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旅エッセイ

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#エッセイ

ラーメン二郎ホンジュラス駅前店爆誕 ~古民家カフェも二郎も好きだから仕方ない~

ラーメン二郎ホンジュラス駅前店爆誕 ~古民家カフェも二郎も好きだから仕方ない~

一年振りに香川から東京に来た。東京はとことん誰かの「好き」が集合した街だなと思う。確かに、香川のような田舎にも当人の「好き」の溢れる店が異彩を放っていたりもする。だた、その煌めきもこの大都会ではすぐに埋もれかねないと感じてしまうのだ。

少し足を延ばして、鎌倉へ行ってみた。平日だというのに、恐ろしいほどの人がいる。もはや土日の金毘羅山より多いのではなかろうか。花屋に菓子屋、楽器屋、器屋。やはりここ

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スマホもカメラも持たずに街へ出た

スマホもカメラも持たずに街へ出た

残り2%。この部屋のコンセントはなぜかベットの頭側でなく、足元側に設置されている。さすると元来怠惰で、また地元の謎のじいさんに勧められたウォッカを昨晩口にした私である。そんな私が夜の内に体を180度回転させてスマホに充電コードを差し込むなんてするはずがなかった。

ウズベキスタンのヒヴァは日本人の私からすれば嘘みたいな街だ。ヒヴァ・ハン国の首都だったというこの街は周囲を城壁に囲まれ、そこに迷路のよ

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インドのグッドシャワーおばちゃん

インドのグッドシャワーおばちゃん

2月末、コルカタはもう十分に暑かった。最高気温28度、前日まで滞在したブッタガヤの朝晩は少し肌寒いくらいだっただけに余計に堪える。

コルカタではインド旅行のラスト3日間を過ごした。すでに旅も25日目。「コルカタには何もないよ」と出会った多くのインド人が口を揃えたが、インドでは珍しく区画整理が整然と行われ、どこか安心感を覚えた。

コルカタの安宿街はサダルストリートという街の中心に位置する。しかし

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私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~

私欲で始めるボランティア ~インドのフリースクールでの出会い~

昨年から地元の小学生が集まる施設でボランティアをしている。
そもそもはとある不登校の中学生との出会いだった。その子と話しているときに、その子含め何かしらの形で子どもの力になれればと思った。またシンプルに昔から子どもといる時間が好きだ。実際大学時代も児童を対象としたボランティア団体に顔を出していた。だから、私欲ではあるがそんな時間も欲しかった。

その施設に初めて伺ったとき、スタッフの一人から「なぜ

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インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」

インドの大根畑と「目に映るすべてのことはメッセージ」

ここ、大根畑なんだ。
そんな感動はタージマハルを見たときより大きかった。

私も、インドの人も大根を育てて食べている。それ以上でもそれ以下でもない事実が、なぜか嬉しい。

学生時代のある日「まだ分からないかもしれないけど、知性はセクシーだから、今のままの君で居てね」と言ってくれた人がいた。40歳手前だという彼とは旅先の沖縄で出会った。当時、私は大学院の修士課程を終えようとする頃だった。

30歳を

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だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜

だから、何やねん 〜ガンジス川と『朝のリレー』に寄せて〜

空は繋がっている、とあの歌は言う。
だから、何やねん。

いつの日だったか、カムチャッカの若者はきりんの夢を見ていた。そしてメキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。
そんな彼らと小学校の教室で出会った。国語の教科書の硬い表紙の裏側に彼らは住んでいた。

