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手紙になるような一日を終えて、自己を知る。

その日の約束は、昨年の9月からの約束になる。僕は、逸る気持ちを抑えきれずに待ち合わせの40分程前にそこに着いた。伊勢佐木町のBOOK・OFF前が待ち合わせ場所だったのは、きっと僕が早く到着しても大丈夫なようにという気遣いからだろう。

僕に渡したい本がある。

そう言っていただき、実際に会うまでに5ヵ月。聞きたい事、話したい事が積もりに積もっていた。

大江健三郎という一人の作家がいる。僕が大江健三郎を読みたいと思ったのは、その方のSNS での文章からの熱が共振したからだ。

僕は、文学がわからない事を自負している。それは嘘でも何でもなく、近代作家に触れるようになったり純文学を知ってまだ2年にも満たない。

大学にも通っていないし、専門の勉強をしてきたワケでもない。読書が好きだと周りに話せる人もなく、1人でただ「そこにある本」を読み時間を潰していただけだ。

読書に指針があるとは考えた事もなかった。

僕は、当時の僕からすれば本当に意を決して、その方に大江健三郎を読みたいと伝えた。当時の僕のSNSのアカウントは、文学や読書に対して真面目に向き合っているようなアカウントでもなく、その方のアカウントに僕がいるだけで違和感しかなかった。

僕は純文学を読んだ事が殆どないこと、大江健三郎は未読だという事、もう40歳になって今からでは遅いと思っていて、その道を読み進めて良いものか不安だということを正直に伝えた。

その方は、真面目に返答してくれた。

「古典だって何百年、何千年と経て今読みますから、作家や作品はタイミングで出逢うもの」

この言葉をいただいた僕は、本当に嬉しくなった。これが、僕に進む勇気をくれた言葉になる。大江健三郎を介しての出会いから、実際に会うまでに到達した事を僕は自分を褒めたいと思う。

 少し早めに待ち合わせ場所に到着して、並ぶ本を見ながら、思考を落ち着かせていた。

10分前にお店の前に出る。
ドキドキして人を待つのは嬉しい事だ。自分の心が欲している事が分かる。

何となく気付いていたが、直ぐに一人の方が目に入る。どうしよう。人違いだったらと思いながら、

なぜ俺は自分がどんな格好しているのか、お知らせしとかなかったんだ‼️

と、後悔しながら5分間。向かい合う不思議な時間を感じながら待ち合わせ時刻の17時を待った。

17時になり、意を決して声を掛けた。想像通りの、こういう人であって欲しいというイメージを上回る佇まいと雰囲気の方だった。

この雰囲気とても素敵だ。こういう風に重ねたいと思える雰囲気だった。

はじめましてだけど、はじめましてではない。
出た言葉は、

「やっと会えました。ずっと会いたかったです。会えて嬉しいです」

挨拶もそこそこに、心から出たこの言葉を、この日僕は何度口にしたか分からない。

その夜の内容は、心に留めて置く。僕がその人に話して初めて、自分を理解した言葉だけ残しておく。

「言葉が磨り減っている気がしているんです。だから、今自分が使用している言葉や表現を聞き慣れてしまっていて、自分に響かないのだと思います。どうして昔の言葉が響くのか。新鮮に感じる部分と大事にして削り出している部分が伝わるからだと思うのです」

だから、読みたかったのか。話している最中に気付いた。僕の読書の指針を理解した。作家が削り出した言葉に自分の内面が反応し、自己を知れる。

「死ぬまで読みきれない、満足出来ないまま死ねる幸せを感じています」

ゆっくりと頷き聞いてくれる幸せな時間が流れた。それは、独りよがりの一方通行だったかも知れないがとても幸せだった。

僕は、約束の本をいただいた。

そして、それとは別に9冊もいただいた。予期しない嬉しさが心の大部分を占めた。

僕が読んでいないだろう、これからの大江健三郎の道と、僕に読んでみて欲しいという本達だった。

一冊、一冊の気持ちと言葉と本の説明をいただき、僕は照れながら飲むビールが、ビールという飲み物のレベルを一つ越えたビールなのではないかと思うくらい美味しく感じた。

その中の一冊に、高橋源一郎の「さようなら、ギャングたち」が、入っていた。

僕に読んで欲しいという本の中に、僕が自分で引き寄せて辿り着いた本が入っていた。

こんなに嬉しい事はなかった。僕は、僕の指針に従い進んでいる道に、僕を見てくれている人が、僕にとって必要だという本を読んでいた。

間違ってない。初めてそう感じる読書を通じての生き方をしていると思えた。

僕は、読書を通じて思想を文体に乗せる事が出来る作家達に熱くなる。それに付随して、知識が深い人や遠く及ばない感想や思想、意見を持つ人の文章も色々読んできた。

そういった比較対象にもならないが、それなのに、読んでいただき、僕の相手をしてくれる人達の優しさに救われている。

文学を読む日は浅く、稚拙な文章を紡ぎ、感想とは言えないものを書いている。だが、そこに一つも妥協なく、真摯に向き合っていて、自己と対峙していると言える。

僕は、自分の表現を見つけたい。

それには、文学というものに挑戦してきた作家達の表現を知るのが一番の近道だと思っている。

だから、僕のnoteは、まだまだ過程です。

僕は、自分がどうやって変化していったかを
記録し続けていきたい。40を越えてのスタートでそれを考えられる人生だという面白さを楽しんで生きたい。

なんのはなしですか

帰りに、一大歓楽街の横浜伊勢佐木町のキレイなお姉さん達がいるお店に、この僕が立ち寄らず帰ったという奇跡を皆さんに捧げたい。

僕は、常に変化している。

幸せな10冊たち

連載コラム「木ノ子のこの子」vol.22
著コニシ 木ノ子(宝物という)





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