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#障害者
しにたい気持ちが消えるまで―序章―ベランダ
ベランダ
この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
12月のそらは
くもりひとつなく
あたしを包んでいます
ビルディングだらけの近所は
もう二年も付き合っているというのに
無愛想なまま
でもそれでいいのです
きっとあたしの踏みしめたアスファルトは
あたしの足のサイズくらいは
薄ぼんやりと覚えてくれている
はずですから
この日のために生まれてきた
そう思えて
ならないのです
国道1
障がい者として生きる
こんにちは。
しんどくなってしまって、しばらく投稿ができませんでした。
体調が安定して穏やかに過ごせる日も増えましたが、疲れやストレスが蓄積していたようで、今週はダメダメな一週間を送っています。
仕事も連続で休んでしまったし、病院で大きなパニックも起こしました。
今日もほとんど布団の上で休んでいますが、先ほどコンビニまで歩いていき、カフェラテを購入しました。
カフェインを摂取したことで、ようや
本当の「うつ」から抜け出すと、全然違うよ。
「元気!!もう治ったんだ!!」って思う時。それは良くあって、その次の週、なんなら次の日とかには激鬱だ。だからいつしか私は「元気だ…ということはこれからまた鬱が来るんだ…」と思うようになった。
全部、今考えたら症状だ。でもその頃の私に、何も悪いことはなくて、むしろ「激鬱を耐え抜いてくれてありがとう」と褒めたい。
本当の「うつ」を抜け出すのは、このような「もう元気!治った!!」というような状態ではな
普通の人が障がいのある人と関わるのに専門性はいらないと思う理由。
僕はいま、蚕都Grantsさんという団体に注目しています!
きっかけはSNSでご連絡をいただいたことです。
経緯などは下の方に書きます。
障害者とアートの特集を見て思ったこと。蚕都Grantsさんから”Picky”Vol.2を
ご厚意で送っていただけました。
今回はその内容の感想を書きます。
このマガジンの中に
京都の綾部市にある、
「ギャラリーきりん舎」の
オーナー、塩見篤史さんと
蚕都Gr
障害者女性の透明化された「生きづらさ」
「障害者について論じられるときは、たいてい障害者男性に、女性について論じられるときは、たいてい健常者女性にスポットライトが当てられる」
これは、家族社会学および障害学の専門家である土屋葉氏が、編著「障害があり女性であること 生活史からみる生きづらさ」の序章として書いた文章の一部です。
黒人女性フェミニストのベル・フックスの言葉を一部改変した文章なのですが、発達障害者であり女性である私には、非常