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#宗教2世
私の過去⑮~自分に許可・無条件の愛~
両親に、気軽に連絡したり、会いに行けたらいいのだろうに...と思う反面、
それまで長年、自分の生きる原動力になっていた感情、ずっと自分を支えていた感情が弱まる又はなくなるのでは...と怖く、会いに行けない...。
この相反した気持ち...
こんな心の奥にあった思いに気づいた瞬間は、
私、こんな気持ちがあったんだ...と驚きました。
そして、どうしてこんな気持ちが...、と、どうしたらいいんだろう.
掴めなかった先生の手~本当の感情に気づけていない子供~
今まで、私は怒る事があまりありませんでした。
子供の頃から今まで、自分は怒りの感情をあまり感じないタイプなのだろうと思っていました。
小学生途中から中学生の頃に、○○ちゃん(私)はほんと怒らないねと友達から言われた事がありました。
振り返ると、タイプとかではなく、私が父親からの体罰と、数々課される宗教上の制限のせいで、心身の感覚を麻痺させてしまっていて、私が自分で怒りの感情を感じにくくしていたから
何層にもなっている感情
心とは、感情とは、本当に、たぶん、何層にもなっている...と思いました。とてもとても奥が深いものに感じると、最近、そう思っていました。
自分の中の、感情に気づいていく事、
それは、スピリチュアル視点からは、宇宙の大きな流れの導きに感じ、私はその感覚も穏やかに信じています。
そして、リアルな人体の創りの不思議さ素晴らしさという視点から見ると、人の心身の構造上、1つの感情の層がめくれたら、自然とその次
愛と感謝の気持ちと、自分軸の境界線
先日、私が私の中の軸さえしっかりしていれば、両親に連絡をとった際、両親から例えどんな言葉を言われても、捉え方や解釈で、傷つく事も出来るし、傷つかない事も出来る、と思いました。
という事は、自分次第で、自分の捉え方次第で、自分の現実が変わる、という事だと思いました。
すべて自分次第なんだな...と思えたら、
ただただニュートラルな自分で生きていいと思えて、ただただニュートラルな自分であるだけだから
気づきまでの思考と感情に沿う①~両親への執着の手放し~
本当に、私はなぜ、こんなに両親に拘るのだろうと思いました。
辛い記憶のほうが多い両親との関係のはずなのに、なぜかいつまでも、どこかに見えない温もりがあるはずと信じて、どこにあるのだろうと探し求めてしまう。
宗教に入信する前の両親の記憶や、実家での暮らしの記憶が、身体記憶、脳内記憶としてあるのでしょうか。私は...あるような気もしますが、覚えてはおらず...わかりません。
私の飛躍した思考は、両親
思い出した愛を抱きしめて~母親と幼い私~
自分との向き合いを振り返って、
今、私は、自分の事を愛する事が出来ているんだな...と感じました。
どんな自分でも受け入れようと思って、少しずつ、受け入れられてきて、今、受け入れる事が出来ている...。
当初は、自分を愛するという事が、よくわからなかった私でした。それが、少しずつ変化する事が出来て、自分で自分の事を、ありのまま認めて大切に思い、大切に接し、優しい気持ちで愛していると、守っていると感