さと

鬱歴約10年治療中。その後54歳でADHD、自閉と診断された私の反省と思い当たる点、そ…

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鬱歴約10年治療中。その後54歳でADHD、自閉と診断された私の反省と思い当たる点、そしてこれからのことや、今を徒然に書いていきたいと思います。

記事一覧

目立ちたいんじゃないの?

進学した地元の中学には吹奏楽部が無かった。そこに俄かに湧いた「今年から吹奏楽部ができる」という情報。音楽好きの私が飛びつかないわけがなかった。 まがりなりにも、…

さと
3日前
2

横顔

精神的に幼かった私でも、中学生ともなるとなんとなく、自分の容姿が気になったりする。 うちの母はまだ農家が多い土地柄の中で、外に働きに行って小綺麗にしていたし、父…

さと
4日前

わたしじゃないもん

確か小学5年生の時のこと。一つ年下のケイ子ちゃんと私は一緒に帰っていた。 ケイ子ちゃんは活発でハッキリものを言う。賢いし、スポーツもできて噂好きだ。 小学校も高学…

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12日前
3

濡れたパンツを入れたの だーれだ⁉️

今の時代では考えられないことだろう。50年前の保育所の話である。 プールなんて立派な設備もない木造校舎。大きなスノコが並べてある下駄箱、大きな脚立がなければ届かな…

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2週間前
2

病気なんだけど?

弟がインフルエンザになったのは、確か私が年長さんの時か小1の時だったと思う。家族みんなで枕元に正座をして、往診の先生が聴診器を当てるのをじっと見ていた。先生が帰…

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2週間前
6

我が家の当然

誰にでも、その家流のやり方があるように、我が家にもそれがいくつもあった。 まずは【母は不機嫌】 共働きだった母は5時半頃、家に帰ってきた。 その途端に不機嫌になる…

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4週間前
7

ピアノ習ってみない?

小学一年生に上がる春のことだった。つくし取りにでかけた近所の畦道で、知り合いに会ったのか、母は誰かと話を始めた。私は聞き耳を立てながら、にょきにょき生えてるつく…

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1か月前
6

わからないけどいやなの

2年生の担任はとても可愛らしい金城先生だった。みんなが「きんぎょ先生」と呼ぶに相応しい愛らしさと笑うと下がる目尻がとても愛嬌のある先生で、私も一目で好きになった…

さと
1か月前
6

やり方はスケープゴート②

ある時、いつものように電話応対をしたので、メモをし、帰社した支店長に伝えました。すると「いちいち言わなくって、おいとけばわかる‼️」と怒鳴られたのです。それ以降…

さと
1か月前
8

やり方はスケープゴート①

さて、前述の会社は、やはり倒産してしまいました。計画倒産というのか、売上の良い支店を買ってくれるところがあったので、「私以外の全員」が、その会社に移籍できました…

さと
1か月前
6

適応障害になった経緯

私が鬱になった経緯を軽く書いておこう。 最初は学習塾の本社に勤めていた時。もう倒産するんじゃ無いかと傍目にもわかる状態の時に、以前、セクハラ、ストーカーをしてき…

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1か月前
11

来られて迷惑

新しい支店で総務課の仕事。既に2人総務課の人員がいるので、どのように仕事の割り振りをされるのかが、不安だった。 その予感は的中した。 月に一度、午前中に終わる仕…

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2か月前
6

突然、仕事が干された

40代前半に長く勤めた会社が倒産。大した資格もない事務員の私に働けるところはなかなか無かった。ネットの求人にはあちこち登録したし、週に何度もハローワークに通った。…

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2か月前
2

恵子ちゃんの誕生日②

②由美ちゃんが呼んでたから 部屋遊びにも飽きた私たちは公園に遊びに行った。広い公園だが遊具は錆びかかっていて、乗り捨てられたバスがあり、それがいちばんの遊び場だ…

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2か月前
3

恵子ちゃんの誕生日①

①欲しかった銀のキョロちゃん編 小学生になるとお誕生日会などと洒落たものをやるようになる。片田舎で、農家がほとんどの私の集落にも、恵子ちゃんと言う子が引っ越して…

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2か月前
6

絶望した先生に救われた話

1年生から5年生までずっと女の先生だった。男の先生は、厳しいというイメージがあったし、なんといっても私の苦手なスポーツを何かとするという、勝手なイメージを抱いてい…

さと
2か月前
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目立ちたいんじゃないの?

