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#体験談
死ぬことすらできない辛さ 13 〜退院当日 前編〜
進行方向と逆向きだと酔う人いますよね。
平坦な線路上でも気持ち悪くなるのに、坂や凸凹道で上下運動も加わったら拷問に近いと思いませんか?
同じことに耐えられる人って居るのかしら。
介護タクシーから降ろされて家の中へ。
やっと帰って来られました。
自室のベッド上に移動し、姿勢を整えてもらう。
あー、やっぱり我が家が一番いいわ・・・。
気持ち悪いのを抑えながらも寛ごうと思ったが、ベッドの周り
死ぬことすらできない辛さ 10 〜意識不明〜
食べることを楽しむ私は入退院を繰り返した。繰り返しながらも、それはそれで割り切って生活していた。
きちんと食べていたし、水分補給もきちんとしていた
それなのに、脱水症で入院することになった。
暑い日が続いたと思うでしょ?
違うの。冬なの。
入院する所までは覚えている。
でも、それからの記憶が全くない。
夫や医者、看護師さん達の話によると、どうやら10日間意識不明の状態だったらしい。
死ぬことすらできない辛さ 7 〜〇〇しやすくなった〜
変化の乏しい毎日。
平日はヘルパーさんと共に過ごし、土日は夫と過ごす日々。
変化をもたらす為に土曜日は外出し、年に1回は泊まりの旅行に行く。
そんな生活を続けて50歳となった。
発症して20年以上。
相変わらず口だけは良く動いている。
口が動かなくなったら助けを呼べないので一大事。
ある意味生命線と言える。
人間50歳にもなれば色々と衰えてくるのであろうが、私の場合は衰えなのだか病気の進行
死ぬことすらできない辛さ 6 〜寝ていられない〜
脚と腕が動かない状態でも電動車椅子ならレバーを指先で操作すれば移動は出来る。
しかし、人が多い所では細かい操作や急に止まることが難しいため、夫に介助してもらいながらの移動となる。
一緒にスーパーなどへ買い物に行っていたが、通路が狭いためショッピングモールやコストコなどの広い場所へよく行くようになった。
前に話した欲しいものを買ってくれる話には実は裏がある。
近所に大型ショッピングモールなど
死ぬことすらできない辛さ 4 〜発症して5年〜
発症してどれくらいかは忘れたけど、足先に力が入らなくなった。
おかげでスリッパがすぐに脱げるようになったのは覚えている。
躓きやすく転びやすいのにスリッパを履くなとのツッコミは受け付けておりません。
2〜3年もすると徐々に脚に力が入らなくなった。
壁やタンスにもたれて掴まりながら歩く。
よく転んでおり、家の中を這いずって移動することもあった。
寝室は二階にあるため、起きてお弁当や朝食の準備で
死ぬことすらできない辛さ 3 〜決意を胸に〜
結婚生活も早3年。
いつもと変わらない毎日を過ごしている。
休日は家にいることが多いけど、久しぶりに旅行に行った。
温泉旅館に泊まってゆっくりとして帰ってきた時、段差のない所で躓いた。
楽しい旅行も帰って来ると疲れが出る。
そう思って気にしなかった。
しかし、次の日も躓いた。
その次の日も
嫌な記憶が蘇って来た。
兄も同じようによく躓いていた。
医師から検査をするように言われていたの
死ぬことすらできない辛さ 1 〜始まりは突然〜
初めにお伝えしておきます。
この作品は実話をもとに個人が特定できないように所々手を加えて作成されております。
始まりは突然だった。
家族旅行を楽しみ、帰ってきた時からおかしくなった。
私ではない。兄だ。
突然足に力が入らなくなった。
普通に歩けていたし、走ることもできていた。
それが、歩くと足がもつれ転びやすくなった。
旅行疲れからきた症状かと家族みんなが思っていた。
しかし、何日