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ようこの人生紹介

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私の経験がどなたかの参考になったらうれしいです。 過去を思い出しながら執筆しています。
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記事一覧

ようこの軌跡~はじめに~

ようこの軌跡~はじめに~

中2でいじめ、高2で摂食障害、30代前半と30代後半に産後うつを経験しました。
40代で本当の自分を見つけました。
いまは自分らしく毎日を過ごしています。
幼い頃に見失ってしまった自分を大人になって見つけるまでの軌跡を記します。

ようこの精神科退院療養計画書

ようこの精神科退院療養計画書

・退院後の療養上の留意点

・自分の能力の60パーセントで生きる
・自分の考えだけではなく、他の人の生き方も習ってみよう。=観察してみよう。

・初代産後うつ病の母。二代目産後うつの人。
・「私がこんなに気を付けているのに」と思うのは勝手ですが、
  気を付けるにも程がある。

ようこの軌跡1~生後から中学生~

ようこの軌跡1~生後から中学生~

昭和生まれの女性。
団地出身。

父は運転手、母はパートタイマー。

0歳の時に熱性痙攣を起こして、数日入院する。
その後抗てんかん薬を小学生の頃まで服薬。

幼児の頃の出来事でよく覚えているのは、朝に嘔吐しているのに、
「幼稚園行く」と登園したこと。
年長の時に縄跳びをクラスで一番多く飛べたこと。
幼稚園の先生が大好きだったこと。

小学生になると、親に何か言われたわけでもないのに、勉強熱心だっ

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ようこの軌跡2~中学生、いじめ~

ようこの軌跡2~中学生、いじめ~

私がいじめにあったのは、中2のときだった。
きっかけは私の一言。
クラス内の班替え時に少しにぎやかな性格のKさんと一緒になった。
私は友達に「Kさんと一緒だと授業中に先生に目をつけられそうで嫌だな」と言ってしまう。
当時の私は先生に気に入られて、内申点をかせぎたいと思っていた。
それで、Kさんと班が一緒になるのは不都合だと思って出た言葉だった。
不運にも、その発言をKさんの所属する女子グループのメ

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ようこの軌跡3~高校生~

ようこの軌跡3~高校生~

高校は市内で3番目の進学校へ入学した。
入学して迷ったのは、部活に入るかどうか。
中学にくらべると、高校はだいぶ遠くなったので、入部を迷った。
良い成績を維持できるかどうかを気にしていた。
結局、活動時間の少ない文化系の部活に入部した。
1年生の成績は400人中20番以内に常時入っていた。
2年生は文系の国公立大学進学クラスに入った。
特に得意な科目はなかったけれど、
理系にいくと数学が大変そうだ

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ようこの軌跡4~高校生、摂食障害~

ようこの軌跡4~高校生、摂食障害~

摂食障害のこと。

私が拒食症になったのは、高2の時。
きっかけはダイエットだった。

中学では運動部に所属していた。
高校でも中学と同じ部活に入ろうか迷っていた。
体験入部にも行った。
そこで私と同じポジションを希望する子が他にいることを知る。
競争が苦手な私は入部を諦めた。
結局、活動回数の少ない文化系の部活に入った。

高校には電車と自転車で通っていた。
体育の授業もあったので、運動不足では

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ようこの軌跡5~大学生、公務員試験~

ようこの軌跡5~大学生、公務員試験~

大学は高校と違い、自由度が高かった。
時間割や科目の一部を自分で選択できた。
勉強しようと思えばできるし、どんどんサボることもできる環境だった。
ただ、卒業に必要な単位数を満たさないと留年する仕組みにはなっていた。
私がいた法学部の留年率は2割と聞いた。
偏差値が高い学部ではなかったので、やる気がなくて留年する人数が多かった。
あまり覚えていないけれど、入学金が100万位、授業料が1年間で100万

