#日記
履歴は問いません、今のあなたがみたいんですと言ってくれた人。
こういう返事が返ってくるだろうなって
どこかで人は想像しながら話しかける
ことってあるけれど。
想いもよらない返事を頂いて、そのことが
忘れられないことってある。
わたしは、むかし1冊だけ短歌集の本を
出版したことがあった。
その時、とある方からお声をかけて頂いて、
ぼくたちのサイトで、もしよろしければ
書いてみませんか? と、お誘いを受けた。
今お誘いを受けたと、しれっと落ち
傷つくだけで強くなれなかった。そんなわたしの声になってくれたひと。
心が弱っていて、しゃがみこみたくなるほど瞬間的におちこんでいた時。
ある人が教えてくれた。
何かに悩んでいて袋小路に入り込んでいる時は、
じぶんのことばっかりを考えているからだよって。
そう言われて、すこし恥ずかしくなっていたら。
俺もいつもそうだからって。
ほんとうにそうだった。じぶんのことばかりしか考えていなかった。
昨日もちょっとそんな感じだったんだけど。
人と比べていたんだ
メメント・モリ。死じゃなくてあなたを想うそんな日々だった。
あの大震災からもう10年経ったんだと思いながら、
10年前のじぶんの日記をみていた。
あの頃、ツイッターを始めた知り合いの人が
何人もいたけれど。
わたしはなかなか手が出せなくて。
なにかを言ったり書いたりすることがすごく
こわくなっていた頃だった。
いつかやるよって友人には言いながら
やらないまま日々は過ぎ。
あの頃からなんとなくだけど、SNSやっていないと、
世の中に存在し
ハルヲさんのロールキャベツって、手紙みたいだった。
昔、わたしがまだ小学生くらいだった頃、母の暮らす家には母の弟の叔父さんハルヲさんが住んでいた。
ハルヲさんはわたしにとって、お父さんでもない。
なにか友達のような存在だった。
だから、ハルヲさんのことをおじさんではなく、ハルヲちゃんって呼んでいた。
仕事はデザイナーをしていた。
ハルヲさんの事務所に行くと、いろいろな面白い形のオレンジ色の雲形定規や、色とりどりの鉛筆削り。
切り張りする
インタビューを受けて、過去に許された気がした。
つらい時、早く時が過ぎ去ればいいのにって想う。
今は昔よりも早く時が矢のように過ぎてゆく
けれど。
それでもつらい時は、その矢の形がどんな形か
みえるような、時間の流れ方をする時がある。
先月、以前お世話になったコラムニストの
上原隆さんから新刊のお知らせを頂いた。
10年ほどまえ、はじめて上原隆さんにお目に
かかった。
あの頃、わたしはひどい鬱を患っていて。
過去がどれもこれもぜんぶ
SNSを離れて繁華街を歩いていたら、ラッパーらしき人とすれちがった2024年の始まり。
日常ってあっと言う間に変わってしまうけど。
その変わってしまう日常にもいつしか慣れて
いく。
11月1日は、noteで出会ったイシノアサミさんと
一緒に絵本を出版することになって、
発行日はその日にしましょうと約束して。
その日に決めていた。
その日は奇しくも大好きな人の記念日でも
あったから、その日を楽しみにしていた。
10月のおしまいの日。
明日は本の発行日なんだなってうれしくなって
「ルビーの指環」を聞けなかったあの頃のわたしへ。
はじめて、今年はひとりお正月を過ごしていた。
母がいた時はふたりお正月で、日常と
ちがうことをするのがふたりとも
乗らないよねって思うタイプなので
いつも通りしようねとか言いつつも
お正月仕様のお節や飾りつけに勤しんで
いたけれど。
ひとりと決まった時、お飾りとかお節とか
作らんでもよかですよねって自分を甘やかして
いたら。
何十年ぶりの一応断捨離的なことをして
みためすっきりしてきたので。
父が描いた絵に、さよならの時の父の背中を思い出していた。
父親が定年してから、はじめたのは絵画だった。
昔から、絵を描いて暮らしてゆくのが、
夢だったらしく。
画家を目指したこともあったらしいけど。
暮らしていけないからと、医療従事者の
職業を選んだ。
今も週に何度かは勤務していて、
ずっと働いていた事業所の定年間際から
教室に通っていると、聞いていた。
絵画の先生が、寡黙だけど、なかなかええんや。
って言って。
じぶんでちゃんと描