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本能寺の変1582 第142話 15信長の台頭 8三好の衰退 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第142話 15信長の台頭 8三好の衰退 

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教興寺の戦い。

 同、永禄五年1562。
 五月二十日。

義興の軍勢が押し寄せた。

 二万余とも云われる。

  五月廿日、河内国、教興寺(八尾市)に押し寄せけり、

畠山高政が軍勢を引いた。

 その様に、仕向けたらしい。
 高政は、高屋城を経て、烏帽子形城(河内長野市)へ。 

  松永、謀(はかりごと)を廻(めぐ)らし、
  ( 中 略 )
  諸人、吾(われ)先にと引ければ、
  夜中に、高政も、烏帽子形の城え引き退ける、

教興寺の付近が戦場になった。

 後詰の進出が功を奏した。
 紀州勢と激突。 

  紀州衆、玉木・湯川・根来寺衆、
  後陣にありて、夜明けに、引き退けるを、

  三好方、一万五千人、一手に成りて、追いかけ、懸かれば、
  ( 中 略 )
  三好方にも、よき士(さむらい)千余人疵(キズ)を被り、
  三百人、打ち死にす、 

 
 紀州勢を撃破。
 湯川直光、討死。 
 
これで、勝敗が決した。

  紀州衆は、湯川宮内少輔直光、大将にて、
  ( 討死した重臣十人の名がつづく 略 )等なり、
  ( 中 略 )
  都合、名をも知るゝ士(さむらい)八百余人、
  根来衆、二百人打ち死になり、

畠山方は、総崩れになった。

 安見宗房は、大坂石山本願寺へ逃げ込んだ。
 畠山高政は、堺から紀伊へ。

  安見・遊佐は、石山の城(本願寺)へ落ち行き、
  畠山殿は、烏帽子形にも怺(こら=堪)えず、堺え落ちらるゝ、

長慶は、飯盛山から打って出た。

 攻囲勢を追い払った。

  長慶は、一戦に、敵を押払ひ、忽(たちま)ち、運を開かるゝ、

三好方の大勝利である。

 斯くして、三好方は、畠山勢を押し返した。
 五畿内に、敵は、もういない。

  のみならず、
  河内・和泉・大和・山城・摂津、五箇国、皆、三好え降参しける、

三好康長が、高屋城に入った。

 高屋城は、阿波の三好氏の城である。
 康長は、その家臣。

  高屋城えは、三好山城守康長、入城しける、

  摂津国の住人、三宅出羽守国村も、畠山殿一味にて、
  同五月廿日、豊島郡を放火しけるが、高屋城自落の由を聞きて、
  城を落ちて、堺え引き退(の)きけり、

六角承禎は、将軍地蔵山から軍勢を引いた。

 京都から、近江へ撤退。

 承禎は、絶好の機会を失った。
 一体、何のための出兵だったのか。
 「二万余人」 
 名門、守護大名六角氏。
 ここ一番の時を生かせぬのである。
 このこと、以後、留意されたい。

  去年より、将軍地蔵山に在城して、度々、合戦ありし、
  六角衆も、畠山殿、落ち給ふと聞きて、
  二万余人、江州え、引き退(の)きてける、

  此の大勢にて、
  一戦は有るべきなれども、をおめおめと、引き返しけり、と、
  京童(わらわ)ども、小歌に作りて謡(うた)ひける、
                         (「足利季世記」)

しかし、実休は帰らず。

 長慶は、さらなる、不幸に襲われる。
 そして、それは、やがて、阿波へも飛び火して行く。
 これらについては、後述する。

三好長治が実休の後を継いだ。

 同十一月。
 高屋城である。 
 阿波三好家(実休の家)の重臣たちが集まった。
 主君の死=御家の危機。
 「若子様、御幼少の間」
 後継者長治は、まだ幼少だった。
 彼らは、一致団結して、これを支えることを誓約した。
 その、起請文である。

   定  条々
  一、高屋在城に付きて、各(おのおの)、水魚の思ひを成すべき事、

  一、若子様(長治)、御幼少の間は、私の愚意を打ち置き、
    御家の然るべき様に心持ち致すべき事、

  一、或いは知音、或いは与力・被官人、
    各、相肯定の旨、謂はざる族(やから)これある時、
    寄り親または縁者として、其の違を知りながら、取り育み、
    申し沙汰の事、
    (決定したことに背く者への取り締まりについて)

  一、各、諸事相談せしむるのところ、
    私曲を構へ、勝手次第に申し噯(あつか)ふ事、

  一、諸御公物等、各、同心なきところ、御訴訟を号し、抑留の事、
    付けたり、康長、算用事、

  一、公事、或いは喧嘩等出来の刻(きざ)み、
    死人より、これありと雖(いえど)も、
    遺恨を閣し、以って、穏便に相理り、有様次第に相果たすべき事、
    (訴訟・揉め事・喧嘩を穏便に処理すること)

  一、各の内、万一、私曲を相構へず、誤り定儀を相破る、これあらば、
    惣中として、達して、申すべき事、

    右条々、聊(いささ)か以って、相違有るべからず、
    若し、偽り、これあらば、
    日本国大少神祇、八幡大菩薩、殊に氏神三十番神、十羅刹女、
    天満大自在天神、罷るべき御罰を蒙る者なり、
    仍って、起請文、件の如し、

    永禄五年       篠原玄蕃助
      十一月廿九日        長秀(花押)
               加地六郎兵衛慰
                    盛時(花押)
               三好山城守
                    康長(花押)
               矢野伯耆守
                    虎村(花押)
               吉成出雲守
                    信長(花押)
               三好備中守
                    盛政(花押)
               三好民部慰
                    盛長(花押)
               市原石見守
                    長胤(花押)
               伊沢因幡入道
                    長綱(花押)
                          (「森田文書」)


 ⇒ 次へつづく 第143話 15信長の台頭 8三好の衰退 


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