ともあすか

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  • 読みながら書く 第一巻

    エッセイ『読みながら書く』の第一巻です。 記事No.1~記事No.24の24本をまとめています。

最近の記事

夢のメモ

夢を見た。 私はひどく焦って、 ある場所へ急いでいた。 そこは「高校」であった。 高校は出たはずである。 が、高校と、契約をし、 そこへ通わねばならないと、 そういう焦りが、 仕事帰りの夕暮れの、 私を焦らせて、 バスに乗らせて、 夕日の中、交差点の脇の、 渋谷エストのような建物の三階にある、 高校へと向かわせた。 高校の下の階には、 スーパーがあって、 そこで一人の高校教師(男性)と、 すれ違った。印象は悪かった。 3階へ上がると、 誰もが丁寧な応対をしてくれて、 企業

    • ある夜の記憶

      親父が元気な頃だった。 夏の夜遅く若者が、 シゴニンそこらにタムロして、 うちの中までうるさくて、 私は一度警察へ、 電話してみた無駄だったが。 それでしばしば同じ者、 シゴニンやはりそこに来て、 夜通しカシなどかじっては、 飲めない酒を飲み捨てて、 分からぬ歌を聴きながら、 友を友とも思わずに、 未熟なまんまそこにいた。 それである夜わたくしは、 こいつら殺してしまおかと、 そんな派手なこた思わずに、 一言三言ののしって、 楽しんだろかと思ったが、 母上それに異を唱へ、

      • 映画「オッペンハイマー」の感想

        今日「オッペンハイマー」という映画を観た。 恐らく300名ほどは観客がいた。 映画の主人公ロバート・オッペンハイマー(1904-1967)は、物理学者である。 作中には、アインシュタイン、フェルミ、ボーア、テラーなど、講談社学術文庫等で時々目にする物理学界の大物がどんどん出てくる。 特に、作中何度も色々なアングルから描かれる、アインシュタインとオッペンハイマーが湖のほとりで短い会話を交わす場面は、この映画の中で特に印象的かつ、もの語り全体を象徴する(長歌に対する反歌)場面だ

        • 大貫妙子とぎがもえか

          友人の家を去る前夜、様々な音楽家の新曲を45秒くらいずつ聴いて、良いなと思ったものをチェックしていこう、と私が提案した。海外だとU2、ピクシーズ、ビリージョエルといった大御所から、サンダーキャット、ドレイク、テイラースイフト、バンパイアウィークエンドなど。日本国内では井上陽水、奥田民生、長渕剛、電気グルーヴといった大御所から、藤井風、あいみょん、ヨギーニューウェーブ、折坂悠太といった気鋭のアーティストまで。50曲ほどを次々に聴いていった。 ちなみに、我々はその日、「源氏山か

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        • 読みながら書く 第一巻
          12本

        記事

          1985年のエルトンジョン

          1985年3月12日朝、私はエヂンバラの珈琲店で珈琲を飲んでいた。珈琲が半分になった頃、ドアが開いて白いコートの男性が入ってきた。他の客は気づかなかったが、彼はエルトンジョンだった。 座った席が近かったので、彼の注文したものが聞こえた。私は珈琲のおかわりを頼み、わざと下手な調子で「サッドソングス」を小声の鼻歌で歌った。 彼はすぐに私を睨んだ。サングラスと、鼻と、口が、不愉快な時のエルトンジョンの手本のような様子に見えた。私はすぐに謝った。 「すみません。気に障りましたか」

          1985年のエルトンジョン

          大下一真の第七歌集『漆桶』を誦む

          大下一真の第七歌集『漆桶』を読む。 よみかたは、「しっつう」。 後記をよむと、平成25年~30年(2013~2018)の間に作った500余首の短歌と、二首の長歌を収めた、とある。(作者65才~70才) 初版発行は2021年7月2日だから、73才の誕生日に世に出た本ということになる。 椨(たぶ)という木がたびたび出てくる。 ・ふるさとは母に甘えに来るところ母なきふるさと蝉しぐれ降る ・親はやく亡くして娘が母となり孫抱きて来る歳月は川 ・歯切れよくもの言いし人の娘なり歯切れよ

          大下一真の第七歌集『漆桶』を誦む

          大下一真の第一歌集『存在』を読む

          先ほどから、大下一真さんの歌集『存在』を読んでいる。 大下一真(おおしたいっしん) 1948年7月2日生れ (静岡県) お父上は円覚寺派 城福寺の住職で、木俣修の歌誌「形成」の同人だった。 1971年に「まひる野」(窪田空穂主宰の歌誌)に入会。(23才) 1985年、鎌倉の瑞泉寺住職を拝命。(37才) 1988年 第一歌集『存在』刊。(40才) 同年、山崎方代の研究誌「方代研究」創刊にかかわり、以後編集を担当。 2022年 歌集『漆桶』で迢空賞受賞。 現在(24.3.

