見出し画像

本能寺の変1582 第137話 15信長の台頭 6三好の絶頂 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第137話 15信長の台頭 6三好の絶頂 

はじめに ←目次 ←前回 第136話 

長慶は、河内・大和を同時に攻撃した。

 同八月。
 本勢は、河内。
 松永久秀は、大和。

  同、八月六日、三好衆、石川郡(河内南部)に出張しければ、
  畠山方一揆(合衆)、合戦し、打ち負けて、八十余人討たるゝ、

  此の時、大和衆、木沢大和守、三好方え一味同心す、

三好勢は、河内・大和で圧勝した。

 畠山方は、敗退を重ねた。

  同月、十四日、安見美作守(宗房)、
  飯盛城(四條畷市)より、堀溝(寝屋川市)と云ふ処へ、出張して、
  池田衆と合戦し、安見、打ち負け、五十余人、打たれけり、

 大和では、畠山方の井戸良弘が降伏した。

  去る程に、和州、井土城主、こらえか子(ね)て、
  松永方え、噯(あつかい)を入れて、城を明け渡しけり、
         

三好勢は、高屋城を攻めた。

 畠山氏の本拠である。
 大阪府羽曳野市古市(安閑天皇陵)。 

  同(八月)卅日、三好、高屋城近所え、押し寄せける、

長慶は、河内を奪い取ろうとしていた。

 一国丸々。
 「其の儀ならば、高政をも、責め落とせとて」

畠山氏は、連戦連敗。

 苦しい戦いがつづく。

 同九月。
 畠山方、反撃ならず。 

  同九月九日、畠山方、貴志・丹下・野尻等(畠山氏の家臣)、
  東の川原口え突ひて出で、伊丹衆と合戦す、
  高屋衆、打ち負け、城え引き返す、

 同十月。
 畠山方の後詰衆、敗れる。

  同十月八日、畠山方、香西越後守・山中新左衛門・木沢新太郎、
  飯盛の後詰として、
  山城国、杉山(炭山=京都)口え、打ち出でる、
  三好衆、馳せ向かひ、責め戦ひければ、
  後詰衆、打ち負け、香西・木沢を始め、五十余人討死す、

 根来衆、畠山氏に味方すれども、これまた敗れる。  

  同十月十五日、根来衆、杉の坊岩室、大将として、五百人、
  高屋城の後巻しけるを、
  三好方、押し寄せ、散々、責め戦ひければ、
  根来衆、打ち負け、八十九人討死す、
  生け捕り、七人まで、三好方え、召し捕らへければ、

 最早、打つ手なし、である。

飯盛山城、開城。

 安見宗房は、力尽きた。
 堺へ逃れる、

  安見美作守も、力を落とし、
  十月廿四日、城を明け渡し、堺え、ひら(開)かれければ、

高屋城、開城。

 畠山高政、降伏。 
 同じく、堺へ逃れた。

  高屋城も、こらえか子(ね)、
  畠山高政も、遊佐河内守も、あつかひ(噯)にし、)にし、
  城を明け渡し、堺え、開き給ひけり、

三好長慶は、飯盛山城に入った。

 長慶は、ここを新たな居城とする。

  同十一月十三日、三好修理大夫長慶、則ち、飯盛城え入城あれば、

三好実休は、高屋城に入った。

 以後、この城は、阿波の三好家(実休家)のものとなる。

  同日、備前守入道実休も、高屋の城え入城ある。

松永久秀が大和を平定した。

 久秀は、新たな大和の支配者となった。
 信貴山城を居城とする。

  かくて、大和国衆、いまだ、畠山一味なれば、
  同十一月、松永霜台、摂州衆、引率、
  大和国、沢(大和の国人沢氏)、日(檜)の牧の城(宇陀市)を攻めらるゝ、

 大和の国衆、次々に降る。

  同月十三日、同国、萬歳城(大和高田市)主、萬歳大和守も、
  松永え降参す、

  同十八日、泊瀬(初瀬はせ=桜井市)の桜坊の城も、
  聞き落ちして、退きけり、

 久秀は、檜牧城(ひのまきじょう)に高山飛騨守を入れた。
 右近の父である。

  同廿四日に、沢、日の牧の城も、こらえか子(ね)、
  噯(あつかい)にして、退ければ、

 斯くして、大和の平定、成る。

  松永、一国平均に治めて、信貴(しぎ)城に居城しける、
  是れは、木沢左京亮長政がとり立てし城と聞こえける、
                         (「足利季世記」)

この頃、筒井氏は没落していた。

 前年、永禄二年1559。
 筒井氏は、松永久秀の攻撃により、筒井城を奪われた。
 以後、順慶は、椿尾城(奈良市北椿尾町)を本拠とする。
 
 そして、今。
 久秀の攻勢により、さらに、勢力が衰退した。
 順慶は、まだ少年。
 忍耐の時がつづく。 

長慶は、河内と大和を手に入れた。 

長慶は、得意の絶頂にあった。

 将軍義輝を手元に置き、五畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)のみ
 ならず、丹波・播磨にも、大きな影響力を有していた。
 そればかりでなない。
 三人の弟たちがいる。
 三好実休、阿波と伊予の一部。
 安宅冬康、淡路島。
 十河一存、讃岐。
 これらを合わせれば、十ヶ国余。
 広大な版図である。
 対抗し得る勢力などいない。
 正に、三好の「天下」。
 三好氏の時代だった。

  【参照】15信長の台頭 2尾張統一 119   



 ⇒ 次へつづく 第138話 15信長の台頭 7斎藤義龍の死 


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?