目立ちたいんじゃないの?

進学した地元の中学には吹奏楽部が無かった。そこに俄かに湧いた「今年から吹奏楽部ができる」という情報。音楽好きの私が飛びつかないわけがなかった。
まがりなりにも、ピアノ歴6年、音楽の成績だけは優秀だったし、実は「新世界」のトランペット🎺に憧れていた。最後列で、ビシッと立ち上がって、天にも届くかのようなあのフレーズが、とても好きだった。だって、私には無い華やかなものだったから。

もちろん、説明会初

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横顔

横顔

精神的に幼かった私でも、中学生ともなるとなんとなく、自分の容姿が気になったりする。
うちの母はまだ農家が多い土地柄の中で、外に働きに行って小綺麗にしていたし、父もソコソコの男前だと思っていたので、両親共に中の上くらいだろうと思っていた。
でも、私は。全く容姿に自信が無かった。なんせ母には可愛くない、何を着せても似合わないと言われて育っているのである。

それでも、ちょっとくらいは…と一縷の望みを抱

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わたしじゃないもん

わたしじゃないもん

確か小学5年生の時のこと。一つ年下のケイ子ちゃんと私は一緒に帰っていた。
ケイ子ちゃんは活発でハッキリものを言う。賢いし、スポーツもできて噂好きだ。

小学校も高学年となると、誰が好きだとか、両思いだとか、そんな事がこんな田舎でも話題になってくる。

その日、ケイ子ちゃんは私と同級生の「恵子ちゃんと健ちゃんが仲良いよね」という話をし始めた。2人とも目立つし、学級委員などする一目置かれた存在だ。私は

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濡れたパンツを入れたの だーれだ⁉️

濡れたパンツを入れたの だーれだ⁉️

今の時代では考えられないことだろう。50年前の保育所の話である。

プールなんて立派な設備もない木造校舎。大きなスノコが並べてある下駄箱、大きな脚立がなければ届かないような天井に蛍光灯という、古い建物が保育所だった。
夏の楽しみといえば、大きなビニールプールに入って、先生が外からホースで水をかけてくれること。その時の服装は、男女ともパンツ一丁❗️

今なら大問題である。

その日に履いて行ったパン

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病気なんだけど?

病気なんだけど?

弟がインフルエンザになったのは、確か私が年長さんの時か小1の時だったと思う。家族みんなで枕元に正座をして、往診の先生が聴診器を当てるのをじっと見ていた。先生が帰るのを、母も祖母も仰々しくお見送りをし、私は、そこに座り続けているのもなんだかで席を外した覚えがある。
その程度なんだけど、かなり、たいそうな扱いを弟は受けていた。
保育所を通所拒否しても許されていたし、私は「おなかいたい」と言っても「ちょ

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我が家の当然

我が家の当然

誰にでも、その家流のやり方があるように、我が家にもそれがいくつもあった。

まずは【母は不機嫌】
共働きだった母は5時半頃、家に帰ってきた。
その途端に不機嫌になるのだ。ついさっきまで近所の人とにこやかに話していても、家に帰ると眉間に皺を寄せたような顔で、冷たい言葉しか出てこない。
テストでいい点数を取るのは当たり前。手伝いも当たり前。更にもっと機嫌の悪い時に、手伝いしようものなら
「そうすれば機

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ピアノ習ってみない?

ピアノ習ってみない?

小学一年生に上がる春のことだった。つくし取りにでかけた近所の畦道で、知り合いに会ったのか、母は誰かと話を始めた。私は聞き耳を立てながら、にょきにょき生えてるつくしを取っていると、その声が聞こえてきたのである。

それは、明らかに私に向けられた言葉だった。逆光で眩しいけれど、声の印象は柔らかな人だった。その隣で母は、困ったようなどうしようというような顔をしていた。そこだけが神経が張り詰めていた。「こ

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わからないけどいやなの

わからないけどいやなの

2年生の担任はとても可愛らしい金城先生だった。みんなが「きんぎょ先生」と呼ぶに相応しい愛らしさと笑うと下がる目尻がとても愛嬌のある先生で、私も一目で好きになった。

