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日本と世界、世界と日本、なんとも大風呂敷なタイトル

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#イスラエル

「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ

「西洋」の 欺瞞 と 偽善 〜 さらば バーニー・サンダース, さらば リチャード・ドーキンス, くたばれ ユヴァル・ノア・ハラリ, くたばれ ボブ・ディラン, ついでに言うと, ぼのぼの は好きだが, U2 の ボノ は最低だ


前説: 本 note は 一言で言うと(一言が長い!) 〜 この秋 あらためて認識した, 今度という今度はつくづく, つくづく, 正真正銘つくづく, つくづく うんざりした, 「西洋」の, 欧米の, 彼らの民主主義・自由・公正・公平・平等といった概念の裏にある 欺瞞 と 偽善 と ダブルスタンダード についての 殴り書き, 走り書き, 端折り書き 〜 要するに, 「西洋」の偽善 に関する, ざっ

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イスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判

イスラエルの歴史家・哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「人類と新型コロナウイルスとの闘い」論考批判

序最初にことわっておくと、タイトルの「批判」の意味はおそらくは一般に多用されているような「否定的な評価」というような意味合いでの「批判」だけを意味しているのではありません。「批判」には元々、上記のような使われ方における意味の他に、その対象に検討を加え、判定もしくは評価すること、という意味があります。平たく言えば、良い点、悪い点を見分け、評価なり判定なりを行なうという作業です(その他に哲学における用

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1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

1983-84年ユーラシア大陸(+アフリカ大陸北東端!)「ほぼ」一周の旅, note リンク集

前説最初に念の為に書いておくと, この前文の下にある 本 note 目次つまり旅 note リンク に付いている, それぞれのタイトルには, 「(写真 .. 枚)」と書いてあったりなかったりするものがあるのだが, 後者であっても, すなわちそうした記載がなくとも, 殆どの note にそれぞれの土地で撮った写真は掲載してある。ではでは。

さて, 以下の前文は, 本 note を投稿する今日 2

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ガザ地区, 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月16-18日

ガザ地区, 被占領地パレスチナ 〜 1983年10月16-18日

パレスチナのガザ地区は現在の軍事封鎖下の環境と違い, (当時も今も変わらずイスラエルの軍事占領下にある)パレスチナのヨルダン川西岸地区と同様に, 当時はやはり軍事占領下の地域だった(もちろん同じくイスラエルによる!イスラエルのせいで説明が毎度毎度ごちゃごちゃする地域だね)。1983年4月26日に日本を発ち, ソ連・ヨーロッパ諸国を旅し, 1ヶ月いたギリシャを発って中東(西アジア)諸国の旅を始め,

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アカバ(ヨルダン), 1983年9月23, 24日 〜 西に見えるイスラエル領エイラートに向かって

アカバ(ヨルダン), 1983年9月23, 24日 〜 西に見えるイスラエル領エイラートに向かって

アカバ湾を横目に, 国境近くまで歩いてみたのは, 1983年9月23日。警官も兵隊も OK と言うので歩いてみたのだが, どうなったかは後で! .. なお, タイトル写真は同年9月25日朝, アカバをローカルバスで発ってペトラ遺跡に向かうその前に, 泊まっていた宿から撮ったアカバ湾。向こうに見えるのはイスラエル領エイラートの街。

1983年4月26日に日本を発って ソ連・ヨーロッパ諸国, トルコ

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ヨルダン, アンマン で パレスチナ難民キャンプ を訪ねて 〜 1983年9月19-23日

ヨルダン, アンマン で パレスチナ難民キャンプ を訪ねて 〜 1983年9月19-23日

1983年4月26日に日本を発って, ソ連・ヨーロッパ・トルコ・シリアを旅し, 同年9月19日にシリア・アラブ共和国の首都ダマスカスを発って陸路, ヨルダン・ハシミテ王国の首都アンマンへ。ヨルダンではアンマンの他, アカバとペトラに行き, ペトラからアンマンに戻り, その後, アンマンから陸路, というかヨルダン川を渡って, イスラエルによる国連安保理決議違反の軍事占領下ヨルダン川西岸地区に入り,

