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#ヘルパー
死ぬことすらできない辛さ 15 〜退院当日 後編〜
昨日は結局看護師達が帰った後30分くらい寝たのかな。
久しぶりの夫との晩ご飯。
私の食事は高カロリーの補助食品にとろみをつけたもの。
100mlも食べればお腹いっぱい。
高カロリーの補助食品は甘いけど美味しくはない。でも、それ以外に食べて良いと言われた物がないからそれを食べている。
同じ味だから飽きちゃうので、今度似たような豆乳ドリンクにとろみをつけたら食べても良いか聞いてみよう。
夕
死ぬことすらできない辛さ 14 〜退院当日 中編〜
点滴の管についたテープを上手く剥がせなかったため、結局管を取り替えることになった。
最初からそうすれば良いのに。
物品の請求ならうちにすれば良いんだから。
心の声は留めておいて、口では「 早くしてよ 」と急かしている。
ポートに針を刺されるのはやっぱり痛い。
ふんわり貼ってねと再度忠告する。
今度は大丈夫だ。
メインになる点滴、側管から繋げて流す痛み止めと胃薬、点滴以外の痛み止めの座薬
死ぬことすらできない辛さ 13 〜退院当日 前編〜
進行方向と逆向きだと酔う人いますよね。
平坦な線路上でも気持ち悪くなるのに、坂や凸凹道で上下運動も加わったら拷問に近いと思いませんか?
同じことに耐えられる人って居るのかしら。
介護タクシーから降ろされて家の中へ。
やっと帰って来られました。
自室のベッド上に移動し、姿勢を整えてもらう。
あー、やっぱり我が家が一番いいわ・・・。
気持ち悪いのを抑えながらも寛ごうと思ったが、ベッドの周り
死ぬことすらできない辛さ 12 〜退院が決まった〜
在宅の相談員さんがついに朝早くから来てくれるA訪問看護事業所と吸引ができるヘルパーさんを見つけてくれた。
在住の県ではなく隣県の事業所にまで声をかけて。
ありがとうと思うよりも遅かったわねの気持ちが強い。
1か月以上待っていたのだから仕方ないでしょ。
毎朝早く来てくれ、点滴や吸引のために朝・昼・夕と1日3回の訪問。
お昼は誤嚥性肺炎を起こしやすいから食事介助と口腔ケアをしてもらいたいと思
死ぬことすらできない辛さ 11 〜退院させてもらえない〜
点滴をしているため定期的に通院するのはなかなかに難しい。
途中で点滴が抜けたらどうする?
それだけでなく、頻回な吸引も必要なため家まで診察に来てくれる往診がベスト。
入院が必要な状態になったら、往診医から病院に連絡して入院させてもらえば良い。
往診してくれるクリニックは比較的スムーズに決まった。
問題は朝夕の点滴と夫不在時の吸引だ。
夫は7時過ぎには仕事に行く。
そんなに早く行く必要はな
死ぬことすらできない辛さ 10 〜意識不明〜
食べることを楽しむ私は入退院を繰り返した。繰り返しながらも、それはそれで割り切って生活していた。
きちんと食べていたし、水分補給もきちんとしていた
それなのに、脱水症で入院することになった。
暑い日が続いたと思うでしょ?
違うの。冬なの。
入院する所までは覚えている。
でも、それからの記憶が全くない。
夫や医者、看護師さん達の話によると、どうやら10日間意識不明の状態だったらしい。
死ぬことすらできない辛さ 5 〜一日の流れ〜
脚は動かない。
腕はまだ何とか動くけどすぐに疲れてしまう。
疲れずに出来るのは顔芸とおしゃべりくらいか。
顔芸はやらないけど。
家事で思いつくのは料理、洗濯、掃除、買い物
私に出来ることは口出しくらい。
最近の1日の流れを簡単に。
朝はパンとコーヒー
もちろん夫が用意する。
ベッドから車椅子に移乗させてもらい食卓へ移動。
最初は自分で食べるけど疲れたら夫に介助してもらう。
介助し
死ぬことすらできない辛さ 4 〜発症して5年〜
発症してどれくらいかは忘れたけど、足先に力が入らなくなった。
おかげでスリッパがすぐに脱げるようになったのは覚えている。
躓きやすく転びやすいのにスリッパを履くなとのツッコミは受け付けておりません。
2〜3年もすると徐々に脚に力が入らなくなった。
壁やタンスにもたれて掴まりながら歩く。
よく転んでおり、家の中を這いずって移動することもあった。
寝室は二階にあるため、起きてお弁当や朝食の準備で
死ぬことすらできない辛さ 3 〜決意を胸に〜
結婚生活も早3年。
いつもと変わらない毎日を過ごしている。
休日は家にいることが多いけど、久しぶりに旅行に行った。
温泉旅館に泊まってゆっくりとして帰ってきた時、段差のない所で躓いた。
楽しい旅行も帰って来ると疲れが出る。
そう思って気にしなかった。
しかし、次の日も躓いた。
その次の日も
嫌な記憶が蘇って来た。
兄も同じようによく躓いていた。
医師から検査をするように言われていたの