当時、故郷の大阪に居た。小学生の私の空がどこかの空と繋がっているなんて露とも思わなかった。
というよりむしろ、空はもはや校区内に限られていた。

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100ルピーの笑顔

100ルピーの笑顔

ガンジス川に向かう階段を降ると、そこは陽だまりになっていた。朝のひだまりには、極端なまでに人に慣れた犬と、犬を人に慣れさせたインド人たちが集う。

ガンジス川の西側にはガートと呼ばれる階段上の沐浴場が84箇所続く。東から太陽が昇って沐浴場の裏手に沈むまで、ガートは常に日に照らされているのだった。

ガードに集まる人間はしたたかであり、愛を込めて換言すればちゃっかりしている。

無論、わかりやすく船

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シク教と石鹸と平等と

シク教と石鹸と平等と

昔の記憶をたどると「匂いまで鮮明に蘇ってきた」なんて思うことがある。匂いすなわち嗅覚は視覚以上に我々を我々たらしめているのかもしれない。

しかし、そんな匂いについて日本は比較的穏便ないしは控えめであろう。香水も他国ほどど浸透していないし、柔軟剤も海外製品からしたらもはや無香料のようなものだ。

ーーー

シク教総本山の黄金寺院に入るには、何人も手足の洗浄が必要らしい。

逆に言えば、手足さえ洗え

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新しいものを探す目

新しいものを探す目

ボスニアの博物館で英語のキャプションを読めると気づいたとき、一所懸命に英語を勉強して本当によかったと思った。そのとき私は20歳だった。
昨年、27歳の私はウズベキスタンの博物館で「俺が一所懸命読むより、画像翻訳のほうが早くて正確じゃないか?」と思っていた。

そのとき、なんとなく海外旅行の価値が下がった。

私は割と海外旅行に出るほうだと思う。
ただ年々海外旅行で何を見たいだの、食べたいだのといっ

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インドで人生変わる前に

インドで人生変わる前に

生まれて初めて、旅行に出る前にその旅行に関する文章を書いている。
というのも、近々インドに行くからだ。

巷でも、そして私の友人界隈でも、インドに行くと人生が変わるなんて噂がある。果たして本当なのだろうか。まだ私は半信半疑である。ただ、もしや帰国したらカレー屋をはじめてしまったりするのでは・・・

ということで、私の人生がインドで変わったと仮定して、未来の自分に向かって文をしたためておこうと思う。

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骨が変わる日は骨身にしみる

骨が変わる日は骨身にしみる

今日、骨が変わった。ちなみに、私の肋骨は昨日のそれと同じである。

「今日まだ骨の出汁が出よるか分からんのや。薄かったら出汁足すから言うてや」
「おばちゃん、そんなん朝早いねんからしゃーないやろ。なんでもかまへんで」

それもそのはずまだ朝10時なのだ。こんな時間からラーメン屋の中華そばの出汁が完璧に出てるとは思っていない。

「ちゃうねん、兄ちゃん。今まで使てた肉屋がもう閉める言いよるんで。ウチ

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タジキスタンの首都をチャリンコで走ってみた

タジキスタンの首都をチャリンコで走ってみた

エリートとカフェで鉢合わせたその数十分後に、金持ち扱いされた私の所感

タジキスタンってどこですか?最初に申し上げておくと、普段の私はチャリンコ乗りではない。たまたま泊まっていたゲストハウスがチャリンコを貸し出してくれるというので借りてみることにしたのである。

前日ウズベキスタンとの国境の町ペンジケントから脱出するのに8時間もかかり、もう歩く気力もない。かといってこの街のバスを乗りこなせるはずも

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シベリア抑留の遺構「日本人の道」 を歩く in カザフスタン

シベリア抑留の遺構「日本人の道」 を歩く in カザフスタン

カザフスタン・アルマトイに残るシベリア抑留者が作った山道を実際に歩いた旅行記です。

舞鶴で見たシベリア抑留京都府舞鶴市には「舞鶴引揚記念館」という資料館がある。4年前、私はそこで主に旧満州からの民間人の帰国と軍属を主としたシベリア抑留に関する展示を見ていた。

80年近く前の話であるが故か、はたまた私自身が軍人に対する憧れを持ち合わせていないせいか、やはり民間人の苦悩の方がどこか相対的に心動かさ

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旅する暴力団

旅する暴力団

あのイカから溢れる香りがカネの匂いでなかったことだけは確かだ。

高知で出会ったお祭りと的屋先日、高知県でとある港町に立ち寄った。理由は何と言っても地元の市場でカツオのたたきを食べるためである。

とはいったものの、市場の開く時間まではまだ小一時間あるらしく、少し時間を潰さねばならない。というわけで辺りを散歩すると、少し大きな神社を見つけた。そして、今宵はお祭りらしく、数多くの的屋が夜に向けて準備

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