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一人の作家を通して、実際出会うまでに至る引力を知る。それが大江健三郎の凄さだ。

僕は大江健三郎が「大切なことを正面にもって来る」というのを小説のスタンスとして持っているのを大江健三郎のエッセイから知った。

大江健三郎は、僕の読書に於ける尤も核になる部分に潜んでいる。まだ数冊しか読んでいないのにだ。これを言い切れる僕は、大江健三郎を介してのSNS上でのその特性を活かした特別な出会いをある方達としている。

その方達が書くその文章には、大江健三郎の熱をそのまま帯びたような感触で、そのまま残して書いてくれている方達だ。その方達とは世代や生き方が違うのに、感じている熱は同種のものを確実に感じた。これはSNSでしか味わえない一つの興奮だと思っている。知ることのなかった筈の同種の価値観を共有出来る幸せは、より僕をその深みへと誘ってくれる。

だから僕の大江健三郎への導かれ方は、そもそもの読書のスタンス。スタートとして全く否定を含まない受容のみだと最初に伝えておきたい。それは完全にその方達によるものだし、SNSが無ければあり得ない出会い方をしているからだ。

僕は熱を帯びた思想の文章に惹かれる傾向がある。相反して逆、人間の内面の悪魔性にも惹かれる。その矛盾は僕に何を落としているのか、いつか突き詰めたい。

僕が大江健三郎を読むスタンスとして最初から決めているのは「味わう」ということだ。だから面白くてしょうがない。興味が尽きない。

僕が最初に大江健三郎に踏み込もうとした時に、そのうちの一人の方が言ってくれた忘れられない言葉がある。

「古典だって何百年、何千年と経て今読みますから、作家や作品はタイミングで出逢うもの」

ここから始まり僕は大江文学に傾倒していく事になる。僕は今回読んだ本を次に進むべき方向として紹介して貰い、「自分なりに対峙」しようと思いますと伝えた。

どうしても大江健三郎の読書をするには、自分のなかで落ち着いた時間と空間が必要になる。それは、見落としたくない気持ちと沈み入りたい気持ちからだ。

久しぶりに開いた大江健三郎に僕は、困惑から解放へと誘われた。イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を引用しながら自己の話しをし、障害を持つ息子の話しへと転換させながら自己の解釈から解答までを導き出す小説だった。

大江健三郎の詩の解釈から、ふと混ざる日常。そこからの葛藤や転換、そして融合。どれも信じられない。

何を読んでいるんだ。
これを小説というのか。
それとも私小説というのか。
そして小説の中で自分の小説を考察するなんて。

常に頭の中に、今まで読んだ事のない体感からくる違和感を感じながらも、突然来る日常描写や子供の純粋な言葉や成長による物語との融合が心を抉ってくる。

そして、しっかりと時代背景も織り込んでくる。

一章一章読むたびに、
「あー面白いなぁチクショウ」と謎な呟きをする疲労感に充実感を感じてしまうのだ。

作中で大江健三郎は、詩から自分の小説のなかのモティーフを決めたりすると書いている。そしてまたこの作品の中では、頻繁に「定義」という言葉が出てくる。

障害を持つ息子に自分の死後に定義を残してあげたいという願いだ。

これは、当事者になる事でしか知り得ない、その葛藤や思考の行方を、読者である第三者への解放という方法で小説という娯楽を引き上げている、そしてこの物語こそ読者への定義を示している気がしてならなかった。

こういう事をやるのか。

「大切なことを正面にもって来る」

これは、簡単な話しじゃなかった。

僕にとってブレイクにひきつけられる根本の動機は、この詩人がキリスト教から秘教的なものにいたる伝統に立ち、独自の神話世界をうちたてながら、そこに展開をもたらす契機として
同時代の動きをみちびきいれた━━━
むしろみちびきいれずにはいられなかった━━━ということである。

 それは同時代の政治問題、国際関係を
モティーフとしながらも、ブレイクが固有の神話世界をくぐりぬけさせて、時をこえた表現としたということでもある。結局はひとつのもので
ある、これら二つの側面をつうじて、
僕はブレイクに牽引する力を見出だすのだ。

新しい人よ眼ざめよ より

ラストに向かい家族の成長、解放を知れたときに訪れる新しい覚悟がまた、家族や人の在り方を教えてくれている気がした。大江健三郎のやろうとしている事の一部しか近付けないが、その思想や思考に触れて僕という自己を解放出来ていければいいと思う。

僕はこの感想をここに書き、それを残すことで一つの約束をしている。

この本を読み終わったら、実際にお会いしたいとの約束だ。

「渡したい本がある」

と、僕のために言っていただいた言葉。それはまさしく僕にとっての物語が、一人の作家を介しての僕の人生の引用に繋がっていく物語にしか思えない。

SNSに於ける世界と現実の僕の中の世界二つの
側面をつうじて、今度は僕が大江健三郎に
牽引する力を見出だすのだ。

コニシ木ノ子著「秒で引用」より

なんのはなしですか

これは僕達にしか、描けない物語である。

お待たせいたしました。
可能であれば来月。
お会い出来たら嬉しく思います。





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