りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を経験したひと】

重度の強迫性障害、不登校を乗り越え、地域の小さな塾で一般の大学受験をして、そこら辺にい…

りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を経験したひと】

重度の強迫性障害、不登校を乗り越え、地域の小さな塾で一般の大学受験をして、そこら辺にいるふつうの大人になりました。経験を全て、筆に託します。 ⭐︎週2日ペースで投稿中!(※現在は不定期🙇) ⭐︎少しでも良いなと思っていただけたら、ぜひフォロー/いいね/コメントでお知らせください!

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サクッと簡単に、自己紹介

私は都内のそこら辺にいる24歳です。 そんな私ですが、 高校時代まではずっと暗闇の中をさまよってきました。 ・小学四年の時、強迫性障害を発症 ・小学六年の卒業間近に強迫性障害を再発 ・中学校に入学して間も無く不登校になる ・定時制の高校になんとか進学 ・高校入学後に一般での大学受験を目指す ・中学校の勉強をいちから紐解いていく ・ひたすら机に向かう高校三年間 ・第一志望のところでは無かったが、自分なりに納得のできる大学へ進学 様々なハードルがありましたが、、、 こうして

    • 現実からの雨宿り-私を繋いでくれた「好き」の世界-

      強迫性障害の症状は日に日に悪化。 必死に離すまいと掴んでた 当たり前の日常も、 中学一年の夏には、 ついに学校へ行けなくなってしまった。 ひたすら翻弄された中学時代。 強迫性障害のことはもちろん、 自分が今置かれてしまっている状況なんて、 理解できやしなかった。 頭の中はぐちゃぐちゃだし、 ひたすら目の前で起こっていく現実に、 混乱することしか出来なかった。 そんな地獄のような心地にいる現実は、 毎日似たような形で繰り返されるばかりで、 その現実から逃げるにしろ

      • 人間関係に擦り減ってしまったとき-そこからこんなものが見えてきた-

        これは私が最近気づいたことなんですが、 お話してもいいですか? ▷ 避けようのない人間関係に 擦り減ってしまったとき。 例えば、 大自然の中に自分の身を放り込んだとして。 その時、 大きな蜂がこっちに向かって飛んできた。 とっさに「怖い」と感じる。 そしたら、 さっと静かにその場を離れるか。 はたまた、 「あっち行け」と追い払うか。 それで後者を選んだとする。 すると、チクッと刺された。 それを「刺された」と言って泣きじゃくる。 まるで蜂が悪者かのように

        • 【私の投稿を待って下さっているあなたへ】

          お久しぶりです☺︎ 更新をストップしていた期間にも、たくさんの「いいね」や「フォロー」をして下さり、それがすごく励みになっていました。 いつもありがとうございます。 しばらく活動をストップするとお伝えしておりましたが、ちょっとずつ投稿を再開することにしました。 まずは不定期という形にはなりますが、どうぞ気ままに、今後とも記事を覗きに来てくださると嬉しいです。 いつでもあなたをお待ちしております。 りん

        • 固定された記事

          【いつも投稿を待ってくださるあなたへ】

          いつも「りん」の記事を読んでくださり、ありがとうございます。 最近なかなか投稿することができていなかったのですが、しばらくの間、投稿をストップさせていただくことにしました。 投稿を楽しみに待って下さっている方、本当にごめんなさい。 一旦パワーチャージに時間を充てます。 これまでの記事も全て、ひとつひとつ丹精込めて創ったものたちです。 その間、そちらも愛してやって下さると嬉しいです。 りん

          【いつも投稿を待ってくださるあなたへ】

          【投稿に関するお知らせ】 今週の投稿はお休みさせていただきます。 楽しみに待って下さっている方々、申し訳ございません。

          【投稿に関するお知らせ】 今週の投稿はお休みさせていただきます。 楽しみに待って下さっている方々、申し訳ございません。

          強迫性障害と不登校。真っ暗闇の私の世界を、全力で支えてくれたアーティスト

          強迫性障害で苦しんでいた時、 そのせいで、 思うような生活が 送れなくなってしまった時、 急に当たり前の日々が 奪われてしまった時、 容赦なく、 「みんなと違う」現実を突きつけられた時、  そんな私の真っ暗闇を、 ブラックホールを、 果てしなく続いて行く 気がしてしょうがない  地獄に生きた心地を、 必死に支えてくれ、 そんな「最悪」に思える世界を、 「希望」という名の、 「未来」という名の、 明るくて平和な世界に、 何としてでも、 お節介なほどに

          強迫性障害と不登校。真っ暗闇の私の世界を、全力で支えてくれたアーティスト

          「ポジティブ」という呪縛からの解放-そこから見えてきたもの-

          「もっと前向きに考えようよ。」 「考え方が暗いな〜。」 「もっとポジティブになろうよ。」 「そんなネガティブにならないで。」 世の中は私たちに、 そんなポジティブで、明るくて、 前向きな状態であることを求めてくる。 ポジティブさとは、 「善」であり「正義」でもあるかのように、 そんな風潮が主流となっている。 そんな世の中の価値観を、 強迫性障害だった当時の私は、 信じて疑わなかった。 けれどそれによって、 私は私を苦しめることになった。 私が抱える「障害」という言葉

          「ポジティブ」という呪縛からの解放-そこから見えてきたもの-

          「ネガティブ」か?「ポジティブ」か?それはあなたのせい?

