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レストランの人々

 いつものように、日曜日はパリの昔からあるブラッスリーに夫と一緒にランチに来る。行きつけの店がいくつかあって、その日の気分で選ぶ。ここには、だいたい月に1回くらい来ているだろうか。

 いつものように、張り出した窓辺の席に案内される。窓越しに人間観察できるし、隣のテーブルと離れていて静かに過ごせる。店の作りの都合上、入り口の扉の横に張り出した空間があり、ちょっとコックピットのような小さな空間、テーブルと椅子を入れたら立ち上がるのもやっと、という感じだけれど。そのミニマルな作りが良い。

 夫が初めて出版社に就職した時、最初にあてがわれた席が、このくらい小さな空間だったそうだ。そこを使うように言われたわけではなく、大きな部屋には幾つか机が入るので、何人かで共同で使わなければならない。小さな空間には扉も付いていて、一人で座るのがやっとだったから、誰にも邪魔されず、仕事の用事で訪ねてくる人がいても、長居しないという利点があったそうだ。確かに、一人きりの空間を確保できるのと、いつも上司に見張られているのとでは、全く居心地が違うだろう。

 少し高くなった位置に窓があるので、外からは全く見えない。窓辺からは外がよく見えるし、太陽があたるお気に入りの席だ。いつもの男性店主が親切に挨拶に来てくれる。

 「お元気ですか?マダム・エ・ムッシュー。」と、とても良く響くバリトンの声で聞いてくれるのが恒例だ。お天気の話をしたりして、メニューを広げる。

 馴染みの店は、メニューを一通りわかっているので、注文するのが楽でいい。私たちの好みも熟知しているし、コーヒを出すタイミングなども心得ている。

 Le Basilicという名の店の前には、とても大きな木が入り口のところにあり、屋根の上にまで広がっている。丸く入り口を形どるように刈り入れられていて、可愛らしい雰囲気を作っている。バジリックとは、バジルのことだが、ローマ神話に出てくる不思議な想像上の動物という意味もある。どうやら、名前の由来は後者のようだ。

 通るたびに綺麗な建物だなと気になっていた店だ。ある時、昼時に夫と一緒に散歩をしていて、勇気を出して入ってみたことがきっかけで、その後時々来るようになり、だんだん常連になった。家族経営で、店員は全員とても親切だ。初めて来たときも、この狭い離れた席をお願いした。それ以来、いつもこの席だ。

 反対側の席には犬を2匹つれた英語を話す夫婦が座っている。オニオンスープを持ってきたウエイトレスが、2匹の犬のリードに絡まりそうになり、笑いながら困っている。みんながそれを見て、微笑している。和やかな雰囲気だ。

 メニューにはたくさんの、よくあるフレンチ・ブラッスリーのメニューが並んでいる。エクスプレス・メニューというものを選ぶことが多い。14ユーロで、前菜+主菜、または主菜+デザートをを選ぶことができる。私は主菜に鴨肉のパルモンチエをよく頼む。夫は、ステーキとフライドポテトだ。バベットBavette (はらみ肉)ステーキだ。揚げ物は台所が汚れるので、家ではあまりしない。

 アッシ・パルモンチエは、ひき肉と玉ねぎを炒めて、グラタン皿に敷き詰めた上にマッシュ・ポテトをかぶせて焼いたもので。大抵はひき肉だが、ここでは鴨肉の一口大の肉がごろごろ出てきて、美味しかった。

 窓から外を眺めていると、いろんな人間模様が見えて飽きない。目の前には、とても人気のあるサロンドテがあり、雨のなか大勢の人が並んでいる。予約を取るためにも、朝から行列しなければならない店と聞いている。多分、昼食が終わる時間に合わせて、お茶の客が並んでいるのかもしれない。

 外の席は寒いので、あまり人がいないけれど、20代の男性が一人で座っている。お菓子やタルトを出す可愛らしい店なので、男性一人客は珍しい。しばらく眺めていたら、何度も可愛らしいウエイトレスさんがやってきて、楽しそうに話している。どうやら、彼氏がバイト先に遊びに来ているようだった。どうりで、楽しそうに仕事をしているわけだ。

