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病気なんだけど?

弟がインフルエンザになったのは、確か私が年長さんの時か小1の時だったと思う。家族みんなで枕元に正座をして、往診の先生が聴診器を当てるのをじっと見ていた。先生が帰るのを、母も祖母も仰々しくお見送りをし、私は、そこに座り続けているのもなんだかで席を外した覚えがある。
その程度なんだけど、かなり、たいそうな扱いを弟は受けていた。
保育所を通所拒否しても許されていたし、私は「おなかいたい」と言っても「ちょっとの事は我慢しなさい」と行かされていた。

忘れもしない小学4年の時の夏休み。私は水ぼうそうになった。頭が割れそうに痛くて持ち上がらない。トイレに行きたくても、這う事さえままならない。そんな私は、見事にほったらかしにされた。
父も母も仕事へ行き、祖母は日課の散歩へ行き、弟はもちろん、遊びに行ってしまった。

この扱いの違いは何⁉️

と子どもながらにふうふう言いながら、思っていた。トイレも、当時は土間を挟んでいかねばならなかった。這って行って目の前にトイレがあるのに、つっかけ(草履のようなもの)を履いて立つことができない。力尽きてそこで寝ていても、誰も帰ってくる様子なく…自分としては1時間も経った頃、やっと起き上がることができて、トイレに倒れ込むように入ったのを覚えている。トイレも汲み取り式だったので、トイレ用スリッパを落とさないように、めまい😵‍💫がするようにフラフラしながらも、必死に足元に注意して入った。

よくもまあ、そんなに我慢できたものである。

今から45年くらい前の出来事だ。男の子は大事にされ、女の子は二の次だった。高校卒業したら、せいぜい短大まで。四年制大学なんてもってのほか。23くらいには結婚しろと言うのが、私の住んでいた田舎の常識だった。

プラス前回書いた母の少々ネグレクト気味な事で、病気は「さとが汚いから」と言う事で、ほとんど病院には連れて行ってもらえず、高校時代はひどいアトピーで顔から首まで湿疹だらけだったのだが、3000円のお小遣いで、薬局で薬を買って凌いでいた。

胃腸風邪で吐きと下痢を繰り返していた時にも、普通に天ぷらを夕飯に出されて「出されたものを食べる」と言われた。

私、病気なんだけど?

そんな生活を高校卒業まで続けたのである。

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