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白い猫と妻の失踪16、果穂 新しい旅立ち 2019

 本格的な一人での生活が始まった。できることは、全てやったような、全てが心残りなような、複雑な気持ちだった。夫の最後の小説の出版の日程が決まった。夫は長編小説を書くことが多かったので、数年かけて書いた小説を仕上げ、出版が決まるといつも二人で長期の海外旅行に出かけたものだ。

 仕事がひと段落して、一人の生活が落ち着いてくると旅に出るのもいいなと思い始めた。夫が若い頃によく行っていた、イギリスかアジアの国に行ってみようか。一緒に数年暮らしたことのあるアメリカ、または一緒に旅行したドイツやフランス、イタリアにも行ってみたかった。そんな気持ちになれたのは、私が旅をすれば、空から見ている彼もきっと一緒に楽しんでくれるだろうということが、はっきりとわかっているからだ。

 そういえば、以前彼が行ってみたいと言っていた、モン・サン・ミッシェルや、その周辺の島を尋ねるというのも、いいかもしれない。手配は馴染みの旅行社に任せたので、たったの1時間程度で終わってしまった。できるだけ居心地がよく、一人で食事のしやすい地区のホテルを選んでもらった。家の掃除や洗濯、冷蔵庫の管理、郵便物のことはお手伝いさんにお願いしたので、留守中何も心配はいらない。旅立つ前に洗濯物を干したりゴミ箱を空にしたりするのは、結構な気力と体力を使う。旅行前は、旅立つ数日前から、長年勤めていただいているお手伝いさんにいつもより長めに来てもらって、家のことや荷造りを手伝ってもらうことにしている。

 旅立つ朝も、お手伝いさんが絶妙なタイミングで美味しい朝食を用意して、タクシーの手配もやってくれたので、私はただ時間になったら、財布とパスポートとチケットの入った小さなハンドバッグだけを手にして、タクシーに乗るだけでよかった。後のことは、全てお手伝いさんと運転手さんがやってくれたので、とても気持ちが楽だった。夫を亡くしてから、余計に周りの人たちの心遣いがとてもありがたい。
 飛行場について、荷物を預けてから、いつものラウンジで静かにミネラルウオーターとコーヒーを飲んだ。周りの人たちは、食事をしたり、忙しく動いていたけれど。私はここでは、ほとんど食事をせず、ただじっと飛行機の動きを大きな窓から眺めるのが好きだった。飛行機や船に乗る前というのは、誰もが少し緊張して、なんだかよく喋ったり動いたり、食べたりしたがる。でもよく考えてみると、飛行機に乗ってからも食事や飲み物が用意されているし、ただじっと長い時間座っているのだから、搭乗前にたくさん食べる必要もない。

 60代になって、こんな風に身軽に海外に出られるのはありがたいなと思う。今まで世界中を旅してきたし、海外での暮らしも数年の経験があるけれど、年齢とともに、旅の形は変わってくる。20代なら、バックパックを背負って何も計画を立てずに冒険してみるのもいいだろう。でも、50代を過ぎたら、落ち着いて過ごせるホテルを手配してもらって、すべての移動をハイヤーにするなど、体力を使わずに心地よく暮らせる旅行にしたほうがいい。私はまったく海外で買い物をすることには興味がない。ハイブランドの店はどこの国でもほとんど同じ作りで同じ物を売っている。デパートも似たようなものだ。物を買いたいのなら日本で買っても同じだと思う。

 夫も美術館を訪れたり、純粋に景色を楽しんだり、現地の人が訪れるような食堂やカフェで人間観察をすることが好きだった。仕事関係者とのレストランでの食事もいいけれど、友人知人を通して現地の人の家庭に招待してもらう機会があると、本当にその国の人たちに歓迎されているという気持ちになった。マルシェに行ったり、その国の普通の暮らしを見ていると、ああこの人たちもみんな、それぞれに家庭があり仕事をして、ここで逞しく暮らしているんだな。と、とても落ち着いた気持ちになれた。

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 海外での一人旅は、思ったより楽しかった。きっと寂しいだろうと覚悟していたけれど、旅の最中は目の前で初めての物事がどんどん展開していくので、飽きることも、寂しさを感じる暇もなかった。
 フランスに到着し、数日はパリの美しいホテルで心地よく過ごすことができた。朝食は毎日ホテルで食べた。フランスの朝食はクロワッサンとコーヒー、フルーツだけなので、とてもシンプルだ。ホテルの人たちはまるでお姫様のように接してくれるので、とても居心地が良かった。

 昼食は近所のカフェや気軽なレストランで、ステーキとフライドポテトや、クロックムッシューとサラダなど、簡単に済ませた。夕食は、ホテルの人に教えてもらった近所のフレンチレストランや、2度ほど和食の店にも行ってみた。パリには日本人が経営する和食の店も多いので、ひとり旅にはとてもありがたい。日本語で注文できるし、毎日フレンチばかり食べている日々に、時々暖かいうどんや、和定食を食べられるととても落ち着いて安心できた。

 ノルマンディーでは、グランヴィルから船に乗って島に向かった。1時間ほどで到着するショゼイ島には、住人は50名ほどしかいないそうだ。可愛らしい家が海辺に建っていて、こんな所に別荘を持っているなんて、素敵だなと思いながら、海岸線に沿ってぐるっと島を一周した。1時間程度で、歩いて回れるほど、小さな島だ。車も走っていない。

