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本能寺の変1582 目次小 信長の台頭 9光秀と長宗我部元親 309~311 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史・信長公記。『光秀記』

目次小 信長の台頭 9光秀と長宗我部元親 309~311 

*309~311は、バックナンバーです。

309 長宗我部元親が石谷光政の女と婚姻した。 「土佐物語」

310 元親には、理由があった。        「土佐物語」

   元親は、斎藤利三の義弟になった。        「土佐物語」
   斎藤利三は、後に、光秀の家臣となる。      「土佐物語」

311 元親は、やがて、土佐を平定する。

   そして、さらに、四国統一を目指す。
   同じ頃、信長は、本願寺攻めに苦戦していた。
   となれば、阿波の三好は、共通の敵。

   信長にとっても、好都合。
   元親は、信長に誼を通じる。
   その橋渡しをするのが、光秀である。
   これ以後、光秀が元親の取次となる。
   元親、四国制覇へ向かって、破竹の進撃。
   光秀、丹波を平定。
   光秀、絶好調の時期。
   全て順調、うまく行くかに思えた。
   しかし、ここで、状況が一変する。
   本願寺、降伏。
   信長、方針を変更。
   四国停戦令、発令。
   元親の不満 → 反発。
   光秀の説得 → 暗礁。
   そして、天正十年1582へ。

   近江の六角氏に、観音寺騒動が起きた。

目次 1~317

目次中 信長の台頭

  1信勝謀殺       240~244
  2尾張統一       
245~253
  3桶狭間        
254~273①
   〃          
254~273②
   〃          
254~273③
   〃          
254~273④
  4光秀と長宗我部元親  274~276
  5武田信玄と天沢和尚  277~282
  6三好の絶頂      283~288
  7斎藤義龍の死     289~292
  8三好の衰退      293~308①
   〃          293~308②
   〃          293~308③
  9光秀と長宗我部元親  309~311
 10三好長慶の死     312~317

目次小 信長の台頭

  1信勝謀殺       240~244
  2尾張統一       
245~253
  3桶狭間        
254~273①
   〃          
254~273②
   〃          
254~273③
   〃          
254~273④
  4光秀と長宗我部元親  
274~276
  5武田信玄と天沢和尚  
277~282
  6三好の絶頂      
283~288
  7斎藤義龍の死     
289~292
  8三好の衰退      
293~308①
   〃          
293~308②
   〃          
293~308③
  9光秀と長宗我部元親  309~311
 10三好長慶の死     312~317

信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。


          ⇒ 次回へつづく

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