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読書からの葉脈

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読了の落とし込み。読んで書いて読んで書いてし続けたいし、その先の自分の表現を見つけたい。
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#表現

大江健三郎の「親密な手紙」は、これからも続く。

大江健三郎の「親密な手紙」は、これからも続く。

岩波新書から2023年の10月に発売された、大江健三郎の「親密な手紙」を読んでいる。読んでいると表現したのは、過去形にしたくない気持ちがまだどこかに存在するからだ。

大江健三郎は、私の読書の核にいて生涯追い求めたい遥か先にいる。あらゆる角度から事象を表現し、本当の救済を訴える。

初期の短編からの変遷を辿ると、文体の大きな変化、革命に近いものに気付く。大江健三郎から私が得た「小説」という形は、「

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スズキ ヒロに伝えたいこと

スズキ ヒロに伝えたいこと

久しぶりの読書は、スズキ ヒロの『Book Cover』からにした。スズキ ヒロとは、卍丸くんだ。

彼とは会ったことはない。会ったことはないけれど繋がっている。矛盾しているが、SNS上の繋がりだけではないという、見えない繋がりに何かしらの見える物を感じる繋がりだと言いたい。

どうして、こういう回りくどい言い方をしなければならないのか。少なくとも私には、人との関係が希薄になったこの何年間で一番、

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小津夜景の暮らしに触れた一日に。

小津夜景の暮らしに触れた一日に。

「梅雨が明けた頃でいいかしら」

「梅雨が明けた頃会いましょうね」

その日、同じ時間を共有したのであろう2人から、別々に写真やメッセージが私宛てに届いたのは偶然ではないのだろう。

ふいに届く言葉にふと、その時間を想像し、想いを馳せる事が出来るありがたさを感じた。

「楽しみにしてます」と文面を一言で返信しようとしていた自分に、これはキッカケだ。逃すな。と踏みとどまった。

好きな作家が亡くなり

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吉行淳之介に出会った文学中年は、時の残酷さを知る生と性

吉行淳之介に出会った文学中年は、時の残酷さを知る生と性

これは、私の読書友達。大工こと卍丸くんの最近の記事からの引用である。

卍丸くんは、吉行淳之介の「砂の上の植物群」を読み終え、そう感じた事を記していた。

彼はまだ20代後半だ。

彼の感想が、私の心に囁いたもの。

おいおい待ってくれよ。君はアラサーでこれを感じているじゃないか。彼が今の私の年齢になるまで後10年以上もある。中年はこれからじゃないか。

もう一度載せる。

どういうことだかわかり

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谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。

谷崎潤一郎の細部にまで達する表現の拘りを変わらず愛でたくなる。

昨年末の話だ。図書館から年末年始に読もうと予約していた本が多く届いた。自分の中で心の落ち着きを取り戻し、ゆっくり読書をしたい欲求に溢れている。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」を味わった。日本家屋にこんなにも陰影による工夫がされていたのかと今さらながらに大切にするべきだと感じた。当たり前にストレスなく感じていた時間や空間は、誰かが創り上げた時間と空間だと思わされた。

生活には「闇」が付いてくる。

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横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

前回の記事で年末年始の読書に閉じ籠ろうかと思っていたが、どうしても今年中に書き残したいと思える作品に出会った。

一回読み、すぐにもう一度読み返した。こんな事は初めてで、あまりに不明瞭で落とし込めず、だけど「人間」としての本質的な事を物凄く明瞭に描いてる。

機械とタイトルがついているけどそれは歯車みたいだ。ズレを把握していても一定の法則で回っていく。誰かが入れ替わり立ち替わりその歯車になる。

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室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の全集より、私小説にあたる三作を読了した。

「幼年時代」
「性に眼覺める頃」
「或る少女の死まで」

詩人でもある室生犀星が描く私小説に興味があったのか、自分でもどこに引っ掛かりがあったか忘れてしまっていたが、メモに室生犀星と書いてあったのだから何かに引っ掛かったのだろう。

しかし自分の動機などは、読む本に関係ない。ある種の出会いだと思っている。

少し前に、徳田秋声の「仮装人物」とい

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未だに五里霧中の中に。私の安部公房の道程は大工の助けが必要だ。

未だに五里霧中の中に。私の安部公房の道程は大工の助けが必要だ。

安部公房
砂の女

ずっと投稿出来なかった本。
面白さの違和感の正体がなかなか掴めなかった。
今もまだ説明出来ないが、ひとり安部公房祭り最中の大工に呼ばれた気がするので残しておく。

安部公房を次に読むならと色々な方に薦められた。

空想をより現実に迫る作家だと思う。頭では空想の世界と理解しているが、知識と表現で現実にもあり得るのではなかろうかと思うのである。文学というものの面白さを知れる本。

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読書を再開したら、中谷美紀に告白をしてInstagramにお別れを告げた日

読書を再開したら、中谷美紀に告白をしてInstagramにお別れを告げた日

この2ヵ月、読書を全くしなかった。
少なからず、本を読むというのは自分にとってストレス発散や、リラックス、自分と向き合える大切なものであった筈だ。

企画していたイベントが、自分の心の許容範囲を越えていると自覚したのは、本を読めなくなったからだ。

一緒に主催した友人も滅多にしない仕事のミスをして、こんなに許容範囲が狭くなっていると思わなかったと言っていた。

精一杯やるという意味を久しぶりに体感

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私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか

私が描く女性論を、いつか三島由紀夫、谷崎潤一郎に語れのるだろうか

📚 #夏子の冒険 #三島由紀夫

私はよく疲れた時に三島由紀夫を読む。
と言いつつ、そんなに多く読んでいるワケでもないし、理解しているワケでもない。

ただ、日本語というより三島の言葉、熟語の羅列の美しさを魅せてくる手法が読んでみろ、感じろ、俺を視よ、と言われている気がして心地よくなっていく。

三島の文体はそれ単体で美しく、ただ読み進めるだけでも楽しいものだと思っている。

今まで、読書に

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大江健三郎を味わい、続く作家の旅は壮大になりそうだ。

大江健三郎を味わい、続く作家の旅は壮大になりそうだ。

📚 #大江健三郎 #万延元年のフットボール

大江健三郎を未読の私に「古典だって何百年、何千年と経て今読みますから、作家や作品はタイミングで出逢うもの」と優しく教えていただいた。

私は、読書が好きだが、周りに本を薦めてくれたり、感想を言い合ったりする環境がないまま経年している。

だが、今読みたい、触れたい文学への座標が出来て、進みたい道に、教えてくれる方達がいるのは、とてもありがたい事だ

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僕と大工と偶然と必然

僕と大工と偶然と必然

「あら。須賀敦子はどうだった?」
珍しく司書の方から話し掛けられた。
「そう。それについては、まだ落ち着かないんだ。でもまとめるよ」
僕はそう答えていたが、僕の話を聞くまでもなく司書はこう言った。
「あなたが次に読む本。彼は何て言っているの?」
僕は、答えた。
「彼を知っているの?」
司書はそれに答えずこう言った。
「偶然と必然を知る意味はあなたにとっての必然になり得るかもね」
僕は、本を受け取り

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