 前を通るたびに、微笑みあったり、お茶を出すときには、お互いにちょっと照れていたりして、微笑ましい。最初、彼が一人でケーキを食べていたけれど、その後、バイト休憩なのか、女の子も自分のランチを運んできて食べていた。

 隣にはイタリアンレストランがある。その一角にクレープを焼いて売っている売店がある。そこにも数人の人が列を作り、次々に、クレープを持って嬉しそうに歩き出す。一人の女性がクレープを持って、真横のアパートの扉の前で立ったまま急いで食べ始める。なぜだか、とても急いでいるようで、何度も髪をかきあげたり、物を落としそうになったりしながら、寒く雨の降る中で、雨に濡れているので、見ているこちらが落ち着かない。すごい勢いで食べ終わり、今度はコーヒーを注文したようで、コーヒーを立ったまま飲み始める。その一部始終を見ているだけで、こちらが疲れてしまった。多分、何か大きな問題を抱えているようだ。

 私の後ろの方の席では、年寄りの夫婦が食事を終えたようだ。常連のようで、店主はとても親切に接していた。外に出て、わざわざ腕を支えて、笑顔で見送りまでしている。親戚か知人のように見えるけれど、多分、普通の客だろう。とても親切な店主なのだ。

 日替わりデザートは、カフェグルモン(コーヒーとケーキの盛り合わせ)ということなので、それを注文した。夫は、いつものように、パン・ペルデュー(フレンチトースト)とコーヒーだ。

 しばらく、今週の予定や、夕食のメニューの話をして、時間が経ったが、デザートがやってこない。きっと大勢の人に気を回しすぎて、忘れられているのだろう。店主に、身振りでまだデザートが来ていないよという合図をする。店主は慌てて、厨房に入り、すぐにパンペルデューを二つ持ってやってくる。

「あれ?注文と違うわ。」というと、店主は慌てて「それは失礼!」と持って行こうとしたけれど「ああ、構わないわ。これも食べたかったから。このままでいいわよ。」と、私は答える。

「でも、コーヒーをお願いね。」と、言い添える。

「すぐにお持ちします!」と、店主は厨房に戻り、すぐに一つだけコーヒーを持ってくる。

「あら、コーヒーは二人分よ。疲れているみたいね。大丈夫?」と声をかけると、店主は恥ずかしそうに、二つ目を持ってくる。

「大変失礼しました。」と、いつもの声楽家のような声で言いながら。同じ言葉でも、心を込めている人が言うと、なぜか心地よく響く。彼はこのレストランを、自分の家のように思っているのだろう。

 こういうやりとりをお互いに楽しめるかどうかが、外食の楽しさを決める。あくまでも、お互いにイライラせず、いい気分のままでやりとりできる店というのは、もともと心遣いがある店だ。昔からある店で、楽しく自分の店を切り盛りしている店主と、ただのバイトで観光客相手に、いやいやサービスをしている店では、雲泥の差がある。

 食事を終えて周りを見回すと、ほとんどの客が既に帰った後だった。家では、意外といろんな話をしない夫婦は多いのではないだろうか。こうして、外食していると、思い出話やこれからやりたいことを一緒に話す機会になって、良い時間だと思う。

 また来週も、この辺りで食事をしようねと話しながら、店を出る。しばらく歩いていると、先ほどお店で見かけた年配の夫婦が庭でくつろいでいるのが見えた。そうか、この家が彼らの家だったのか。と、思う。手入れの行き届いた、素敵な庭と家だった。家と庭は人柄を表すなと思う。

 私たちも、素敵な家に住んで、彼らのように、あのくらいの年齢になっても一緒にここに食事に来られたらいいね。と、話しながら太陽の日差しを浴び、モンマルトルの公園を散歩をした。人生の喜びとは、こんな風に愛する人と楽しさを一緒に分かち合える、何気ない日常に潜んでいる。


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