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ラーヴェンスブリュック強制収容所

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2022年10月23日

先週末、私は市民大学が主催するナチスのラーヴェンスブリュック強制収容所エクスカーションに参加してきました。ラーヴェンスブリュックはベルリンの北80kmに位置するドイツ最大規模の女性専用強制収容所で、1939年に女性の移送が始まりましたが、1941年には男性収容所も併設されました。収容されたのはドイツ人に限らず、ナチスドイツ占領下の国々からのユダヤ人、社会主義者、エホバの証人信者、同性愛者、聖職者、ユダヤ人を匿った一般市民、ロマ、反体制派などでした。

 収容所についての詳しい説明はまたいつか動画にあげたいと思いますが、とりあえずそれ以外で私が個人的に「驚いたこと」を3つほどご紹介したいと思います。

① このエクスカーションはベルリン在住の外国人を対象としたもので、ガイドの説明を聞きながら見学します。そのあと討論会がありますので、参加者は中級以上のドイツ語会話力を要します。参加費は無料、費用はベルリン市持ちです。ドイツの負の歴史を外国人にも知ってもらうために、わざわざこのようなエクスカーションを企画することに私は驚きました。ちなみにこの日の参加者は9人、ポルトガル、イタリア、フランス、スペイン2名、ポーランド2名、韓国、日本からでした。

②遠くから見学に来る学生や一般客のために、収容所隣にはユースホステルが併設されています。なんとその建物がかつての女性看守たちの宿舎だったというのですから驚きます。被収容者を暴行・殺害していた看守が暮らしていたその部屋の窓からは、6万人以上が殺害された収容所がそぐそこに見えるのです。ガス室は終戦直前に証拠隠滅で爆破されて存在しませんが、焼却炉はそのまま残っています。宿舎の造りが頑丈だからそのままホテルに再利用するのは合理的とはいえ、私は泊まるのは躊躇するでしょうね。他にもセミナーや会議にも利用されているそうです。

③この収容所敷地内には当時ジーメンス社の工場が併設され、ここで2000人以上の女性たちが無線電話機の組み立てに従事していました。一日の労働時間は11時間で休憩時間はほとんどありませんでしたが、外での過酷な肉体労働に比べれば天国であったとサバイバーが語っています。外では雨の日も雪の日も敷石に使う石のブロックを運び、立ち止まって休めば看守たちに鞭や棒で殴られるのですから、誰もが暖房のあるジーメンス工場で座って働ける「贅沢」を羨みました。それでも戦後、ジーメンス社はホロコーストの責任を問われ、過酷な労働を強いたかどでサバイバーに賠償金を支払っています。しかし、こういった被収容者を奴隷化させていたドイツの有名企業は他にも多く存在します。私が驚いたのは、現在ここのジーメンス工場跡をジーメンス社の研修生が掃除、手入れをし、歴史家の指導のもと特別展示会のために説明パネルを書かせ、特別展開催中は見学者に「いかに自社が被収容者から搾取し、過酷な労働環境下で人権を奪っていたか」を説明させていることです。これを「負の歴史と向き合う真摯な企業・ジーメンス社」として宣伝に利用していると考える人もいるでしょう。それでもここを実際に訪れてみれば、そんなちっぽけなことが目的ではないことに気付くはずです。


写真はラーヴェンスブリュック強制収容所隣の女性看守の住居。現在はユースホステル。

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