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本能寺の変1582 第143話 15信長の台頭 8三好の衰退 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第143話 15信長の台頭 8三好の衰退 

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永禄六年1563

細川藤孝は、将軍義輝に仕えていた。

藤孝は、義輝の側近「御供衆」だった。

 正月一日。
 山科言継が将軍御所に祗候した。
 その時の様子である。
 御供衆の中に、その名が見える。
 御所の様子がよくわかる。

  一日、庚辰(かのえたつ)、天晴、天一西、
  未の刻(14時頃)、武家に参る、
  (中略)
  御小座敷に於いて、御対面、

  公家、広橋大納言・予・飛鳥井中納言・新宰相・内蔵頭・
  飛鳥井少将・日野侍従・竹内蔵人等なり、

  外様に、摂津掃部頭、
  御供衆、大館十郎・同伊予守・上野民部大輔・
  細川中務大輔・同兵部大輔(藤孝)・一色式部少輔・
  伊勢七郎左衛門・伊勢七郎左衛門、
  御部屋衆、申し次番方以上七十計(ばか)りなり、
  今日の申し次、大館伊予守なり、

  次、慶寿院殿*へ参る、
  各(おのおの)に、御小盃下され、次、御酒これ有り、
  次、御台へ参る、
  御小盃・御酒これ有り、
  次、御さ五、小侍従局等へ礼申し候ひおわんぬ、
  次、春日局に見参、御酒これ有り、
  公家衆、各、同然、
  奉公衆、少々、
  申の下刻(17時頃)、帰宅しおわんぬ、
                          (「言継卿記」)

    *慶寿院 義輝の母。近衛尚通の娘。
         永禄八年1565、三好義継・同三人衆らの謀叛に
         より、義輝とともに殺害される。          

「永禄六年諸役人附」

 「永禄六年諸役人附」は、前半と後半に分かれている。
 何らかの理由で、接合されたらしい。
 以下は、その前半部分。
 すなわち、義輝の代。
 その頃の、幕府の体制である(①~⑨)。

 少々、長くなるが、光秀の来歴に関わることなので掲載した。
 参考にされたい。

  【参照】5藤孝との出会い 1将軍殺害 19   

 なお、「永禄六年諸役人附」後半部分は、義昭の代である。
 すなわち、永禄十一年1568以降のもの。
 これについては、先述した。

  【参照】6信長との出会い 4御父信長 42   43    

  永禄六年諸役人附
     光源院殿御代、当参衆、並びに、
     足軽衆以下覚え、
       永禄六年五月 日

  ①御供衆(12名)
   
大館陸奥守晴光
   同十郎輝光
   細川中務大輔輝経
   大館伊予守晴忠
   仁木七郎
   一色式部少輔藤長
   細川兵部大輔藤孝
   
上野孫三郎
   一色兵部大輔輝清
   畠山尉松
   伊勢因幡入道心栄
   同七郎左衛門尉貞知

  ②御部屋衆(9名)
   
細川宮内少輔隆是
   一色治部少輔輝喜
   朽木弥十郎輝孝
   上野与八郎
   杉原与七郎長盛
   荒川与三
   武田小次郎
   大館源五郎
   一色刑部大輔

  ③申次(17名)
  
 大和宮内大輔晴完
   小笠原備前守稙盛
   荒川治部少輔晴宣
   三淵伊賀入道宗薫(細川藤孝の実父)
   彦部雅楽頭晴直
   伊勢加賀守貞助
   海老名刑部大輔頼雄
   飯川山城守信堅
   進士美濃守晴舎
   一色市正信忠
   千秋左近将監輝秀
   小笠原又六
   伊勢又七
   海老名次郎
   武田宮内大輔
   祭主権大副康忠
   安東蔵人泰職

  ④外様結衆以下(57名)
   
摂津掃部頭晴門
   波多野彦五郎
   有馬源次郎
   本郷与三郎
   石谷孫九郎頼辰(よりとき)*
   
大館兵部少輔藤安
   進士源十郎藤延
   角田采女正藤秀
   安威兵部少輔藤備
   三上藤三郎安好
   (以下略)

  ⑤御小袖御番衆(10名)
   
大和治部少輔孝宗
   伊勢次郎左衛門尉貞満
   高伊予守師宣
   二階堂山城守
   片岡大和守晴親
   片岡与五郎輝親
   石谷兵部大輔光政*
  
 (以下略)

  ⑥奉行衆(16名)
   
(略)

  ⑦同朋衆(11名)
   
(略)

  ⑧御末之男(7名)
   
(略)

  ⑨足軽衆(27名)
   
(略) 
                      (「永禄六年諸役人附」) 

石谷頼辰は、光秀に関係する重要人物。

 *石谷頼辰は、斎藤利三の実兄。
  石谷光政の養子となる。
  光政の娘が長宗我部元親に嫁ぐ。
  頼辰の義妹である。
  したがって、元親は義弟にあたる。
  その様な縁があり、光秀と元親の橋渡し役となった。
  この頃は、義輝の家臣だった。
  光秀との関係は、もう少し後のこと。
  本能寺の変後は、土佐に逃れ、元親に仕える。
  きわめて重要な人物である。
  要、注目。

  【参照】8光秀の苦悩 6守るべき者 50   

石谷光政は、長宗我部元親の舅にあたる。

 *元親にとって、光政は、舅。
  頼辰は、義兄となる。
  時期はわからぬが、やがて、土佐に移り住む。
  父子は、元親から厚い信頼を得て厚遇された。
  
  これらについては、後述する。

細川藤孝は、幕府の重役だった。

光秀の名は、この中にない。

光秀は、将軍義輝に仕えなかった。

  【参照】5藤孝との出会い 1将軍殺害 19   



 ⇒ 次へつづく 第144話 15信長の台頭 8三好の衰退 



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