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小説 白い猫と妻の失踪 1、果歩 鎌倉2019
抹茶の粉を入れた白い楽焼きの茶碗に、柄杓でお湯を注ぐ。お湯が落ちて立てる、コポコポコポという小さな音が茶室に響く。朝日の当たる茶碗から湯気がほんのりと立ち上る。右手で持った茶筅を、楽焼の茶碗に入れて混ぜる。小さなしゃかしゃかという音が響く。
着物の袖が揺れる。着物に沁みをつけてはいけないと思うと、いつも緊張する。背筋を伸ばし、いつもの動きでお茶を点て、静かに茶筅を横に置く。茶碗を持ち、正座した
白い猫と妻の失踪23、エピローグ 果穂とジュリエット2042
ノルマンディーのグランヴィルに来たのは、前夫が亡くなった年に旅行に来て以来だ。自分が80代になったなんて、全く信じられなかった。もしかすると自分はまだ30代なのではないかと錯覚することがあるほどで、自分が若い頃に抱いていた人生の後半を生きる人々のイメージと自分が体験していることのギャップに驚いている。人生は思ったよりすごいスピードで進んでしまう。
自分の人生で、一番の転機は、大学生の時に夫に
白い猫と妻の失踪20、果穂 新しい出会い 2019
フランス旅行の最後に泊まったリッツホテルで、フランス人デザイナーたちと食事をしたことで、私の人生は全く思いもかけない方向に動き始めた。
その後、ここにいたメンバーの一人と気の合う親友になった。そしてある時突然
「ところで、僕たちこんなに気が合うんだから、一緒に暮らしてみない?」という話が持ち上がり、気がついたら再婚までしてしまった。
彼の国籍は、アメリカ、フランス、イタリアと3カ国に渡
白い猫と妻の失踪18、果穂 モン・サン・ミッシェル2019
船で本土に戻り、グランヴィルでも海の見えるホテルに数泊した。デイオール美術館を見学したり、ゆっくりと過ごした。ここはディオールの生家で、家の造りや庭が素晴らしかった。
ショゼイ島のホテルで教えて貰ったピコレットというサロンドテで朝食をとった。素晴らしく美味しい紅茶は100種類もあり、焼きたてスコーンが出る。あまりにも美味しかったので、ほとんど毎日ランチとお茶にも通った。チョコレートケーキ、注
白い猫と妻の失踪17、エリック 戻ってきた妻との生活について 2022
空白の3年の後、戻ってきた妻と、このようにしてしばらく以前と同じように生活を続けた。私は、この静かな暮らしが続いて欲しい。と、それだけを願っていた。
妻はその後精密検査を受け、特にこれといった異常は見つからなかった。記憶喪失について、脳に何が起こっているのかは、医者にも正確にはわからないのだそうだ。薬は処方されているけれど、果たしてそれを飲んだからといって、記憶が戻るという保証もない。医学的
白い猫と妻の失踪16、果穂 新しい旅立ち 2019
本格的な一人での生活が始まった。できることは、全てやったような、全てが心残りなような、複雑な気持ちだった。夫の最後の小説の出版の日程が決まった。夫は長編小説を書くことが多かったので、数年かけて書いた小説を仕上げ、出版が決まるといつも二人で長期の海外旅行に出かけたものだ。
仕事がひと段落して、一人の生活が落ち着いてくると旅に出るのもいいなと思い始めた。夫が若い頃によく行っていた、イギリスかアジ