          いきなりですが、 あなたは自分が「ネガティブ」だと思いますか? それとも、 「ポジティブ」だと思いますか? 実はそうした 「ネガティブ」や「ポジティブ」というのにも、 「環境」が大きく関わっているというお話を 今日は軽くしてみたいと思います。 まず前提として、 そもそも人間というのは、 基本「ネガティブ」になりがちなんです。 なぜなら、 色々なことを心配したり、 不安になることが出来ていなければ、 人間の種としての繁栄が ここまで出来ていなかったからです。 やりで

          「ネガティブ」か?「ポジティブ」か?それはあなたのせい?

          「気にし過ぎ」「考え過ぎ」って良くないことなの?

          友達や親に相談をした時、 胸の内を打ち明けた時、 「それって気にし過ぎじゃない?」 「え〜考え過ぎだよ〜。」 そのように言われてしまったことは、 ありませんか? そういう風に言われてしまうと、 落ち込んでしまうんですよね。 おそらくその相手は、 あなたの「気にし過ぎ」だったり、 「考え過ぎ」な核の部分を見せられている という訳ですから、 親しかったり、信頼している相手だったり するかもしれません。 そんな人からの言葉なら尚更、 重みもあって、 心に残りやすかった

          「気にし過ぎ」「考え過ぎ」って良くないことなの?

          「強迫性障害」ってなに?

          俳優の佐藤二朗さんが公表したことにより、昨今メディアなどでも取り上げられ始めている「強迫性障害」。 徐々に世の中にも「強迫性障害」という言葉が浸透され始めている部分もあるかと思います。 しかしながら、まだまだ認知度は低く、その実態もいまいち掴みづらいところもあるかと思ったので、そもそも「強迫性障害とは一体どういうものなのか?」一般的に言われていることについて、元当事者である「りん」の視点も交えつつ、出来る限り分かりやすく説明していきたいと思います。 強迫性障害について既に知っ

          「何が幸せで、何が不幸せかなんて、最後まで分からない。」

          これは、私が好きな「人間万事塞翁が馬」ということわざの一節です。 念のため、辞書的な意味を確認してみると、以下の通りになります。 『一見不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることこたとえ。 幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。』【参考:故事成語を知る辞典】 「ふむふむ、なるほど」と言ったところかと思うのですが、個人的にはこのことわざの元になっているエピソードがとても面白かったので、ぜひご紹介させてください! ▷ 【エピソード】 「塞翁が馬」

          「何が幸せで、何が不幸せかなんて、最後まで分からない。」

          「“みんな”に合わせられなかった私」

          “みんな”とか“大多数”とか。 多分きっとほとんどの人が そこから外れたくない。 願って、自ら外れていく人なんて なかなかいないだろう。 “みんな”の中にいれば安心だし、 “みんな”と違う“あなた”として、 後ろ指を指されずに済むのだから。 でも中学の頃の私には、 それがどうにも出来なかった。 私だって、 “みんな”と同じが良かったのに… ▷ 例えば学校。 中学校までは義務教育だから、 「学校へ行く」というのが一般的だろう。 だから私も学校へ行きたかった。

          「りん」の方向性

          いつも「りん」の記事をご覧いただき、ありがとうございます。 ありがたいことに、ちょっとずつではございますが、見てくださる方も増えてきたので、ここで一旦私がどんなことを大切にしながら、どんな想いで日々記事を書いているかについて、お伝え出来たらいいなと思います。 私の創作活動の軸のようなものになるので、ぜひ「りん」の記事を一度でも見てくださった方は、この機会にぜひ覗いていってくださると嬉しいです☺︎ それではいきます! ①あくまでも「希望」的であること 私のこれまでの経験

          「病名」が「病気」にさせてしまう、ということもある。

          「病名」があることによって、 私たちはその「病気」について知り、 そんな自分自身を受け止めて、 どのようにすればより良くなっていけるか 考えることが出来るようになると思うのです。 これは私たちにとって、 とても役に立つことだと思うのです。 しかし、 全てが全てそうだと言えるでしょうか? 長年、強迫性障害という「病名」と向き合い、 乗り越えていくまで、 同時に「病名」があることに対する 違和感のようなものも感じるようになったので、 今回はそれについて、 お話させて

          「病名」が「病気」にさせてしまう、ということもある。

          「続けて叶える」ということ。

          「自分もいつかこんなふうになりたい」 そんな未来を 思い描くこともありますよね。 例えば私には、 「強迫性障害を治して“普通”の生活がしたい」 という想いが長年ありました。 そう願って、 すぐにそんな未来が目の前に現れてくれたら 話は早いのですが、 “そうも簡単に上手くいってくれない” というのが人生の厳しさ とでも言えるのかもしれません。 とはいえ私たちは、 その理想に向かって、 少しでも近づいていけるように、 今の自分ができることをやる。 このように自分