 引き潮の時間は、普段は海の底の砂の上を歩くことができる。火星はこんなところかもしれない。と、思うような見渡す限り岩と砂だけの、今まで見たこともないような風景だった。岩場を抜けていくと、大きな岩が象の形や、大きな顔、ソファーのような形をしているのが見えた。自然が作った形に、石の切り出しをするときに手を加えたものらしかった。ちょっとした芸術作品が海辺にあるようで楽しい。
 大きなヨットや船が島の近くにはたくさん停まっている。船で移動しながらヨットに宿泊するそうだ。真っ青な空と海の景色が広がり、海の風に当たっていると、まるで身体中が浄化されていく感覚があった。この島にはホテルが1つしかない。

 島のホテルにたまたまキャンセルが出たばかりでホテルが取れたので、1週間程滞在することができた。普段は1年も前から予約をしなければ泊まれないと聞いていたので、とてもラッキーだった。
海と風に囲まれて過ごす1週間は、毎日満ち潮の時間に泳ぎ、浜辺で読書をし、時々、ホテルの人や周りの家族連れと少しお喋りをする程度で、ほとんどの時間は一人で海を眺めて、音楽を聴いたり、本を読んで過ごす。

 食事は海の見えるホテルのレストランか庭で食べる。島なので、ホテル以外にある店はたったの1軒だけだ。食料、土産物のTシャツなどが一緒に売られている。その隣にカフェが2軒ある。

 すべての店は、港の近くに密集している。太陽の光を浴びながら空と海を眺めていると、海風の気持ち良さだけを感じることができた。環境を変えて、時間が経つと、人の悲しみは少しづつ、ほんの少しづつ薄らいでいく。

 周りの客や、島の住人の様子を観察しているのは楽しかった。時々その人たちと会話した。人生を謳歌している現地の人たちのヴァカンスの様子を見ていると、どんどん元気が湧いてきた。

 1週間も海で暮らしていると、どんどん日焼けして、健康的に生まれ変わったような気分になっていった。もちろん自然に夫のことを考えては寂しさを感じることは多かったけれど、それでも私は、思ったよりたくましくできているらしい。すっかり現地の人のような気分で過ごし、また船でグラン・ヴィルに戻った。この小さな島に長く滞在する人は、島に別荘を持っている人くらいなので、たったの1週間でも、周りの人たちとは随分打ち解けた。

 ホテルは、島の高台にあるので、まるで島全体が大きな船で、寝室は船の上階にいるような気分で眠った。海のど真ん中で1週間過ごしていたようなものだ。月と太陽の動きを眺めて、ただ生物としてこの世に存在する。人生は思ったよりも短いのだな。というのが、夫を亡くして一番感じたことだ。私に残されている時間も、せいぜい15年か20年もないのかもしれない。そう考えると、本当にあっという間だなと思う。 ショゼイ島の灯台が灯る時間に、私は毎晩、近くの海辺の崖の上のベンチに腰掛け、ライトが灯るまで、モーター音を聞きながら、灯台の明かりをじっと眺めて、過ごした。最初、ライトはぼんやりとした薄緑色に輝く。直接ライトを見つめては、目に良くないのだろうけれど、ライトよりずっと低い場所からなので、直接目にライトが当たるわけではない。こんな機会はあまりないので、毎晩のように、夕日が海に沈むのを眺め。次に灯台のライトが灯る瞬間を楽しみに見つめた。灯台のライトは猫の目と同じ形をしている。

 満月の夜に、なんとなく白い影が海の上を通り過ぎるのが見えた。猫のような形をしているように見えた。まるで猫が海の上を歩いているように。薄暗い浜辺でのことなので「まさか、そんなはずはない。きっと月明かりか何かの関係だろう。」と思い直して、ホテルに戻った。

 ホテルのレストランでは、人々が楽しそうに食事の後もお喋りをして賑やかだった。島には他に娯楽があるわけではない。ただ、自然を謳歌して、こうして食事やおしゃべりを楽しみながら、みんなで楽しく心地よく過ごす。ただ、それだけの場所。

 人間の営みの基本はこんなにシンプルなんだ。ということが、とても良く分かる。お買い物をするにも、お店がない。人と比較するにも、比較する相手がいない。スーパーもないので、住んでいる人たちは、注文したものを専用の船で運んでもらうそうだ。島では水は貴重なので、できるだけ水を節約しながら暮らす。飲み水はすべてミネラルウオーターだそうだ。

 話を聞いてみると、画家や作家が住んで作品を製作しているらしい。なるほど、そういう人たちには打って付けの場所だろう。なにしろ誰からもうるさい誘いや取材などが来ないのだから。どんどんインスピレーションが湧きそうだ。他の人たちは、ここにはただ休みにくる。休むため、創作するためだけの場所。ただ生きるためだけの場所。本当は、人の生活というのは、こんな風にシンプルなものだなと、価値観が大きく変わる体験だった。携帯電話も通じるし、インターネットの手配もできるので、最近では島でリモートワークをしている若者もいるそうだ。

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