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本能寺の変1582 第138話 15信長の台頭 7斎藤義龍の死 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第138話 15信長の台頭 7斎藤義龍の死 

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永禄四年1561

 信長、二十八歳。

美濃の斎藤義龍が亡くなった(三十五歳)。

 五月十一日。
 義龍、没。
 原因、不明。
 突然の死であった。
 大永七年1527の生れ。
 享年、三十五。
 法名、国清寺殿前左京兆雲峰玄龍大居士。

 信長にとっては、余りにも、好都合。
 何か、怪しい・・・・・。

義龍の子、龍興がその後を継いだ(十四歳)。

 龍興は、天文十七年1548の生れ。
 この年、十四歳。
 まだ、元服前だったという。

信長は、西美濃へ攻め入った。

 同十三日。
 その、わずか二日後。
 信長は、出陣した。

 それにしても、早い。
 手際が良すぎる。
 すでに、準備が出来上がっていた。
 
 「暗殺」、・・・・・。
 ますます、疑惑が深まる。

  一、五月十三日、木曾川・飛騨川(長良川)の大河を舟渡りし、
    三つこ(越)させられ、    
    西美濃へ御働き。
    其の日は、かち村*に御陣取り、

    *かち村 岐阜県海津市平田町勝賀

森部の合戦。

 同十四日、雨。
 斎藤方が、墨俣*から森部*方面へ押し出した。

  翌日十四日、雨降り侯と雖(いえど)も、
  御敵、洲の股(墨俣)より、
  長井甲斐守・日比野下野守、大将として、
  森辺(森部)口へ人数を出し侯。

  *墨俣 岐阜県大垣市墨俣町
  *森部 同安八郡安八町森部

織田軍の大勝利である。

 信長は、これを撃破。
 美濃勢は、二人の大将を失い、総崩れになった。 

  信長は、天の与ふる所の由、御諚侯て、
  にれまた(楡俣)の川(長良川)を越し、かけ向はせられ、
  合戦に取りむすび、鑓を打合はせ、数刻、相戦ひ、
  鑓下にて、長井甲斐守・日比野下野を初めとして、
  百七十余人討たせらる。

 戦場での逸話である。

  爰(ここ)に、哀れなる事あり、
  一年、近江猿楽、濃州へ参り侯、
  其の内に、若衆(男色の相手)二人侯ひつる、
  一人は甲斐守、一人は下野、止め置き侯ひし、
  今度、二人ながら、手と手を取り合ひ、主従、枕をならべ討死侯。

  長井甲斐守、津島の服部平左衛門討ちとる。
  日比野下野守、津島の恒河久蔵討ちとる。
  神戸将監、津島の河村久五郎討ちとる。

 
 前田利家は、信長の勘気を蒙っていた。
 この戦いで、帰参を赦された。

  頸ニツ、前田又左衛門討ちとる。
  ニツの内、一人は日比野下野与力、足立六兵衛と云ふ者なり。
  是れは、美濃国にて、推し出だして(名の知れた)、
  頸取り足立と云ふ者なり。
  下野と一所に討死侯なり。


  此の比(ころ)、御勘気を蒙り、前田又左衛門、出頭これなし。
  義元合戦(桶狭間)にも、朝合戦に頸一ツ、惣崩れに頸ニッ取り、
  進上侯へども、召し出だされ侯はず侯ひつる。
  此の度、前田又左衛門御赦免なり。

信長は、墨俣砦を入った。

 信長は、尾張に帰らず。
 墨俣を奪い取り、ここに止まった。
 「御要害丈夫に仰せ付けられ」
 西美濃攻略の足懸りとする。

  一、永禄四年、辛酉(かのととり)、五月上旬、
    木曾川・飛騨川、大河打ち越し、西美濃へ御乱入。
  

    在々所々、放火にて、
    其の後、洲股(墨俣)御要害丈夫に仰せ付けられ、
    御居陣侯のところ、

十四条合戦の事。

 同二十三日。
 斎藤勢は、稲葉山を出陣。 
 城の西方、二里半(10km)ほどの地。
 十四条に布陣した(岐阜県本巣市十四条)。

  五月廿三日、井口より、惣人数を出だし、
  十四条と云ふ村に、御敵人数を備へ侯。

織田勢は、墨俣から出撃した。

 程なく、小競り合いが始まった。

  則ち、洲股より懸け付け、足軽ども取り合ひ、
  朝合戦に、御身方、瑞雲庵おとゝ(弟)*、うた(討)れ、引き退く。

    *瑞雲庵おとゝ 犬山城主織田信清の弟広良と云う。
            信清は、信長の従兄弟。
            後に、対立する。

軽海の合戦。

 戦場が軽海へ移った(岐阜県本巣市軽海)。

  此の競(きお)ひに、御敵、北かるみ(軽海)までとり出だし、
  西向きに備へ侯。

  信長、懸けまはし御覧じ、
  西かるみ村へ御移り侯て、古宮の前に東向にさし向ひ、
  御人数備へられ、足軽懸け引き侯て、

  既に、夜に入り、
  御敵、真木村牛介、先(せん)を仕り、かゝり来たり侯を追ひ立て、
  稲葉又右衛門を、池田勝三郎・佐々内蔵佐、両人として、
  あひ討ちに討ちとるなり。

両軍、引き分け。

 結局、この戦いは勝負がつかず。
 五分と五分。
 引き分けに終わった。
 互いに、陣を引く。

  夜合戦に罷り成り、
  片々は、つき負け、迯(逃)げ去る者もあり。
  又、一方は、つき立て、かゝる者もあり。
  敵陣、夜の間に引き取り侯なり。
  信長は、夜の明くるまで御居陣なり。

信長は、帰城した。

 同二十四日。
 信長は、墨俣に戻り、その後、清州へ。

  廿四日朝、洲股へ御帰城なり。
  洲股、御引払ひなさる。
                          (『信長公記』)


 ⇒ 次へつづく 第139話 15信長の台頭 8三好の衰退 


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