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#エッセイ
ラーメン二郎ホンジュラス駅前店爆誕 ~古民家カフェも二郎も好きだから仕方ない~
一年振りに香川から東京に来た。東京はとことん誰かの「好き」が集合した街だなと思う。確かに、香川のような田舎にも当人の「好き」の溢れる店が異彩を放っていたりもする。だた、その煌めきもこの大都会ではすぐに埋もれかねないと感じてしまうのだ。
少し足を延ばして、鎌倉へ行ってみた。平日だというのに、恐ろしいほどの人がいる。もはや土日の金毘羅山より多いのではなかろうか。花屋に菓子屋、楽器屋、器屋。やはりここ
私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~
昨年から地元の小学生が集まる施設でボランティアをしている。
そもそもはとある不登校の中学生との出会いだった。その子と話しているときに、その子含め何かしらの形で子どもの力になれればと思った。またシンプルに昔から子どもといる時間が好きだ。実際大学時代も児童を対象としたボランティア団体に顔を出していた。だから、私欲ではあるがそんな時間も欲しかった。
その施設に初めて伺ったとき、スタッフの一人から「なぜ
インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」
ここ、大根畑なんだ。
そんな感動はタージマハルを見たときより大きかった。
私も、インドの人も大根を育てて食べている。それ以上でもそれ以下でもない事実が、なぜか嬉しい。
学生時代のある日「まだ分からないかもしれないけど、知性はセクシーだから、今のままの君で居てね」と言ってくれた人がいた。40歳手前だという彼とは旅先の沖縄で出会った。当時、私は大学院の修士課程を終えようとする頃だった。
30歳を
だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜
空は繋がっている、とあの歌は言う。
だから、何やねん。
いつの日だったか、カムチャッカの若者はきりんの夢を見ていた。そしてメキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。
そんな彼らと小学校の教室で出会った。国語の教科書の硬い表紙の裏側に彼らは住んでいた。
当時、故郷の大阪に居た。小学生の私の空がどこかの空と繋がっているなんて露とも思わなかった。
というよりむしろ、空はもはや校区内に限られていた。
シベリア抑留の遺構「日本人の道」 を歩く in カザフスタン
カザフスタン・アルマトイに残るシベリア抑留者が作った山道を実際に歩いた旅行記です。
舞鶴で見たシベリア抑留京都府舞鶴市には「舞鶴引揚記念館」という資料館がある。4年前、私はそこで主に旧満州からの民間人の帰国と軍属を主としたシベリア抑留に関する展示を見ていた。
80年近く前の話であるが故か、はたまた私自身が軍人に対する憧れを持ち合わせていないせいか、やはり民間人の苦悩の方がどこか相対的に心動かさ