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シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日

シリアが括弧付きながら「平和」だった時代 〜 最初の訪問地 アレッポ, 1983年9月5-10日

1983年4月26日に横浜港で当時のソ連・ナホトカ行きのフェリーに乗って日本を発ち, その後, ソ連とヨーロッパを旅し, 7月11日から 1ヶ月はギリシャ, 8月11日から 1ヶ月弱はトルコを旅し, 9月5日にトルコ側国境の街アンタキヤを出て, 陸路, 初めて訪れるアラブの国, シリア(シリア・アラブ共和国)に入国した。21世紀に入って内戦に陥る時期よりもだいぶ以前の, 曲がりなりにも, 括弧付き

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ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡を訪ねた, 1983年6月21日

ダッハウ強制収容所(ナチス・ドイツによる最初の強制収容所)跡を訪ねた, 1983年6月21日

ダッハウ強制収容所 跡, 訪問 〜 1983年6月21日(写真7枚)
1983年4月26日に日本を発ってソ連, フィンランド, スウェーデン, ノルウェー, デンマーク, 西ドイツ及び当時はアメリカ合州国・イギリス・フランスの占領下だった西ベルリンと東ドイツの東ベルリン, ベルリン・ケルン経由でフランス, スイス, 再び西ドイツに入りハイデルベルク, ミュンヘン, フュッセン経由でノイシュヴァンシ

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ドイツ最古の大学がある街 ハイデルベルク 〜 西ドイツ時代, 1983年6月16日(写真8枚)

ドイツ最古の大学がある街 ハイデルベルク 〜 西ドイツ時代, 1983年6月16日(写真8枚)

1983年4月26日の横浜港でスタートしたユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅, その50日目, 1983年6月14日にマッターホルンの華麗, 荘厳, 雄大な景色を堪能して1拍したスイス・ツェルマットを翌6月15日に発ち, 最初はオーストリア・ウィーンに行くつもりが, スイス・バーゼルに出たところでどういうわけか気が変わり, ドイツ(当時は「ベルリンの壁」時代なので西ドイツ!)のハイデルベルクへ向かった

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スイス, ジュネーヴ滞在 〜 1983年6月13日, ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫

スイス, ジュネーヴ滞在 〜 1983年6月13日, ジュネーヴ第4条約を想起しつつ BGM は King Crimson, Pink Floyd & more ♫

1983年4月26日に日本を発って49日目, 直前10日間滞在したフランス, パリを振り返る1983年6月3日朝6時半頃から 6月12日夜11時59分まで(細かい!)10日間滞在したパリを振り返ろうと思ったのは, 1983年6月12日夜11時59分(日記によれば, だけど筆跡は11時「54分」にも見えて微妙, 細かい!)パリ・リヨン駅発の夜行列車に乗って, 翌6月13日朝(この日は何時何分とか書い

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自称「イスラム思想研究者」 批判 〜 キリないから正直もう面倒くさいのだが, その露骨なテク(略してローテク)があまりに醜悪なのでね

自称「イスラム思想研究者」 批判 〜 キリないから正直もう面倒くさいのだが, その露骨なテク(略してローテク)があまりに醜悪なのでね

自称「イスラム思想研究者」とは広い世間では「知る人ぞ知る」ぐらいの存在ではあるものの, 今や悪名高まった面もあってけっこう名が売れてきてる 飯山陽 のこと。因みにタイトル上のイメージは 飯山陽 とは「直接的な」関係はない, 念のため。あれは本 note 投稿の最後に, しょうもない話題の後には気分転換が必要だよね, 音楽でも聴こう, でもここでは折角だから Musicians For Palest

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