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「夜と霧」読みました。

「ケーキの切れない不良少年たち」の続編「どうしても頑張れない人たち」の中で紹介されていたヴィクトール・フランクルさんの「夜と霧」が気になって読んで見ました。ご存知の方も多いかと思いますが、ユダヤ人精神科医である著者のナチスドイツの強制収容所で過ごした3年間の体験記で、「言葉を絶する感動」と評される世界的なロングセラーとのことです。
著者が過酷な環境の中、開放され聴衆を前に素晴らしいホールで「強制収容所の心理学」というテーマで講演しているシーンを空想する心理的トリックで、現実を超然と乗り切ろうとする記述は、読む方に、強制収容所の現実をイメージする緊張感から生々しく迫ってきます。
そして運命に左右され、絶望して「もう生きていることになんにも期待が持てない」と思う多くの収容者や加虐的なナチ親衛隊やカポーたち(収容者から選ばれた同胞監視役の醜悪な人たち🟰存在初めて知りました)が描かれる一方で、苦しみを自らの人生として受け止め、絶望することなく、「わたしたちが生きることからなにを期待するか」でなく「生きることがわたしたちからなにを期待しているのか」という境地で生を(死も含めて)全うし、他者にも優しさや愛情を示し続けられる人間が少数かもしれませんが、実在したという事実(著者も不十分だと自覚しながら、そうありたいと考えるようになった。)に心動かされるというか、わたし自身に人としての生き方、存在を内面から揺さぶるような衝撃、感動(このへんが正に言葉を絶するというところで表現しきれませんが、魂を揺さぶられるような物理的な実態感を感じます。)をもたらしました。
生きることに期待し、苦しみは避けたい。苦しみにあったらすぐ逃れたい。と思うのは当然のように思ってきましたが、振り返ってみても苦しみというのは常にあるものでしたし、死も避けられないのは必定ですから、生きることの意味を自らに問い直すことをしていきたいと思いました。

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