睛の睛は目のことで、睛と晴は似ています。
「貴方の目はビイドロ 少しだけ晴るの匂いがした」は、ひとみに晴るの香りが残っていたのかなと。

「あの海も越えてゆく」は、涙を越える事でもある気がします。
涙を海に喩えた有名な言葉もありますし。
「あの雲も越えてゆけ」の雲も涙(雨)になる前の曇った気持ち(雲)で、
悲しみを越えて晴る(春)へ行こうぜ、という風に聴こえました。

「晴れ模様に目を閉じては青色」、目の涙が海みたいに青いのかなと。
水は透明ですが、海ぐらい深いと太陽光の青が見えます。
深い海の色と思えて、エイミーの目が深い夜の色をしている事(エルマの日記より)、「この目覆う藍二乗」を連想しました。


「貴方の目にビイドロ」
≒貴方の目 鈍色(にびいろ)
とすると、曇り空のような色(鈍色)と思えます。
「今少し雨の匂いがした」と続きますし。



『晴る』MV内では争いが起きています。
「さぁこの歌よ凪げ」=静かになる=争いが青になる
争いの日々が静かになって、青い日=「晴」になるのかなと。


MVで『晴る』の文字が出た場面は過去(想い出)ですが、未来の晴れを望む歌でもあると感じます。
ヨルシカのロゴマークは時計でもあるので、
時が円を描いている(≒生まれ変わる)とすれば、過去を想うことと未来を想うことは同じなのかもと思いました。
歴史を学び考えることは、未来を考えることに繋がるのかなと。

以上です。
お読みいただきありがとうございました。