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本能寺の変1582 目次中 光秀の年齢 6人格形成 151* 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。日本史、信長公記、斎藤道三、足利義昭、武田信玄、上杉謙信。『光秀記』

目次中 光秀の年齢 6人格形成 151* 

151 時は、戦国時代。
   ところは、美濃。
   守護は、土岐氏。
   頼武~頼芸の代。
   美濃は、争乱の時代であった。
   戦いに、明け暮れる日々。
   光秀は、この様な時代に生まれた。
   そして、道三の下剋上が始まった。
   光秀の人格・人間性は、争乱と下剋上の中で形成された。


目次  1~317
目次大 1~317

目次大 光秀の年齢 131~151 
目次中 光秀の年齢 131~151
目次小 光秀の年齢 131~151


信長と、ともにあった十五年。
永禄十一年1568~天正十年1582。
光秀を知ることは、信長を知ることである。

          ⇒ 次回へつづく 

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