強制収容所

『運命ではなく(SORSTALANSÁG)』

著書名:『運命ではなく(SORSTALANSÁG)』

著者名:ケルテース・イムレ(Kertész Imre)
1929年ハンガリーのブダペスト生まれ。第二次世界大戦中、アウシュヴィッツなどで収容所生活を送る。最初の作品である本書により、ドイツ、フランス、アメリカを中心に高い評価を受ける。他の作品として、『挫折』(1988)、『生まれなかった子のためのカディシュ』(1990)などがある。ニーチェや

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人間は平等など全くの嘘だ。

人間は平等だとかいうが全くの嘘だ。身も蓋もないが、人命には社会からお前はいくらの価値しかないと値札が付けられている。社会はとことん徹底して不平等で不条理なものだ。人間なんか掃いて棄てる程あって、こいつら邪魔だから処分したいというのが社会を運営する側の偽らざる本音である。社会にとってあなたの替わりになる人間なんかいくらでもいる。

日本国憲法とやらには基本的人権だとかいう理念があるけど、それだって、

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イワン・デニーソヴィチの一日

オススメ564。"睡眠時間を別にすれば、ラーゲルの囚人たちが自分のために生きているのは、ただ朝飯の十分、昼飯の五分、晩飯の五分だけなのだから"1962年発表、世界的ベストセラーとして衝撃を与えた本書は、著者の実体験を下敷きにして収容所の圧縮された一日、各階層のあらゆる人々の姿を克明かつ淡々と物静かに描き印象に残ります。

個人的には、ドストエフスキーやトルストイといった誰もが知る大御所作家とは別に

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チェコにも強制収容所があるーテレジーン

いわゆる「強制収容所」と聞けば、「アウシュヴィッツ」と発想する人も多いだろう。私も実際、ポーランドのアウシュヴィッツでのツアーにも参加したことがある。

小学生の頃、家族旅行で沖縄のひめゆりの塔に行って以来、戦災を経験している場所にはよく足を運ぶようになった。ヨーロッパの国には、いくつかの強制収容所があり、チェコにもテレジーンという街にテレジーン要塞がある。

テレジーンという街は、第二次世界対戦

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鬼畜商売の中国共産党

■ウイグルを観光地化
 中国共産党は東トルキスタンを併合。その後ウイグル自治区になったが、実際はウイグル人による自治区ではない。中国共産党はウイグル人から宗教・歴史・文化・風習・言語を奪い、中国共産党が求める思想だけを押し付けている。

 中国共産党はウイグルに強制収容所を作り、再教育と称して民族性を抹殺している。ウイグル全土が強制収容所と言える場所で、地元の人間は強制収容所に居る。これでウイグル

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見てくれてありがとうございます。
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知られざるナチスの収容所

6月末、修論関係で人生2度目のポーランドに行ってきました。

ポーランドと言ったら、何を思い浮かべるでしょうか?

ショパンは有名ですね。ワルシャワの旧市街も素敵です。それとも、アウシュヴィッツを思い浮かべるでしょうか?

私は今回、時間の都合でワルシャワとグダンスクという街にしか行けませんでした。本当はルブリンという街に行きたかったのですが、それは次にとっておきます。ルブリンにはマイダネクという

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第81弾「いきあたりバッチリ」

ハーイ!みんな元気?あたしけいご。

81曲目はこれ。いきあたりバッチリ。出して出して出しまくるわよ(音楽)。これはもう『いきあたりバッチリ』と言いたかっただけの曲です。やりたいことをやったもん勝ち。青春なら。的な。的な。あたし、今日、思いました。どれだけ恵まれた環境にいても、やらないやつはやらない。逆に、どれだけ厳しい環境にいても、やるやつはやる。環境なんて、関係ない。

「いきあたりバッチリ」

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あなたが生きている今日は、なんと素晴らしいことでしょう!!!
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ダッハウ強制収容所に行って

去年の12月、初めてドイツへ行き強制収容所に初めて訪問しました。

強制収容所を訪問してみて感じたことがたくさんあるのでその時に書いた感想をここに残しておきたいと思います

とりあえずまず根源です。

なぜナチズムはここまで卑劣になれたのか、なぜ人間が人間に対して非人道的な行為を繰り返すことができたのか

私の解釈でいうと

人間の嫉妬が人間を悪魔えと変える

つまり根源は嫉妬なのではないか

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【エッセイ】イルクーツクに眠っていた祖父

ロシア連邦イルクーツク州「第7収容所第1小病院」。

私の祖父は、終戦の年(昭和20年)の暮れ、その強制収容所で亡くなった。

 厚生労働省に、旧ソ連政府より提供された「抑留中死亡者名簿」には、344名の名前と埋葬場所の地図が記されていたそうだ。

 遺骨の収容が始まったのが、平成14年の夏。

 名簿や日本政府の保管資料を照合した結果、祖父の長男である私の父の元に連絡が届いたのが、平成25年の春

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嬉しいです!堂々と前に進んで行こうと思います。
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