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本能寺の変1582 第140話 15信長の台頭 8三好の衰退 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第140話 15信長の台頭 8三好の衰退 

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永禄五年1562

畠山氏は、勢力を盛り返した。

 戦場が、河内国から、和泉国に転じた。

長慶は、東西に敵を抱えていた。

 三好氏と六角氏。
 この頃、関係が悪化していた。
 このため、長慶は軍勢を二手に分けなければならなかった。

 すなわち、 
 東に、近江、六角承禎。
 西に、和泉、畠山高政。
 この様な背景があった。

三好実休は、畠山氏へ向かった。

 和泉国が戦場である。

  三好物外軒入道実休(義賢)は、
  去年(永禄四年)より、
  和泉国久米田(大阪府岸和田市久米田寺付近)と云ふところに、
  陣取つて居たりけるが、
  年内は、たかひに合戦を止め越年し、

久米田合戦の事。

 同三月五日。
 運命の時、来たる。
 畠山勢が攻め寄せた。
 
  明くる春、永禄五年三月五日、
  畠山高政、安見美作守(宗房)・遊佐河内守・根来衆を引率して、
  二手に分かれて責め来たる、

 実休は、軍勢を二手に分けた。

  三好方にも、篠原右京進(長房)を大将として、根来衆に、指し向かふ、

  一手は、実休、惣(総)大将として、畠山衆と馳せ向かひけるに、  
  此の衆、いまだ、矢合わせなき時分、

 両軍、激突。
 初めは、三好方が優勢だった。

  根来・安見衆、篠原衆と責め戦ひ、
  篠原衆、打ち勝ちければ、

 しかし、徐々に、戦況が変化していく。

  紀州衆、湯の川宮内少輔(直光)・堀の内・玉木、
  二の手にて、責め来たるけるに、
  篠原、忽(たちま)ち、打ち負け、引き退きければ、

 そうしている間に、三好方の陣形に乱れが生じた。

  三好山城守(康長)・下野守(政生まさなり=宗渭そうい)は、
  実休の手より、引き分かれて、湯川と合戦し、
  前後、相競ひ、雌雄を決するを欲す、

三好康長は、要注意人物。

 康長は、阿波三好家(実休家)の家臣である。

光秀にとって、後に、因縁の人物なる。

 これについては、後述する。

三好実休の本陣がガラ空き状態になった。

 畠山高政は、それを見逃さなかった。

  其の間、大将実休の陣、人・衆、あらは(露わ)に成りければ、
  畠山高政、荒(新)手を乱して切りかかりければ、

 実休の本陣である。
 状況、一変。
 壊滅的事態に陥った。
 「危うい」 
 側近たちが、実休に脱出を進言した。

  実休の本陣の足軽、散々に、懸かり負け、已に難儀に及びければ、

  実休の旗本にありし士(さむらい)ども、
  大将を引き立て、はや、退き給へ、一まづ(先づ)は、落つべしと、
  いさ(諫)めたれども、

 
しかし、時、すでに、遅し。
 実休は、覚悟を決めた。

  実休、申されけるは、
  吾(わ)れ、運命、盡(尽)きぬると、思い切る間、
  のが(逃)れても叶うまじ、

  尋常に、打ち死にすべし、

 実休は、主君、細川持隆を殺害した。
 持隆は、阿波の守護、
 下剋上である。
 これは、十年前。
 天文二十二年1553、六月九日のこと。

  【参照】13上総介信長 2富田聖徳寺 97

  其の子細は、先年、細川讃岐守殿を、
  聟(聟)・舅の好(よしみ)を思ひ奉らず、打ちて、
  其の霊魂、吾等父子の夢に見得(え)、
  恨み給ふ事、度々なり、

  今に、月日こそ多き中に、讃州の生害の日、
  三月五日、此の軍(いくさ)、俄(にわか)に、味方、打ち負け、
  かように(斯様に=このように)、成り行く事、只事ならず、

  ひたすら、打ち死にして、名を挙ぐる外はなし、とて、
  一首の歌を詠じける、

   草か(枯)らす、霜また今朝の、日に消えて、
     報いの程は、ついにのが(逃)れじ、

三好軍、大敗。

実休が討死した。

 三好氏に、災難がつづく。
 十河一存に次いで、これで二人目である。

  かかりける中に、実休の先手は敗軍をし、の(退)きけれども、
  (実休は)一族・若党卅余人引率し、勝ちほこりたる敵の中え、
  わめいてかけ入り、一人も残らず討死しける、

  実休をば、根来衆に往来左京と云ふもの、突き落とし、
  首とりて、指し上げたり、
  惣じて、三好方士(さむらい)二百余人、首を打ちとられにけり、
                          (「足利季世記」)

これ以後、三好氏は転落への道を歩む。

 長慶にとっては、大きな痛手。
 右腕を捥ぎ取られたに等しい。
 斯くして、盛りの時は終わった。



 ⇒ 次へつづく 第141話 15信長の台頭 8三好の衰退 


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