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エッセイと論文

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記事一覧

志賀直哉についての記事に注xxxviii [主観・自我・身体性〈柄谷行人・メルロ=ポンティ・志賀直哉〉]を追加。xiには加筆、一部は本文中へ。

志賀直哉についての記事に注xxxviii [主観・自我・身体性〈柄谷行人・メルロ=ポンティ・志賀直哉〉]を追加。xiには加筆、一部は本文中へ。

以前書いた志賀直哉のエッセイ「国語問題」についての論考に、注(xxxviii) [主観・自我・身体性〈柄谷行人・メルロ=ポンティ・志賀直哉〉]を追加。また注xiに加筆し、もと注にあった文章から、柄谷行人の『日本精神分析』からの引用を含め、一部を本文中へ挿入しました。

先月、論考を書いてから2年の節目にこれでしばらくこの事からは離れと書いたばかりなのですが、これで2回目の追加・変更です。
本論の内

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志賀直哉についての記事に注xxxv〜xxxvii(標準語・共通語・国語・言文一致・国語学など)を追加。

志賀直哉についての記事に注xxxv〜xxxvii(標準語・共通語・国語・言文一致・国語学など)を追加。

以前書いた志賀直哉のエッセイ「国語問題」についての論考に、注(xxxv〜xxxvii)を追加しました。

先月、論考を書いてから2年の節目にこれでしばらくこの事からは離れと書いたばかりなのですが

自分が前提としていることを元に、あまり説明せずに無造作に標準語・国語・言文一致体という言葉を使っていると気づき、その事に関連して、3つに分けて述べました。

何か一つ一応の解決をしたと思うと、次の課題が

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志賀直哉「国語問題」について書いて2年

志賀直哉「国語問題」について書いて2年

志賀直哉のエッセイ「国語問題」に関する論考を書いてからちょうど2年がたちました。

これは長年考えてきた内容で、多くの人に読んで欲しかった。しかし込み入った内容だし、ポップな話題でもないから、アクセス状況のビュー数2000〜3000を目標としました。

いろいろと工夫をして、それは1年目で達成したのですが、ビュー数はTLに上がった数なども入り、能動的なアクセス数ばかりではないことを知って、それでは

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占領下の抵抗 / 志賀直哉のエッセイ『国語問題』をめぐって

占領下の抵抗 / 志賀直哉のエッセイ『国語問題』をめぐって


はじめに

志賀直哉の随筆はどれも面白い。その中には「フランス語を日本の国語にする」と主張した『国語問題』 [1]も含まれています。これがなんともいい。含蓄に富む文章です。

「フランス語を日本の国語にする」とだけ聞いた時と『国語問題』を通読した後とでは、印象は全く違います。そこには志賀直哉独特のアイロニーがある (ⅰ)。
しかしこれは単なる皮肉(cynicism)ではありません。志賀はフランス

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志賀直哉についての記事の注xxxivの訂正部分に新たに文章を加えました。

先日削除した注xxxivのなかの(*2)を別の文章にして、新たに(*2)として加えました。
m(_ _)m

先日の削除の経緯↓

志賀直哉についての記事に注xxxivを追加[イ・ヨンスクの『「ことば」という幻影』での志賀直哉と北一輝について]

以前書いた志賀直哉のエッセイ「国語問題」についての論考に、注(xxxiv)を追加しました。

注(xxxiv)

先日、これでこの記事に注をつけるのはおしまいと言ったばかりなのですが、志賀直哉の「国語問題」を正面から取り上げた記述を新たに見つけてしまったので、それについて私見を述べました。

とうに手に入れていた本だったのに気が付かなかったとは。持っている事も忘れていた....。とほほです。

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志賀直哉についての記事に注xxxiiiを追加(森有礼の簡易英語について)にて終了。感想など。

志賀直哉についての記事に注xxxiiiを追加(森有礼の簡易英語について)にて終了。感想など。

以前書いた志賀直哉のエッセイ「国語問題」についての論考に、注(xxxiii)を追加しました。

注(xxxiii)

これでひとまず、この論考に注をつけるのも終わりです。今思いつくものは全て上げました。

志賀直哉の国語問題についての論考

「鬼滅の刃」と「進撃の巨人」についてや

レベッカとSPEEDについてなどは

拙論を書いた時に念頭にあったので、注としてですが、何とかまとめられて良かった。

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レベッカについての幾つかのnoteの記事を読んで

レベッカについての記事を書いてから、レベッカについてのnoteの記事を拾って読んでいます。

殆どは興味をそそられないが、幾つかにはどきりとした。
僕には空想的にしか思えないレベッカの歌詞がとてもリアルに響く人がいる事を知った。
捉え方は人それぞれでこうも違うのかと、何とも驚きました。書く前にも検索したはずだが、そういったものが目に留まらなかったのが不思議です。(見ていて、そのように捉えられていな

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志賀直哉についての記事に注xxviiを追加(戦後GHQの国語ローマ字化政策について)

以前書いた志賀直哉のエッセイ「国語問題」についての論考に、注(xxvii)を追加しました。

注(xxvi)

この注の必要性を思い立ったのは、はーぼさんの記事↓のコメント欄での対話のおかげでした。
私の不躾な問いかけに真摯に答えてくださったはーぼさんに感謝したい。

志賀直哉の国語問題についての論考

自己紹介の代わりに