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本能寺の変1582 第14話 4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第14話 4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 6/7 

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信長は、信盛を切り捨てた。

 「手柄を上げる」か、「討死」するか。
 これすなわち、「不要」、と同意。
 
  一、此の上は、いづかた(何方)の敵をたいらげ、
    会稽(かいけい)を雪(そそ)ぎ、一度帰参致し、
    又は、討死する物かの事。

信盛は、不意を衝かれた。

 恐ろしい時代なのである。
 「一寸先は闇」
 全く、予期せぬことであった。

そして、追放。

 信盛は、高野山で謹慎する他なかった。 

  一、父子かしらをこそげ、高野の栖(すまい)を遂げ、
    連々以て(それをずっと続ければ)、
    赦免、然るべきやの事。

                          (『信長公記』)

信盛は、全てを失った。

 地位も、名誉も、所領も、家臣も、財産も。

フロイスの証言である。

 この頃、フロイスは九州にいる。
 畿内方面には、盟友オルガンティーノがいた。

  佐久間(信盛)殿は、信長の総司令官であり、彼が政庁において有する
  もっとも高位で、富み、かつ強力な殿であった。

  ところで彼はその性格から戦いにおいてあまり活躍せぬばかりか、
  むしろいくぶん怠慢でもあったので、

  信長は彼が身分の高いことやその親族が有力であることを考慮せず、
  また彼が将来いつかは必要とする人物であることを考えることなく、
  彼をその息子(正勝)とともに追放してしまい、

  信盛は流謫(るたく)中に死去するに至った。
                           (『日本史』)

 【参照】4光秀の苦悩 1嫡男光慶  小    7
   フロイスもまた、歴史の証人である。『日本史』
   フロイスの経歴一覧あり。   

もし、この事件がなかったら、・・・・・。

 「彼が将来いつかは必要とする人物であることを考えることなく」
 意味深い一言である。

信長は、粛清の人。

不意を衝く。

恐ろしい男なのである。

 信盛は 、織田家から抹消された。

  右、数年の内、一廉(ひとかど)の働きなき者、未練の子細、
  今度、保田において思ひ当り侯。

信長は、絶対専制君主。

 逆らう者など誰もいない。

  抑(そもそ)も、天下を申しつくる信長に、

口答えなど、以ての外なのである。

 信盛は、甘かった。

  口答申す輩(ともがら)、前代に始り侯条、

信長は、信盛を粛清した。

 斯くして、全てが終わった。

  爰(ここ)を以て、当末二ケ条を致すべし。
  請けなきにおいては、二度天下の赦免これあるまじきものなり。

     天正八年八月 日

                           (『信長公記』)

光秀は、この光景を目の当たりにした。

 重臣たちは、震え上がった。 

光秀は、大きな衝撃をうけた。

「狡兎死して、走狗煮らる」

 用が済めば、捨てられる。
 正に、故事の如し。

  飛鳥尽きて、良弓蔵(かく)る、
  狡兎(こうと=うさぎ)死して、走狗(そうく=犬)烹(煮)らる、
                       (「史記」越王勾践世家)

「明日は、我が身」

身につまされる思いであった。




 ⇒ 次へつづく  第15話 4光秀の苦悩 4粛清の怖れ


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