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本能寺の変1582 目次小 5藤孝との出会い 第19~29話 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

目次小 5藤孝との出会い 第19~29話 

はじめに ←目次 ←前回 目次小 4光秀の苦悩 第7~18話 
重要 ◎目次 

1将軍殺害

 第19話
  
藤孝は、信長と同年齢である。
  藤孝は、元々、第十三代将軍足利義輝の家臣だった。
                       「永禄六年諸役人附」
  この時、光秀は、まだ幕臣になっていない。
  永禄八年1565、五月十九日。
  世を震撼させる大事件が勃発した。         『信長公記』
  将軍義輝が殺害された。              『信長公記』
  大衆は、世の乱れを憂えた。            『信長公記』

 第20話
  
義輝の次弟覚慶は、捕らわれの身となった。     『信長公記』
  この覚慶こそ、後の足利義昭である。
  義昭(覚慶)は、奈良を脱出した。    『信長公記』「多聞院日記」
  義昭は、幕府再興に動き出した。
  義昭は、上杉謙信を頼った。           「上杉家文書」
  謙信は、これまで二度上洛している。
  大覚寺義俊が上杉の窓口だった。         「上杉家文書」
  丹波の赤井直正。                「上杉家文書」
  やがて、光秀の宿敵となる男である。
  大覚寺義俊は、上杉に傾斜していく。       「上杉家文書」

 第21話
 
◎義昭は、近隣諸国の大小名へ御内書を送った。
 ◎信長との交渉は、すでに始まっていた。 「東京大学史料編纂所蔵」
 ◎信長は、義昭への協力を約束した。   「東京大学史料編纂所蔵」
  言うは易し、行うは難し。       「東京大学史料編纂所蔵」
 ◎細川藤孝が、信長の窓口だった。    「東京大学史料編纂所蔵」
 ◎細川藤孝は、次第に、信長へのめり込んでいく。
 ◎その延長線上に、光秀と藤孝の出会いがあった。
 ◎このことが、光秀と信長の邂逅へと繋がる。

2上洛不発

 第22話
  
永禄九年1566、春。
  細川藤孝は、尾張にいた。
  信長に対する、義昭の期待は大きかった。     「和田家文書」
  藤孝は、信長に入れ込んだ。
  結果、義昭の家中に二つ流れが生じた。
  藤孝は、尾張に踏みとどまった。
  ところが、状況が変わった。           「和田家文書」
  長引くのには、理由があった。          「和田家文書」
  義昭は、不安だった。              「和田家文書」

 
第23話
 
◎細川藤孝は、信長から言質を得た。
  義昭の家中は、沸き立った。
  義昭は、これを各所へ知らせようとした。
 ◎上洛間近、誰もがそう思った。          「多聞院日記」 
  義昭の御内書である。              「多聞院日記」
 ◎信長は、確かに、約束した。           「多聞院日記」
 ◎だが、信長は、用心深い。            「多聞院日記」
  家康も、参陣する。               「多聞院日記」
  多聞院英俊がこれを書き写した。         「多聞院日記」
 ◎しかし、糠喜びに過ぎなかった。         「多聞院日記」

 
第24話
  
ここで、状況が一変した。
  三好三人衆が坂本に進出した。           「言継卿記」
  義昭は、六角承禎の離反を知った。
  武田信玄がこれらを見ていた。
  斎藤氏と武田氏は、良好な関係にあった。「中島文書」「戦国遺文」
 ◎義昭は、美濃と尾張の和睦を進めた。  「中島文書」「戦国遺文」
 ◎斎藤氏は、信長を信用していない。   「中島文書」「戦国遺文」
 ◎信長もまた、斎藤氏を信用していない。
 ◎「相互不信」
 ◎これが、この時代の風潮だった。
  斎藤氏は、和睦することに決めた。   「中島文書」「戦国遺文」
  細川藤孝は、そのために奔走していた。 「中島文書」「戦国遺文」
 
 
第25話
 
◎信長は、上洛を断念した。
 ◎「織上違変せしめ候」         「中島文書」「戦国遺文」
 ◎信長は、斎藤竜興を信用していない。
 ◎信長は、用心深く、疑い深い。
  義昭は、甘かった。
  幕府の権威は、疾(と)うの昔に失せていた。
  義昭は、大きなショックをうけた。   「中島文書」「戦国遺文」
  斎藤龍興は、三好三人衆と結託していた。「中島文書」「戦国遺文」
  細川藤孝は、判断を誤った。
 
 
第26話
  
信長は、嘲笑の的となった。      「中島文書」「戦国遺文」
  信長は、再び、美濃を攻めた。     「中島文書」「戦国遺文」
  これで、和睦は消滅した。
  義昭は、失望した。
  細川藤孝は、面目を失った。
  義昭は、矢島から若狭へ向かった。
  山科言継の証言である。              「言継卿記」
  山科言継は、信長のことをよく知っていた。
  若狭は、内乱状態にあった。           「多聞院日記」
 
 
第27話
 
◎信長は、河野島で斎藤龍興に敗れた。  「中島文書」「戦国遺文」
 ◎信長の決断は、正しかった。      「中島文書」「戦国遺文」
 ◎隙を見せれば、命を取られる。     「中島文書」「戦国遺文」
 ◎信長は、再認識させられた。
  義昭は、若狭から越前敦賀へ移った。
  朝倉義景がこれを支援した。
  義景は、信長の一つ年上。
  義昭は、信長から謙信へ大きく舵を切った。 「御内書」「歴代古案」
  義昭は、謙信に上杉と北条の和睦を提案した。「御内書」「歴代古案」
  となれば、当然、上杉派の発言力が増大する。「御内書」「歴代古案」
  細川藤孝は、肩身の狭い状況に追い込まれた。

3天下布武

 第28話
 
◎永禄十年1567、夏。
 ◎斎藤氏は、内側から崩れた。            『信長公記』
 ◎信長は、この時を待っていた。           『信長公記』
 ◎信長は、稲葉山を包囲した。            『信長公記』
 ◎斎藤龍興は、伊勢長島へ逃げた。          『信長公記』 
 ◎信長は、稲葉山城を無傷で手に入れた。
 ◎信長は、美濃を平定した。             『信長公記』
 ◎信長は、井口の名を岐阜と改めた。         『信長公記』
 ◎斯くして、阻害要因は無くなった。
 ◎信長は、執念深い。

 第29話
 
◎「天下布武」
 ◎これが、信長の夢。
 ◎信長は、目的意識の強い男。
 ◎信長は、己の決意をこの朱印に込めた。
                  「坂井遺芳」「信長文書の研究」
 ◎光秀にも、夢があった。
 ◎明智の再興。
 ◎光秀もまた、目的意識の強い男。
 ◎光秀は、典型的な戦国武将。
  信長は、正親町天皇より綸旨を与えられた。  「信長文書の研究」
  足利義昭は、越前一乗谷に入った。        「朝倉始末記」



 ⇒ 次へつづく  目次小 6信長との出会い 第30~43話


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目次 が更新されました。

これで、全体像がよくわかる!!

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原因・動機の究明は、この一歩から!!


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重要 ◎目次 が更新されました。

本能寺の変

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