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「何が幸せで、何が不幸せかなんて、最後まで分からない。」

これは、私が好きな「人間万事塞翁が馬」ということわざの一節です。

念のため、辞書的な意味を確認してみると、以下の通りになります。

『一見不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることこたとえ。
幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。』【参考:故事成語を知る辞典】

「ふむふむ、なるほど」と言ったところかと思うのですが、個人的にはこのことわざの元になっているエピソードがとても面白かったので、ぜひご紹介させてください!


【エピソード】
「塞翁が馬」の「塞翁」とは、中国の北辺の塞(とりで)に住んでいた翁(老人)のことを指しています。

その昔、中国の北辺の塞に占いに長けた老人が住んでいました。ある日そこで飼っていた馬が逃げ出してしまいました。そのことに同情した人々に対し、老人は「この出来事が福を招くかもしれない」と言いました。

するとそのうち、逃げ出した馬が駿馬(足の速い馬のこと)を連れて戻ってきたのです。たくさんの駿馬がやってきたことに人々は喜びますが、老人は今度は「これは禍(わざわい)となるかもしれない」と言いました。

すると後日、駿馬に乗っていた老人の息子が落馬して、足を骨折してしまいました。これに周囲の人々はあわれみましたが、老人は「これが幸福を呼ぶかもしれない」と言いました。

それから一年後、隣の国が大軍で攻め入って来て、若者はみな戦争に駆り出され、十人のうち九人は戦死しました。しかし、老人の息子は骨折のおかげで徴兵を免れ、命を落とさずに済んだのでした。


このエピソードを知ったのは、たしか高校生の頃テレビを観ていた時だったのですが、当時ものすごい衝撃を受け、食い入るように観ていたのを今でもよく覚えていますね。

自分にとって、良くないと思う出来事が起こってしまった時、もしくはそんな状況に出遭ってしまった時、どうしても「あぁ、もう最悪だわ」って思ってしまいますよね。(もちろん私にだってあります。笑)

けれどこのことわざは、私たちにその「最悪」に思える状況や出来事は、あくまでも長い人生の中での「一部」であることを教えてくれているような気がしました。

「最悪」だと感じることは、その時の私たちの「解釈」によるものなのだと、だからその「解釈」が本当に現実でもそうなのかどうかというのは、最後の最後まで分からないということも、同時に教えてくれているような気がします。

例えば私の場合、強迫性障害になったことは、確かに当時の私にとって最悪なことでしかありませんでした。
しかし最終的には、その最悪なことは最悪なこととして終わっていないように思えるのです。
まず第一に、このように微力ながら、現在は自身の経験を元に、noteで発信することが出来ています。
自分にとって「最悪」だと思える経験が、誰か一人でも役に立つことが出来るなら、その「最悪」な経験は私にとって「最高」の経験にさえ、変わっていくのだと思います。

大学受験をしていた高校時代も、中学校の勉強を一から紐ほどき、一日十時間以上、机に向かう日々を過ごしてきました。
友達とも片手で数えられるほどしか遊んでおらず、「青春」という言葉は、当時の私にとってまったく交わることのない、遠い世界の言葉でした。
そんな「青春」とやらも全て投げ売って、受験勉強だけに身を捧げた高校三年間だったので、第一志望の大学へも当然のように合格出来ると思っていました。しかし、現実はそうも上手くはいってくれませんでした。
のちに、超難関私立大学が人員削減したことで、例年よりも全体的に大学の偏差値をつりあげてしまったという話も聞きました。

「なぜ私の代にそんなことになってしまったのか」
考えれば切りもないですが、不合格は不合格でしかありませんでした。

「ここまで頑張ったのに、努力は報われないんだ」
どこにも答えが見当たらない問いに苛まれたりもしました。

第一志望に合格できなかった現実を、到底受け入れることはできませんでした。

しばらくはずっと腐っていて、家族には愚痴ばかり言っていました。

しかしだんだんと、
「私はきっとこのままでは終わらない。」
「むしろ、こんなに頑張ってきたんだから、入る大学は絶対楽しいはずだ。」
そのように考え始めたんですよね。

実際に蓋を開けてみたら、やっぱりすごく楽しい世界が私を待ってくれていて、恋に勉強に友達に、私のこれからの人生で欠かせない経験や人に出会うことが出来ました。
なので今では、むしろ第一志望の大学には受からなくて良かったなと感じますし、私が入る大学は私が卒業した大学しかありえません。

今お話した話は全て、「人間万事塞翁が馬」になぞらえれば、最終的には起こるべくして起こった幸せな出来事だったと言うことも出来ると思うのです。
しかしながら、例えば第一志望の大学に落ちてしまった時、「自分の人生は最悪なんだ」と思い続けたまま大学生活を送っていたら、本当は近くに転がっているはずの「幸せ」にも気づくことが出来ていなかったとも思うんです。
「人間万事塞翁が馬」ということわざは、かつての偉人が残した、いつの時代を生きる人々にも当てはまる普遍の真理だと思うので、「最悪」だと思える出来事が起こってしまった時こそ、そのことわざに習って「まぁ、これが本当に最悪がどうかなんて、今はまだ分からないよね」そういうマインド(精神)でいることが、まずは大切だったりするのかなと個人的には思いますね。

(今更ながら、ワンピースにはまっています笑)

りん 

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