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「気にし過ぎ」「考え過ぎ」って良くないことなの?

友達や親に相談をした時、
胸の内を打ち明けた時、

「それって気にし過ぎじゃない?」
「え〜考え過ぎだよ〜。」

そのように言われてしまったことは、
ありませんか?

そういう風に言われてしまうと、
落ち込んでしまうんですよね。

おそらくその相手は、

あなたの「気にし過ぎ」だったり、
「考え過ぎ」な核の部分を見せられている
という訳ですから、

親しかったり、信頼している相手だったり
するかもしれません。

そんな人からの言葉なら尚更、
重みもあって、
心に残りやすかったりもするんですよね。

「自分は考え過ぎなんだ。」

「気にし過ぎているんだ。」

「そんな自分はダメなんだ。」

「もっと気にしないようにしよう。」

「考え過ぎないようにしなきゃ。」

考え過ぎている自分を、
気にし過ぎている自分を、

否定して、

そんな自分を、
気にし過ぎないように、
考え過ぎないように、

無理矢理にでも変化させようとする。

知らず知らずのうちに、
自分をそんな方向に
向かわせてしまっているような気もするんです。

これってめちゃくちゃしんどいし、
胸が痛くて、苦しいことなんですよね。

だってそれは、
“本来のあなた”ではないのだから。

あなたという素晴らしい存在を
否定してしまっていることになるのだから。


けれど私自身、
だんだんと色々な経験や人と出会っていく中で、
気づいてきたことがあるんです。

それは、

「気にし過ぎ」「考え過ぎ」というのは、
一つの性質であって、
むしろそれは誇るべき才能にもなり得る

ということです。

そしてその気づきは同時に、
私にこんなことを教えてくれました。

「気にし過ぎだよ。」
「考え過ぎだよ。」

という私に降りかかってきた言葉の数々は、
「暗示」だったのだと、

無意識のうちに、

「気にし過ぎ」「考え過ぎ」は良くないことなんだ

と思ってしまっていたことにも
気づいたんですよね。

そもそも、

「気にし過ぎだよ。」
「考え過ぎだよ。」

というのは、
その相手の基準の中で
測って言っていることであって、

あなた以外に世の中にはいくらでも、
あなたと同じように「気にし過ぎ」たり、
「考え過ぎ」たりしている人はいるはずです。

そして、
ある状況においては、

あなたが
「考え過ぎだよ」「気にし過ぎだよ」
と言われてしまうことがあったとしても、

それが別の状況や場面になった時、

あなたの「気にし過ぎ」たり、
「考え過ぎ」たりする性質のおかげで、

周りより秀でているとして
評価される場合だって大いにあるのです。

つまり、
「気にし過ぎ」「考え過ぎ」というのは、
一つの性質であって、

それが良いか悪いかという判断は、
決してすることはできず、

むしろ、
その性質をどうやったらより良い方向に
活かしていけるか

そのように考えることの方が、
はるかに大切な気がしたんですよね。

私について言えば、

今でもきっと「気にし過ぎ」だし、
「考え過ぎ」な方だと思うんです。

とは言っても
「だから何〜?」くらいの感覚で、

むしろそれを自分の長所として
捉えている部分が大きいんですよね。

例えば一つ目には、

「気にし過ぎ」たり、
「考え過ぎ」たりする性質がなければ、

このように日常的に記事を書く
ということも出来ていなかったと思うのです。

色んなことを感じたり、
考えたりすることが出来なければ、

例えば、
「かつての強迫性障害の頃の辛かったことについて書こう!」と思っても、

あまり言葉が出なかったり、
言葉として表現出来なかったりして、

「あぁ、あの頃は辛かったなぁ…。」

の一言、二言くらいで、
終わってしまう可能性だってあるはずです。

これには、
私の「気にし過ぎ」「考え過ぎ」な性質が
活かされているなと感じるところでもありますね。

また二つ目に、
大学時代の話をすると、

すごくイケボで穏やかに話す
教授の授業を受けていたことがあるんです。

けれど、
授業の内容や先生の言葉遣いが
私にはすごく難しくて、

ちょうど昼食終わりの
時間帯の授業だったことも相まって、

すごく良い感じの
子守唄になってしまったんです。

その授業に関しては、
学生の鑑とは程遠い授業態度で、
お恥ずかしい限りですが、

成績だけは良い評価を取りたいという欲が
出てしまったんですよね。

そこで私が打って出た
試験への作戦は、

試験範囲である、
授業中に配られた全てのプリントを
自分の言葉で分かりやすく噛み砕き、
文章にしてまとめたものを丸暗記する
という方法で、

試験に挑んだのです。

私の周りの友達も、
みんな似たり寄ったりな感じで授業を受けいて、
半ば諦めモードだったので、

そんな試験への挑み方をしたのは、
私くらいでした。

けれど、
その作戦が功を奏したのか、

無事に望み通りの評価を
いただくことができました。

これについても、

私の「考え過ぎ」たり、
「気にし過ぎ」たりする頭が、
ようやく活かされたんだ。

ということを
実感できた瞬間でもありましたね。

「気にし過ぎ」たり、
「考え過ぎ」たりする頭のおかげで、

「単位を落とさないようにするためには
どうしたら良いか?」

たくさん考え、作戦を立てて、

「あわよくば、
良い評価をもらえるようにするためには
どうしたら良いか?」

と考え、そのために出来ることを準備して、

「よし!授業の全ての内容を頭の中に
入れてしまえばいいんだ!」

として、
たくさんの情報を頭の中に詰め込んだ状態で、
試験に挑み、

無事に希望通りの評価をいただく。

これまでの私の経験から見ても、

「気にし過ぎ」たり、
「考え過ぎ」たりすること自体、

決して悪いことではなく、

むしろ活かし方次第で、

いくらでも自分の役立つ方向に
持っていくことだってできる

ということなんですよね。

なので、
「気にし過ぎ」「考え過ぎ」などの言葉たちを
浴びてしまうことがあったとしても、

決してあなたが、
あなた自身を否定することだけは、
しないで欲しいです。

むしろその素晴らしい才能を、

あなたのためになるように、
どうやったら活かしていけるだろうか。

そんな風に考えていくことの方が、
確実にあなたのために役立ってくれるはずです。

きっと、
「気にし過ぎ」「考え過ぎ」というのは、
誇るべき才能です。

私は、そう信じています。

そんなあなたにも幸あれ。

(家のベランダに小さな蜂の巣を発見しました笑早めに見つけられて良かったです🐝)


りん

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