見出し画像

適応障害になった経緯

私が鬱になった経緯を軽く書いておこう。

最初は学習塾の本社に勤めていた時。もう倒産するんじゃ無いかと傍目にもわかる状態の時に、以前、セクハラ、ストーカーをしてきた人を再雇用すると決まった時に適応障害を発症。

その人が在職中は、深夜に長々としたメールを毎日のように送られ、帰りは一緒に帰ろうと追いかけられ、朝は駅で待ち伏せされた。子どもの同級生の父親だったので、無碍にできなかったのが裏目に出たらしい。決めては
「子どもは作らないんですか?私はもうできないようにしてありますから、大丈夫ですよ」と言い、こちらが話を濁して逃げ出すと
「本当です❗️本当なんです‼️」と追いかけられたこと。
他にも帰りに追いかけてきて、先に帰った私に交差点で恫喝した事もあった。

その人が会社を去って安心していたのに、復帰すると言う。そういう私に対する経緯を経営陣は知っているのに。私は、謝罪文を要求し、散々ごねられたが、書いてもらった。

さて。それと同時に、会社はますます傾いていく。営業事務を一手に引き受けていた私は、忙しくなるが、現場の教室長に皺寄せがいかないよう、志を同じくする人たちと日々、経営陣とも闘っていた。

が。


見事に裏切られた。
彼らはこっそり経営陣に寝返っていた。そして、私に、それまで「こんな書類は作成すべきで無い」と言っていた書類を作るよう迫ってきた。

ちょっとまて。

混乱したのは私である。信じてたのに。この書類を作ると言うことは、粉飾決算書類を作ると言うことになる。あとで、勝手に作ったと言われても困る。私は頑なに拒否をした。

今まで信頼し、仲間だった人は、罵倒し、乱暴な言葉で命令するようになった。期日までの書類も提出しなくなった。幸い、私の上司が理解を示していたので、間に入っていてくれたが、どんどん疲弊していった。

ある時、電話で罵倒され、プツンとキレてしまった。泣きたく無いのに涙が止まらなくなり、終業時間前だったので、時間を待ってそのまま帰宅した。
そして翌日、心療内科に受診。
【適応障害】と診断されたのである。

でも、これは長い、今も続く鬱の序章に過ぎなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?