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本能寺の変1582 第120話 15信長の台頭 2尾張統一 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第120話 15信長の台頭 2尾張統一 

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信長、上洛す。

 同、二月二日。
  突然のことであった。
  山科言継がこれを日記に書き残している。

   一、尾州より、織田上総介、上洛と云々、

信長は、五百の兵を率いていた。

 余程、目立ったのだろう。
 「異形者」、とある。
 怪しい風体・容姿。
 普通とは、明らかに異なる者どもだった。
  
     五百計(ばか)りと云々、
     異形者多しと云々、
                 (「言継卿記」永禄二年二月二日条)

将軍義輝に拝謁するためである。

 帰洛に対する祝意言上。
 そして、堺見物。
 抜け目がない。

  一、さる程に、上総介殿御上洛の儀、俄に仰せ出され、
    御伴衆八十人の御書立(随伴者リスト)にて御上京なされ、

    城都・奈良・堺御見物にて、公方光源院義照(輝)へ御礼仰せられ、
    御在京侯ひき。

    爰(ここ)を晴れなりと拵(こしら)へ(晴れ舞台と心得、装いに工夫
    をこらし)、
    大のし付に、車を懸けて(太刀を金銀で飾りたて、家累代の誇り
    を胸に)、
    御伴衆、皆のし付にて候なり。   

斎藤義龍が信長を暗殺しようとした。

 義龍は、討手を差し向けた。
 丹羽兵蔵なる者がそれに気づいた。

  清洲の那古野弥五郎が内に丹羽兵蔵とて、こざかしき者あり。
  都へ罷り上り侯ところ、
  人体と覚しき衆、首々五、六人、上下卅人計り上洛侯。

  志那の渡り(滋賀県草津市志那町)にて、彼の衆乗り侯舟に同船仕り侯。
  何くの者ぞと尋ねられ、

  三川の国の者にて侯。
  尾張の国を罷り侯とて、有随(うずい)なる様体にて侯間(ひっそりして
  いる様子だったので)、
  機遣ひ仕り侯て罷り越し侯(自分も気を使って通行しきた)と申し侯へ
  ば、

  上総(信長)、かいそう(甲斐性)も程有る間敷く侯(幸運も長くはつづか
  ないだろう)と申し侯。


 兵蔵は、彼らの後を付けた。
 そして、確認。

  如何にも人を忍ぶ体に相見え侯。
  詞のあやしき様体、不審に存知、心を付け、彼等が泊り々々あたりに
  宿を借り、
  こざかしきわらんべ(童)をちか(近)付け、

  京にして湯入りの衆にて侯か、誰にて侯ぞと尋ね侯へば、

  三川の国の者にて侯と申すに付いて、心をゆるし、
  わらんべ申す様に、

 ここで、密事が露見した。
 何とも、ガードが甘い。

  湯入りにてもなくて、美濃国より大事の御使を請取り、
  上総介殿の討手に上り侯と申し侯。

  人数は、小池吉内・平(へいの)美作・近松田面(たのも)・
  宮川八右衛門・野木次左衛門、是れ等なり。
                           (『信長公記』)


 ⇒ 次へつづく 第121話 15信長の台頭 2尾張統一 


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