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ようこの軌跡6~社会人生活~

ようこの軌跡6~社会人生活~

就職した会社は社員数80人位の小さな商社だった。
私が所属した営業所は15人程で、こぢんまりしていた。
営業事務職として採用された。
主な業務は電話応対、見積書作成、仕入や売上の入力業務だった。
電話応対は最初はものすごく緊張したけれど、淡々と行う
入力業務よりは苦にならなくなっていった。
日々納期に追われるプレッシャーもあったし、仲良くしてくれた先輩が辞めてモチベーションが続かず、退職した。

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ようこの軌跡7~結婚、妊娠~

ようこの軌跡7~結婚、妊娠~

退職後は旅行など特にしたいこともなく、ひまな日々を過ごしていたと思う。
親からは新居が決まるまでは仕事をしていても良かったのに、と言われたので、
私の気持ちを何も知らないのに勝手なことを言うのだなとイラッとした。
有給休暇を全部消化しているのだし、寿退社なのだからいいじゃないと思った。
結婚が決まるまでは、結婚はいつ?とうるさかったのに。
まあ、心配してくれていたのはわかるけれど。

彼とは4月に

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ようこの軌跡8~出産、育児~

ようこの軌跡8~出産、育児~

つわりと体調が落ちついたのは、秋頃だった。
自宅に戻って、生活をはじめた。
でも妊娠中の身なので、体調は不安定だった。
実家で2ヶ月程は寝たきりだったので、体力も落ちていたと思う。
夫のサポートを受けながら、何とか生活していた。
地域に慣れたり、生活リズムを掴むことはできないままであった。
1月末が出産予定日だったので、冬には実家へ里帰りした。
予定日を過ぎて、2月に長男が生まれてきてくれた。

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ようこの軌跡9~産後うつ、初診予約~

ようこの軌跡9~産後うつ、初診予約~

育児で疲れているのに、どうにも寝つけない日が出てきた。
夜間授乳がある。次男が寝たら一緒に寝ないと休むチャンスがなくなる、
という不安から睡眠に対して過敏になっていた。
寝つけない時にはたいてい良くないことが頭に浮かんできた。
長男への心配だ。明日はグズらずに学校へ行ってくれるかな、
休まれると1人で2人のお世話をすることになって、負担だ。
不眠で、神経が消耗してきたので、助産師さんに相談した。

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ようこの軌跡10~産後うつ、次男と別居~

ようこの軌跡10~産後うつ、次男と別居~

メンタルクリニックの初診は予約から2週間後だった。
その間も不眠が辛くて、風邪で内科にかかったついでに
眠剤を処方してほしいとお願いしてみた。
内科の先生は心療内科の予約があるのなら、
こちらで下手に眠剤を処方しないほうが良いと言われ、願いは叶わなかった。

やっと初診をむかえる。
その日は本来なら休診日だそうが、コロナ禍で初診患者が増えて初診の枠を
増やしてくれていた。
経緯を書いたA4サイズの

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ようこの軌跡11~産後うつ、胸の痛み~

ようこの軌跡11~産後うつ、胸の痛み~

運よく薬が効いて、不眠は改善されてきた。
歯の痛みもゼロにはならないものの、大幅に軽減された。
でも、不快な耳鳴りや胃痛は治らなかった。
耳鼻科にかかっても異常はないと言われ、途方に暮れた。
胃痛で食欲が落ちて、気がつくと体重が5kgも減っていた。
身体は悲鳴をあげていた。
悲しかったけれど、次男を両親に預けて良かったと今は思える。

当時、葛藤していた。
自分の母性や責任感がそうさせるのか、心が

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ようこの軌跡12~産後うつ、危険行為~

ようこの軌跡12~産後うつ、危険行為~

残念ながら、右胸の痛みはその後も続いていた。
神経過敏になっていて、身体になんとも言えない違和感も感じていた。
ある日の夜、胸の痛みと身体の違和感が相まって、耐えられなってしまう。
翌朝、夫に救急車を呼んでもらった。
救急車の中では、薬の大量摂取はなかったかなどの質問があった。
もちろん、そのような自殺行為はしていない。
痛みの原因を突き止めて、痛みや体の違和感から解放されたい一心だった。
病院で

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