ヨルシカの『忘れてください』について考えたこと

ヨルシカの楽曲『忘れてください』の、主に歌詞についての考察です。
新しく思いついたら追記するかもしれません。

忘れてくださいは、「探さないでください」と書き残して家出する人が探してほしいみたいに、本当は忘れないでほしいって感じがします。


忘れてくださいの英題 Forget it は、Forget イト 僕と君を繋ぐ糸を忘れてくれって意図もあるのかなと。
僕(me)ではなく、僕と君の間の繋がりを忘れてくれという。
time(僕と君が過ごした時間)からitを忘れたらme(僕)が残ります。僕自身の事は忘れてほしくないように思いました。



歌詞に「小」がたくさん出てきます。
心の偏の忄(りっしんべん)は「小」と形が似てるので、
「小さい家」「小窓」「小さな枇杷」「小さい駅」は、心が変化した物かなと思います。
「二人で並んだチッチン」は、チ=ちっちゃいもの で、
小さい二人が並ぶ→チチ→チッチン かなと。
二人の心(忄≒小)が並んでいたとか。
(MVでは「キッチン」ですが、動画説明文や公式サイトだと「チッチン」です。)


ブレーメンMVで左から来る人は死者、右からの人は生者っぽかったので、忘れてくださいのジャケ絵は、死者と生者が手を合わせてる気がします。
左の手の人は、若くに亡くなったから手が小さいのかなと。
「小さい家」でのことを忘れてほしいのは、小さかった頃(君が僕と居た頃)を忘れてほしいとか。君に大きくなってほしいと。

生きて大きく育ってほしい
=小じゃなくなってほしい
=忄(りっしんべん)、心をわすれてほしい

「僕に心を」≒僕に小頃こころを で、
「君に花束を」は卒業式みたいに、僕のいない場所で生きていく君への門出を祝う花束かなと。
花人局の「貴方のいない街を生きる その温もり、僕に残して 僕にひとつ、花を残して」を連想しました。




「春の日差しを一つ埋めて」は、春の目差まなざしでもある気がします。
北原白秋『桐の花』に「かくまでも黒くかなしき色やあるわが思ふひとの春のまなざし」とあります。
枇杷の種も黒いので、春のまなざしを埋めたら枇杷が生るかもしれません。

枇杷の実は夏の季語です。「小さな枇杷」は春の次の夏に生ったのかなと。
「小さな枇杷が生った」≒小さな枇杷が夏だ と思いました。



「小さな枇杷が生ったとき」
≒小さな琵琶が鳴ったとき と思います。
忘れてくださいでは、n-bunaさんがマンドリンを演奏しています。(公式サイトの歌詞クレジットに書いてあります)
マンドリンと琵琶はルーツが同じ楽器らしいですし、マンドリンは小さいので、小さな琵琶≒マンドリン なのかなと。

「たまには少しの水をやって」→玉には少しの水をやって 翡翠という宝玉に水をやるとも取れます。
球という字の王は玉のことで、漢字のなかで玉は王に変化しがちです。
玉が育ち、小さな枇杷が小さな琵琶マンドリンになって鳴る気がしました。


比という字は、人が二人並んだ象形らしいです。
「二人で並んだ」が比、「僕と見た翡翠の色」が巴で、
思い出(比巴)が生まれ変わって「小さな枇杷」に生ったとか。

「小さな枇杷が生ったとき」≒小さな枇杷に生まれ変わったとき で、
前世のことは気にせず「忘れてください」 って事かなとも思います。


忘れてくださいは、枇杷の花言葉「愛の記憶」を連想します。
記憶→きおく→木置く
「長い長い迷路の先に置いて」は木の先に置く、アルジャーノンの「頭の真ん中に育っていく大きな木」の奥、忘れてほしいけど奥の無意識では覚えていてほしいとか。




北原白秋『桐の花』に「夜の花火の紅緑・翡翠・土耳古玉・銀光の紫」とあるので、
「僕と見た翡翠の色」は花火でもある気がします。
MVでの「僕と見た翡翠の色」のシーンもスイカを食べながら窓の外を見ていて、花火っぽいですし。
少し前に「目に見えぬ空の何処どつかで花火が揚る。」とあります。
花火の色(翡翠の色)をもし忘れても、花火の音(鼻歌)は忘れないのかなとか。



北原白秋『桐の花』に「短歌は一箇の小さい緑の古宝玉である」「古宝玉の優しい触感を愛してゐる」とあります。
「翡翠」は緑の古宝玉で、「あなたが愛したいものを~何もないのかい?」は、愛せないなら忘れてほしいのかなと。
長い迷路の先に置く鼻歌は、短歌(翡翠)でもある気がしました。
忘れてほしいけど走馬灯(人生という迷路の先)では思い出してほしいとか。


『五月は花緑青の窓辺から』は、五月の誕生石がエメラルドなのを意識しているのかなと。(花緑青の別名はエメラルドグリーンなので)
翡翠も五月の誕生石なので、「翡翠の色も忘れてください」はMVの説明文の「五月の昼下がり」を忘れてほしいって意味でもある気がします。
ジャケ絵の背景が翡翠色なので、
「翡翠の色も忘れてください」=ジャケ絵の頃を忘れてほしい
=二人の手が触れ合っていた頃を忘れてほしい のかなと。


