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長編小説を書いた理由

 2020年の初めに「私、今年は2本の小説を書くわ。」と、なぜか夫に突然宣言した。元旦にお散歩をして、パッサージュにあるサロン・ド・テでケーキを食べながら、今年の抱負について語っていた時に、いきなり思いついたのだ。文章を書くのは好きだけど、小説を書いたことなんて一度もないのに。

 でも、宣言してみると、これがあっさりと、形になっていった。宣言はしてみるものだなあ。と、思う。

 主人公がどんな人でとか、役柄やあらすじは一切考えずに書き出した。思いがけない方向に話が勝手に進み出したり。なぜか、そこに白い猫が登場したりした。なんでもやってみるものだなあ。と、思う。

 最初から最後まで、私も話がどんな風に進むのかはわからなかった。時々、読んでいる本の話をするみたいに、夫に「主人公の奥さんが出て行っちゃったの」とか。

「白い猫がまた出てきたの」と、話すたびに、夫は「奥さんが出て行っちゃったら、困るよね」と、本気で心配したり。

「その白い猫は、一体何者なの?」と話に引き込まれて行った。「まだ、奥さんは帰ってこないの?」と毎晩のように、心配までしだした。(笑)

 でも日本語で書いているから、夫はその原稿を読むことができない。読めないから、気楽になんでも好きなことが書けるとも言えるし、夫に読んでもらえないのは、非常に残念でもある。読者第1号にしてあげたかったのだけれど。最初の方をある程度、翻訳して少し読んでもらったら、とても喜んでいた。

 初めてなので、直しというのは、果てしがない。ということも、よくわかった。こんなに直し続けていたら、きっと何年あっても足りない。もう諦めよう。と、思い始めた矢先に。

 パリでは完全な外出禁止が2ヶ月も続き、その後はステイホーム中心の世界になってしまった。直す時間は山ほどできた。それなら、しのごの言っていないで、Noteで公表しながら、書き上げてみようじゃないか。というのが、この小説を書いた経緯です。

 そして何より、この小説を書いている間、とても偶然とは思えないことがたくさん起こった。動画を流しながら、書いていると、動画に白い猫が必ず出てきた。カフェで原稿を書いていて、ふと顔を上げると、目の前に座っている子供のセーターに白い猫の刺繍があった。

 夫と映画を見ていると、白い猫が出てくる。今まで気にもしていなかった家に貼ってあるポスターの小さな猫の姿は、この小説に出てくる猫、そのものだった。書き上げてから気がついた。

 この小説の登場人物は、実在する人物が数名モデルになっている。もちろん、本人が読んだとしてもわからないくらい全くの別人になっているし。一人はもうこの世にいないし、一人は外人なので、この小説を読むこともない。

 でも、密かに私の中で、勝手にモデルにした人物に会うと、私はちょっとそわそわしてしまう。夫もそのことを知っているので、密かに二人の間ではその人のことを役名(?笑)で、呼んだりしています。

 自分で考え出したはずのお話だけれど、白い猫が気になって仕方がない今日この頃です。

***

 そして、小説を書くということがどれだけの労力と時間がかかるのか、直したら永遠に仕上がらないということを学んだ。そんな時、今度は創作大賞の応募が出ていたので、それじゃあ、とにかくその締切日までに仕上げて応募しよう。を、目標にした。

 最後までどうやって終わるのかを決めていなかったのに、思いがけない登場人物が現れたりして、2年も経つと、自分自身がかなり変化しているので、登場人物もこんなに変わるのだな。と、思ったりした。

 23章、最後のエピローグまでたどり着くのに結局2年と1か月。まだ続きが書きたいという思うほど、登場人物を好きになりました。

 楽しんで読んでくださる方がいたら、幸いです!

『白い猫と妻の失踪』

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