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白い猫と妻の失踪20、果穂 新しい出会い 2019

 フランス旅行の最後に泊まったリッツホテルで、フランス人デザイナーたちと食事をしたことで、私の人生は全く思いもかけない方向に動き始めた。

 その後、ここにいたメンバーの一人と気の合う親友になった。そしてある時突然

「ところで、僕たちこんなに気が合うんだから、一緒に暮らしてみない?」という話が持ち上がり、気がついたら再婚までしてしまった。

 彼の国籍は、アメリカ、フランス、イタリアと3カ国に渡っている。父母の国籍はそれぞれがロシアとイタリア、フランスとギリシャのハーフで、4カ国の血が流れている。祖父はユダヤ人だったそうだ。ここまでミックスしていると説明が面倒なので、国籍を聞かれたら「国際人です。」とだけ、答えるのだそうだ。元々あちこちの国に家があり、友人や家族がいるのが当たり前という環境で育っているので、飛行機での移動や異文化の中に身を置くことは、日常なのだそうだ。

 私たちにとっては、新幹線で関西に行くのとあまり変わらない程度の気楽さで外国に移動する。彼が初めて東京と鎌倉に来た時の楽しそうな様子はまるで、無邪気な小学生のようだった。どこにいても、我が家のサロンにいるような顔で、ニコニコしているので、一緒にいてとても楽だった。彼の周りには壁というものがない。文化や言語、他人に対して、恐れがないからだろう。彼の視点を体験してみたくて、私は流れに身を任せてみることにした。彼はイタリア、フランス、アメリカに仕事のための家を持っていて、ハワイにも別荘がある。私より年齢は15歳ほど下だったので、まだまだ働き盛りで、経営しているファッション業界の会社はとてもうまくいっているようだった。天国で夫が驚いているだろうけれど、それ以上に私自身が一番驚いていた。まさに、人生は何が起こるかわからない。

 彼とは、ビデオ電話で話していたけれど、結婚するまでに、実際に会ったのはたったの3回だけだ。リッツのレストランで出会ってから、数ヶ月で彼が日本に2週間ほどやって来た。

 私がイタリアに会いに行った時に、急に彼が一緒に住もうと言い出して、話はあっという間に進んでしまった。国籍や滞在許可の問題をクリアしてお互いの国に自由に滞在することを考えると、結婚という形が一番適していた。リッツで出会った時、彼もたまたま長年連れ添った奥様を亡くされたばかりのタイミングだった。

 リッツでデザイナーの彼が話しかけてこなければ、夕食を共にすることもなく。英語で話すことを億劫がって食事を断っていれば、新しい出会いに繋がることもなかった。そしてある意味で再婚以上に、私の内面に大きな変化をもたらしてくれたのは、この食事会で知り会った女性の存在だ。彼女と知り合ったことで、私の世界は大きく変化した。

 フランスと南米のハーフで、とても楽しく美しい女性だ。彼女ほどバイタリティーのある女性に出会ったのは人生で初めてで、彼女の手にかかれば、あっという間に年間少なくとも数十億のお金が動く。それ以上に驚くべきことは、誰もが彼女のことが大好きなことだ。彼女を慕っている友人は少なくとも100人を超えている。直接毎日連絡を取る、仲良くしているメンバーは5名ほどで、たまたまそのメンバーとのリッツでの食事会に、私も誘われたというわけだ。世界中にファンがいて、毎日1000通ほどファンからダイレクトメールが届くような人物だった。彼らはどこにいても、まるで修学旅行中に仲間同士寝室で笑いあっているような雰囲気で、高級レストランでも街の居酒屋のようにくつろいでいた。

 「直感に従い自分の人生を生きていれば、誰でもこんな風に豊かに人生が展開するのは当たり前なのよ。」と、ファッション、美容、エンターテイメントの5つの会社を経営している。

 誰よりもたくさんの仕事をしているはずなのに、イライラしたそぶりを見せたことは一度もない。ヘアメイクはほとんど毎日のようにプロに頼んでいるそうだ。彼女は、いつでも自分の人生にとって、ベストな決断を下せるよう、身なりと体調を整えることをとても大切にしている。「ご機嫌でいること」が全てを左右するというのが彼女の持論だった。日本に来た時にも、ヘアメイクとマッサージをホテルの美容室に頼んでいた。

 「世界の中心は自分。自分がいいと思った瞬間を信じてさえいれば、その人の人生は必ず発展するの。世界は自分で創っているのよ。まず、自分の生活の中の小さな恐れに立ち向かうこと!そして、今ここに集中すること。」というのが、彼女の口癖だった。彼女とはすぐに気が合って、日本に帰ってからもほとんど毎日のように、ビデオ電話で話した。年齢は私より20歳近く若い。でも友人になるのに年齢や国籍なんて、全く関係なかった。

 「豊かさとは、やりたい時にやりたいことができること!」といつも彼女は言っていた。一見行動やファッションが派手で経済的にも豊かな人たちだけれど、誰よりも謙虚で、態度は横柄ではない。ただ自分の欲求にはとても素直に従う。周りの人への配慮もとても細かい。

 落ち込んでいる状態の人にも、とてもセンシティブな対応をする。私が初対面の時に夫を亡くしたばかりだと言った時の対応は、今まで出会った誰とも違った。彼女は、すぐにウエイターを呼び、テーブルにもう1席椅子を設けてもらい、夫のためにシャンパングラスを用意した。

「よーし!じゃあ、今日は彼女の旦那様と彼女の愛の物語のために、乾杯!」と言ってみんなで乾杯した。まるで夫がそこにいるように、全員が振る舞った。この時の食事会の暖かく楽しい雰囲気が、その後私にとても大きな力をくれた。悲しくなるたびに、この時の風景を思い出した。

 そして、彼らの特徴は社会や他人に対しての恐れというものがとても少ない。ということだ。一度信じた相手への信頼は絶大だった。社会への思い込みもとても少ない。思い込みの枠を外すのがとてもうまいのだ。夫のいない生活の中で、孤独と向き合うことができたのは彼女たちと出会えたからだと思う。

 「見ていてごらんなさい。あなたがその孤独を乗り越えたら、すごい奇跡が起こるわよ!あなたの専門は言葉だから、あなたが小説を書いたほうがいいんじゃないかしら。」と、彼女は私にさりげなく重大な予言をした。

 その言葉が原動力になって、私はホテルの部屋で一人、その日の夜からすぐに小説を書き始めた。帰りの飛行機の中でも、ずっと小説を書いて過ごした。日本に帰ってからも、毎日ビデオ電話でおしゃべりをして、今日書いた小説の内容を話した。彼らは彼らで、パリコレのデザインや、服やコスメのイメージや新しいビジネス展開のことを話す。そういう仲間達だった。それぞれの私生活には干渉もしないし、1ヶ月くらい音沙汰がない時もあれば、毎日話す時期もある。

 彼らのインスタやブログを見ているだけでもとても面白かった。ああ、今日はこの国にいるんだ。と飽きることがない。それぞれが創造の源に直接繋がっていれば、彼らのように歌い踊るように仕事ができるのだ。彼らは代わる代わる、私の鎌倉の家に遊びに来た。彼らにも着物を着てもらい、茶室でお茶を点ててもてなした。彼らにとって、シンプルで静かな鎌倉での暮らしは、とても刺激になるらしかった。


 

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