「翡翠の色」は翡翠カワセミの色でもある気がしました。
忘れてくださいは、左右盲の「心を亡れるほどの幸福を」を連想する曲で、
左右盲の絵の鳥は幸福な王子モチーフなのでツバメだとは思いますが、翡翠カワセミの色にちょっと似ていますし。




「揺れる髪だけ靡くままにして」は、心は靡かないと取れます。
「長い長い迷路の先」に「君の鼻歌」を置く
=君以外はゴールじゃない 君以外に心は靡かないとか。
「僕に心をくれた」貴方(アルジャーノン)以外に靡かない、貴方の迷路の先は不明でも、僕の迷路の先は決まってるのかなと。


鼻歌は言葉のない歌なので、
「僕に言葉を 君の鼻歌を 長い長い迷路の先に置いて」は、言葉という迷路の先に言葉じゃないものが待っていると取れます。
春泥棒の「花開いた今を言葉如きが語れるものか」自体が言葉であるように、言葉にならないことを歌う為に言葉を使うと。

忘れてくださいのショート動画では言葉(歌詞)が迷路みたいに線で繋がり、最後は手の平に辿り着いて終わります。
手の平の温もりも鼻歌と同様に言葉じゃないもので、言葉という迷路の先に置いてあるのかなと。


「長い長い迷路の先に置いて」
→長い長い迷路の先に老い手
迷路みたいに皺のある老いた手は、長い長い迷路を生き延びた証なのかなと思いました。


忘れてくださいのショート動画では「心」を掌が受け止めます。
掌には、たなごころ(手の心が由来)という読みもあります。
忘れてくださいのジャケ絵はたなごころを合わせ、手の心を通わせてるのかなと。
花心は移りやすい心って意味らしいです。「君に花束を」は、僕を忘れて移ろってほしいとか。



忘れてくださいのジャケ絵は、手と手を合わせる、文字通り相手に触れるって感じがします。
左右盲の「手探りの夜の中」は相手の手を探してるのかなと。
忘れ手ください、忘れてしまった手を手探りしてるように見えました。

「箱」の中に「相」があるのと、
「箱の中の小さい家」に「相」手がいることが対応しそうだと思います。


「休」という字は、人が木によりかかって休んでるように見えます。
「静かな休日の、寝起きの君」の傍には枇杷の木になった僕がいて、
「僕の心があったこと」を忘れて木の傍で休んでほしいのかなと。
「二人で並んだ」=人人 で、僕が木になって人木(=休)になるとか。

「君に花束を」は、人(君)に木(植物)をあげて休ませたいのかなと。
「箱の中」の相の、木は枇杷になった僕、目は「寝ぼけ眼で座った」君の目のように感じました。




「長い長い迷路の先」=創作のゴール で、
踊ろうぜの「音楽なんか辞めてやるのさ 思い出の君が一つも違わず描けたら」みたいに、「君の鼻歌」を描ききる事を創作のゴールに置いてるのかもと思います。


「長い迷路の先」=長い迷路の咲き=花束 で、鼻歌を花束に添えて置くのかなと。
「長い迷路の先を恐れないままで」とあるアルジャーノンMVでも、迷路に花が咲いてますし。
人生という迷路自体が、ゴールした時には花束になると。

「長い長い迷路の先に置いて」を、
人生という迷路の先に置いて と思うと、遺書として置く気がしました。
ルバートの「お葬式の遺影にしましょうこのレコード」みたいに、
『忘れてください』という歌自体が一種の遺書であると。

ルバートに「メロがポップじゃないから少しダサいけど 私忘れようとしているわ」とあるので、
忘れてくださいは、忘れてくダサい でもある気がします。



「あなた自身の人生のあなたが愛したいもの」が何もないようなのは、
あなたはあなたの人生から居なくなった誰かの事だけを愛してるのかなと。
その誰かは自分の事を忘れてあなたに「あなた自身の人生」を愛してほしいから、「僕と見た翡翠の色も忘れてください」と歌うと。


テレパスMVの「あ」の石をのせた手と、忘れてくださいの手は対になっている気がします。
貴方自身を愛して(あ石手いして)ください を裏返した言葉が、
僕のことは忘れてください なのかなと。


自分をもう一回愛そう、という『テレパス』や『斜陽』にある歌詞は、
I(自分)とI(数字の1)とI(愛) という縦線を並べる洒落に思えます。
忘れてください「一つ一つ数えてみて。あなた自身の人生のあなたが愛したいものを。」
1を数えることは、I(自分)やI(愛)を数えることでもある気がしました。

月光浴の「足して」は自分を足すこと、愛を足すことでもあるのかなと。
自分や愛を足さない限り、自分自身の時間は進まない、月日を重ねたことにはならない気がしました。

忘れてくださいMVの2分46秒、葬式から帰ってきたっぽいシーンで時計が消えるのは、愛する人を亡くして時間が止まった感じがしたのかなと。

忘れてくださいMVでは物を片付けています。
片を付ける(始末する)、ともに暮らした片方の人をきちんと終わらせるための片付けに思えました。


忘れてくださいの手拍子やピアノが、ゴスペル音楽っぽく聴こえました。
ゴスペルは、苦しい状況にいる人が生きる希望を歌ってる、という印象があります(違っていたらすみません)。
『忘れてください』は、愛する人を亡くした人の希望の歌なのかなと。


以上です。
お読みいただきありがとうございました。