本能寺の変1582 目次大 1~317 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』
目次大 1~317
*左=目次中 右=目次小
*現在進行中
はじめに
信長、死す 1~7 1~7
信長と「敦盛」 8~10 8~10
信長の甲斐侵攻
1 信忠、出陣 11~13 11~13
光秀の苦悩 14~36 14~36
1 嫡男光慶 14~15 14~15
2 志向の相違 16~17 16~17
3 信長の猜疑心 18~19 18~19
4 粛清の怖れ 20~31 20~31
5 分かれ道 32~36 32~36
光秀と細川藤孝 37~56 37~56
1 永禄の変 37~41 37~41
2 上洛不発 42~53 42~53
3 「天下布武」 54~56 54~56
光秀と信長 57~84 57~84
1 邂逅 57~58 57~58
2 美濃立政寺 59~64 59~64
3 上洛 65~74 65~74
4 御父信長 75~84 75~84
信長の甲斐侵攻
2 信忠、諏訪進出 85~89 85~89
光秀の苦悩
6 守るべき者 90~91 90~91
光秀という男 92~123 92~123
1『日本史』 92~96 92~96
2「立入左京亮入道隆佐記」 97~100 97~100
3土岐氏 101~108 101~108
4教訓 109* 109*
5 1400年代 110~116 110~116
6 1500年代 117~118 117~118
7美濃の争乱 119~123 119~123
信長の甲斐侵攻
3 信長、出陣 124~130 124~130
光秀の年齢 131~151 131~151
1 三人の娘 131~134 131~134
2 柴田勝家と滝川一益 135~140 135~140
3 土岐の随分衆 141~143 141~143
4 最大の敵 144~148 144~148
5 結論 149~150 149~150
6 人間形成 151* 151*
光秀と斎藤道三 152~176 152~176
1 光秀の少年時代~思春期 152~158 152~158
2 光秀と長宗我部元親 159~160 159~160
3 光秀の青年時代 161~166 161~166
4 大うつけ 167~174 167~174
5 光秀の壮年時代 175~176 175~176
上総介信長 177~228 177~228
1 信秀の死 177~183 177~183
2 富田聖徳寺 184~194 184~194
3 三好長慶の下剋上 195~198 195~198
4 道三の援軍 199~204 199~204
5 清洲乗取り 205~208 205~208
6 道三の最期 209~219 209~219
7 弟、信勝の謀叛 220~224 220~224
8 兄、信広の謀叛 225~226 225~226
9 斯波義銀の裏切り 227~228 227~228
信長の甲斐侵攻 229~239 229~239
4 勝頼の首 229~235 229~235
5 潮目の変化 236~239 236~239
信長の台頭 240~317 240~317
1信勝謀殺 240~244 240~244
2尾張統一 245~253 245~253
3桶狭間 254~273 254~273
4光秀と長宗我部元親 274~276 274~276
5武田信玄と天沢和尚 277~282 277~282
6三好の絶頂 283~288 283~288
7斎藤義龍の死 289~292 289~292
8三好の衰退 293~308 293~308
9光秀と長宗我部元親 309~311 309~311
10三好長慶の死 312~317 312~317
信長の甲斐侵攻
光秀の雌伏時代
1 光秀と美濃
2 光秀と越前
越前一乗谷
御父、織田弾正忠殿
下剋上
殺戮の日々
裏切り者
⇒ 次回へつづく
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