          大下一真の第一歌集『存在』を読む

          第二回ともあすか国際映画祭

          随分早く月日が過ぎてしまい、 2023年が終わった。 ようやくそのことを頭の中で理解して、整理して、 態勢を整えるほどの余裕が持てるようになってきた。 そこでやり忘れていた事が一つある事に気づいた。 昨年観た映画についての、総評を書いていなかったのだ。 昨年2023年、私は37本の映画を観た。 2022年は48本だからわずかに減っている。 最初に見たのは『カサブランカ』(1942年アメリカ)で、元日の夜に観た。 最後に見たのは『トータルリコール』(1990年アメリカ)で

          第二回ともあすか国際映画祭

          映画『トゥルーノース』の話

          備忘録として、くらいの心持ちで書いていますので、文体のくだけかたをお許しください。 1月2日、今年最初の映画を観ました。 『トゥルーノース』というアニメ映画です。 北朝鮮の強制収容所の中で暮らす人々の姿を描いています。 日本・インドネシア合作、2020年の映画です。 制作は相当難産だったようで、wikiを見るとその辺の事がちらほらと書かれていますが、それはそれとして、映画自体は本当に素晴らしいものでした。 強制収容所の中で日本人の女性が、おそらく拉致被害者でしょうが、亡

          映画『トゥルーノース』の話

          『読みながら書く』 12

          十二、『詩の誕生』について私はこの『詩の誕生』という本を今年(2023年)の3月26日に買った。そのころ私は映画というものに「しがみついて」いて「映画を見る事が全てを包括した学びである」というように考えていたが、この考えを維持するのは難しく、事あるごとに「これはどうも違うのではないか」と感じつつ、「いや、違わない。というのも――」と延々と思考を巡らしていた。そういう状態が9か月ほど続いた、その最後の頃に、この『詩の誕生』という本を本屋で見かけたのである。読むうちに、「むりやり

          『読みながら書く』 12

          『読みながら書く』 11

          十一、SAとOA 『人間関係の疲れをとる技術』(下園壮太著。朝日新書)という本を読んで、私は「ウーム」と考えこんでしまった。 不安が発生し、思考がこんがらがった。 むろんこの本自体は非常に優れた本である。文字通り人間関係の疲れをとり、心の不調を改善するための現実的な知恵に満ちている。 目についた部分を引用させて頂く。なお、引用文中で( )に入った黒字は私による補注である。 だんだんと自分の思考の絡まりがとけてきた。 整理のために、人間関係型不安をSA(Social Anxi

          『読みながら書く』 11

          『読みながら書く』 10

          十、自分の心の全貌は分からない 自分の心ではあるが、その全貌はまるで分からない。全貌の分からないものだから、変化が生じたときも、変化の理由や全貌が分からない。何かが変わったという感じははっきりとあるのだけれど、それを説明することは今すぐには出来ない。 二日ほど前に「長寿の秘訣」というものを、半ば冗談で、半ば真面目に、書いた。不思議なことに「長寿の秘訣」は、この二日間いつも心の中にとどまり、独特の落ち着きを私に与えた。が、その理由はよく分からない。 また、文章を書くことを

          『読みながら書く』 10

          『読みながら書く』 9

          九、嫉妬は肩こりのようなもの 人間の歴史の中で、嫉妬という語で表現される精神的「しこり」は、古今様々なバリエーションを展開して、人間の生活を良くも悪くも複雑なものにした。旧約聖書の「カインとアベル」物語、エディプスコンプレックス、源氏物語の「六畳の御息所」、トルストイの妻のケース等々。 ある仏教系思想家の方が「嫉妬は汚らしい感情です。恥ずべき感情です」というような事を書かれていた。それは違うのではないか。 自分が嫉妬しているということは恥ずかしい事、汚らしい事だという考えに

          『読みながら書く』 9

          『読みながら書く』 8

          八、長寿の秘訣 一、むやみに物事を追究しないこと 一、正しいことをしすぎないこと 一、長話をしないこと 一、良い本を沢山読むこと 一、ときどき文章を書くこと 一、ときどき運動をすること 一、名人の落語を聴くこと 一、調子が悪いときは医者に診てもらうこと 等々 (2023年6月16日)

          『読みながら書く』 8

          『読みながら書く』 7

          七、たまには短いものを書く  毎回長い文章を書くのはどうも疲れるから、たまには短いものを書くことにする。やすむことは大切なことだ。   ここ数日、気の向くままに文章を書いてきた。 今なんとなく思うのは、結局のところ、「大事なもの」は、私の状態や考えがどうであろうと、適切なタイミングで、私にぶつかって来るのではないか、ということである。人も然り、本も然り、考えもまた然り。 (2023年6月15日)

          『読みながら書く』 7

          『読みながら書く』 6

          六、安心感と違和感 昨日、友人の「note」を読むことが出来ない旨を書いた。今日、小雨の中を歩いている時に考えが進んだ。 読みたくない理由は、それを読むことによって、今ある「安心感(自分は十全であって、改善の検討等を今すぐ行う必要はないという感じ)」が崩壊するのが怖いからだ。今の私における安心感というのは例えば、「追究しないという事を心がければ大丈夫だ」とか、「随筆を書いていればバランスが取れるのだ」といった考えに支えられた安心感の事である。友人の文章を読む事で、何かし

          『読みながら書く』 6