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本能寺の変1582 目次小 光秀という男 6 1500年代 117~118 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

目次小 光秀という男 6 1500年代 117~118 

117 1500年代、初期。
   細川政元が殺害された(永正の錯乱)。
   足利義稙が将軍に就任した(再任)。
118 美濃は、戦国時代の真っ只中にあった。
   土岐政房は、後継者の問題を抱えていた。
   守護代は、斎藤利良。
   斎藤氏は、かつての勢いを失っていた。
   小守護代は、長井長弘。
   長井新左衛門がこれを補佐していた(道三の父)。  「春日文書」

目次  1~317
目次大 1~317

目次大 光秀という男 92~123 
目次中 光秀という男 92~123
目次小 光秀という男 92~123


信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。

          ⇒ 次回へつづく  

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