あれは冬だったと思う。なんの時間だか、みんなで伝言ゲームをすることになった。先生が、1番前の席の子に何かを伝えて、2番目、3番目…と伝えていくゲームをした。

その時に先生がその日休んでる子を名指しで

「◯君はぶちゅぶちゅうんこで学

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やり方はスケープゴート②

やり方はスケープゴート②

ある時、いつものように電話応対をしたので、メモをし、帰社した支店長に伝えました。すると「いちいち言わなくって、おいとけばわかる‼️」と怒鳴られたのです。それ以降、口頭で伝えるのは辞めました。
ところが、ある一本の電話…それだけは、特別な存在だったそうで、伝えなければならないお客様だったようなのです。そんな事、入社して半年の社員にはわかりません。

そこから標的は私に変わりました。

電話に出るな

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やり方はスケープゴート①

やり方はスケープゴート①

さて、前述の会社は、やはり倒産してしまいました。計画倒産というのか、売上の良い支店を買ってくれるところがあったので、「私以外の全員」が、その会社に移籍できました。
私が移籍できなかった理由はわかりません。とにかく、先方から断られたということで、倒産1週間前に急遽、言われたので、解雇予告手当を支給してもらいました。

そして、失業者となった私は、ありとあらゆるネットの求人情報に登録し、ハローワークに

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適応障害になった経緯

適応障害になった経緯

私が鬱になった経緯を軽く書いておこう。

最初は学習塾の本社に勤めていた時。もう倒産するんじゃ無いかと傍目にもわかる状態の時に、以前、セクハラ、ストーカーをしてきた人を再雇用すると決まった時に適応障害を発症。

その人が在職中は、深夜に長々としたメールを毎日のように送られ、帰りは一緒に帰ろうと追いかけられ、朝は駅で待ち伏せされた。子どもの同級生の父親だったので、無碍にできなかったのが裏目に出たらし

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来られて迷惑

来られて迷惑

新しい支店で総務課の仕事。既に2人総務課の人員がいるので、どのように仕事の割り振りをされるのかが、不安だった。

その予感は的中した。

月に一度、午前中に終わる仕事を振られただけで、後は全く仕事を回してもらえない。2人は忙しく仕事をしている。3ヶ月待って6月に直属の上長の支店長に時間をもらい、お伺いを立てた。

「私をここに配属されたのは、どのようなおかんがえとかビジョンとかあってのことですか?

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突然、仕事が干された

突然、仕事が干された

40代前半に長く勤めた会社が倒産。大した資格もない事務員の私に働けるところはなかなか無かった。ネットの求人にはあちこち登録したし、週に何度もハローワークに通った。
ある月は70通も応募して全滅だった。年齢的にも難しいところがあったのだろう。

次に決まったのは半年後だった。正社員として迎えてくれた会社だったが、この会社で鬱病を発症し、辞めることになる。この話は後日。

その次に勤めた会社は、マンガ

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恵子ちゃんの誕生日②

恵子ちゃんの誕生日②

②由美ちゃんが呼んでたから

部屋遊びにも飽きた私たちは公園に遊びに行った。広い公園だが遊具は錆びかかっていて、乗り捨てられたバスがあり、それがいちばんの遊び場だった。そこで、たぶん、鬼ごっこなどのたわいない遊びをしてたと思う。

「さとちゃん❗️」

呼ばれて振り向くと、何やらカッコいい服を着た由美ちゃんがいた。そういえば、由美ちゃんは「ガールスカウト」とやらがあって、お誕生日会には来られないっ

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恵子ちゃんの誕生日①

恵子ちゃんの誕生日①

①欲しかった銀のキョロちゃん編

小学生になるとお誕生日会などと洒落たものをやるようになる。片田舎で、農家がほとんどの私の集落にも、恵子ちゃんと言う子が引っ越してきて、お誕生日会が開かれた。

新築の綺麗で広いお家に招かれて、母が買ってくれた何かしらのプレゼントを持って行ったと思う。

トランプなどのゲームをして、お昼をご馳走になり、おやつまで振舞われた。その中にチョコボールがあった。金や銀のキョ

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絶望した先生に救われた話

絶望した先生に救われた話

1年生から5年生までずっと女の先生だった。男の先生は、厳しいというイメージがあったし、なんといっても私の苦手なスポーツを何かとするという、勝手なイメージを抱いていた。

6年生になって「名前を呼ばれなかった人はみんな3組、村田先生です」と言われた時、多分、私は絶望的な顔をしていただろう。

男の先生だ。
新卒2年目で噂もあまり聞かない、想像のつかない先生。でも、夏には真っ黒に日焼けしてるから何かス

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