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大江健三郎の「親密な手紙」は、これからも続く。

初出時の本文には手を入れて、新たに書き下ろしの章を四章のあとに入れることを構想されていた。

 大江健三郎「親密な手紙」付記より

岩波新書から2023年の10月に発売された、大江健三郎の「親密な手紙」を読んでいる。読んでいると表現したのは、過去形にしたくない気持ちがまだどこかに存在するからだ。

大江健三郎は、私の読書の核にいて生涯追い求めたい遥か先にいる。あらゆる角度から事象を表現し、本当の救済を訴える。

初期の短編からの変遷を辿ると、文体の大きな変化、革命に近いものに気付く。大江健三郎から私が得た「小説」という形は、「事実」として捉えても構わない、そこの線引きは必要ないことだと、それよりも、声が届く限界の一番深い場所での『本当のこと』を伝えていると思っている。

小説の表現ではない、大江健三郎の声を聴けるこの本は、友人であり、妻の兄の伊丹十三のことや、小澤征爾とのこと、大岡昇平、安部公房のこと、もちろん家族のこと、語りかけるように綴ってある。

「親密な手紙」は、大江健三郎との距離の近さを感じてしまう。やっぱり悲しくなる。

私は、まだ消化できていないことを知る。

谷川俊太郎の詩「鳥羽」の一行から引用した万延元年のフットボールの事が書いてある。引用した言葉は小説の大きな一言にもなっている。

「本当のことを云おうか」

 ※「云おうか」の漢字は、谷川俊太郎が「云おうか」
大江健三郎は、「いおうか」で万延元年のフットボールでは引用している。

私の心の中に、大きな印をつけた一言だ。この作品に出会った以後、私は「本当のこと」というのが自分にとって大きく大事なものになると思いもしなかった。

もっともっと考え抜かねばならない。私にとっての「本当のこと」それを表現する言葉。人の心に突き刺さり抜けない言葉を見つけたい。

大江健三郎は、こう書いている。

──永い間、小説を書いて、「本当のこと」を書く技術と手法は造りあげたと思う。時間がのこされているとしたら、それを書きたいと思います。

中略

──しかし、書く技術・手法より、「本当のこと」を書く覚悟が問題なのじゃないか?それこそいまやきみの「晩年のスタイル」として!

大江健三郎「親密な手紙」より

多くの書物を残し、言葉を残しているが、私が多くの作家から学ぶのは、その本の世界からだ。「本当の」人となりや、思想の奥深くまで知れない。それを書き記そうと今なお、多くの人達が表現と戦っている。

人が紡ぐ言葉は、どこで誰が気付くのか誰も知らない。私に届いた「本当のことをいおうか」は、大江健三郎その人からであるが、その小さな自分の心の気付きから谷川俊太郎へ続き、「本当の意味」を知る。

これが私の「本当のこと」だ。

私が辿り着いた「本当のこと」は、私の中から今後どういう形で表現されていくのか、私にもわからない。今、言葉を探すこと表現することに夢中で過ごしている。

継続している最中に、一つの糸を見つけた。これを切らしてはならないとずっと思っている。私は、大きなことを為すことや影響を与えることは出来ないが、この糸を手繰った先に私の覚悟がある気がする。

だから書くのだと思う。「本当のこと」を知りたい。

そのために、私に必要なのは「本」であり、残してくれた言葉達だ。

私は入り込んでしまう窮境を自分に乗り超えさせてくれる「親密な手紙」を、確かに書物にこそ見出だして来たのだった。

大江健三郎「親密な手紙」より

だから、読み終えたとはこれからも言わない。手紙は続くものだ。返事を書き続けよう。






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