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普通の人が障がいのある人と関わるのに専門性はいらないと思う理由。


僕はいま、蚕都Grantsさんという団体に注目しています!
きっかけはSNSでご連絡をいただいたことです。
経緯などは下の方に書きます。

障害者とアートの特集を見て思ったこと。

蚕都Grantsさんから”Picky”Vol.2を
ご厚意で送っていただけました。
今回はその内容の感想を書きます。
このマガジンの中に
京都の綾部市にある、
「ギャラリーきりん舎」の
オーナー、塩見篤史さんと
蚕都Grantsの久馬さんが対談された記事が
印象的でした。
その内容の言葉を一部引用させていただき
僕が思ったことを書きます。

「ギャラリーきりん舎」さんついて

ギャラリーきりん舎は、アール・ブリュット(生の芸術)を紹介します。
専門の美術教育とは係わりのない感性で作り出された独自の表現で、
アウトサイダー・アートとも呼ばれています。
世に知らされることが少なかったものですが、
近年、光が当てられつつあります。 多様な作品に触れて、
表現することの力を感じ取っていただける場でありたいと願っています。

ギャラリーきりん舎さんHPより引用

よければ、ホームページのリンクから覗いてみてください!

福祉支援施設ではない新たな考え方

「きりん舎は福祉支援施設でもなければ
支援を施すという意識は持っていません。」

きりん舎塩見さんのお話より一部引用

僕はこの記事を見て、かなり印象的な言葉がありました。
「はっ」と思いました。
僕が学生時代の時に思っていたことは
「発達障がい」のある人は就労継続支援なり
福祉支援施設にいくものだと
思い込んでいました。
親や先生たちや大人たちもそういう空気感でした。
ですがそれだけの考えに凝り固まってしまうと
才能や能力のある当事者たちが
影に隠れてしまうということにここ数年で
薄々気がついてきました。
「人それぞれに合った環境で活躍できればいいのに。」
というモヤモヤがずっとありました。
今回の記事を拝見し、改めて
認められる才能や能力があれば
十分に社会でも活躍できると感じました。

「障がい者」という括りや変な遠慮は
いらないと思う理由。

僕が最近痛感していることがあります。
それは「福祉」「世の中」の常識が違いすぎること。
そして「一般の人」はほぼ知る機会もなければ関心も低いことが多い。
そう感じたのは最近SNSやYouTubeチャットがキッカケで
仲良くさせていただいている人が
複数名ありがたいことに僕にはいます。
一言で言えば福祉ではない「外の世界」を覗いたということです。
僕の場合「自閉症」「知的障害」を公表した状態で
SNSやYouTubeをしています。
嬉しいことにそこを気にせず
関わっていただけている状況です!
人としての礼儀があれば、
意外とSNSでも「共通点」さえあれば
仲良く関わることができると僕個人的には思います。
しかし、怪しいアカウントもあるので
「スルースキル」を同時に持っていく必要もあると思います。
以上のことから、「発達障害」のある人と
関わる機会がある人にはぜひ、
「障がい者」という物差しではなく
「1人の人」として、温かい目で
関わっていただけると嬉しいです。

今回のひとこと

まずは、蚕都Grantsさん、
”Picky”Vol.2を送っていただき
改めてありがとうございます!
いつも新しい発見をいただいています!
僕がは個人的に思うことですが
人口減少が進んでいるなかで、
例えば企業でも"発達障害"のある人の
採用を避けたいという検索結果も
残念なことに一定数あります。
おそらく変化や知らないという理由で
当事者のこと怖いということも
あるのかもしれませんが、
「普通の人」「障がい者」という括りで
歪み合っている場合ではないと思います。
情報発信という意味では僕のnoteやYouTubeが
見た人の一助の一助になっていれば嬉しいです!
僕も世の中もそれぞれできる役割があると思っています。
できる役割やスキル、その人らしさを輝けると
少しは生きやすい社会になるのかも?
という思いでこのnoteを書きました。
僕は生き方の模索を続けてきます!


【〜あとがき〜】
蚕都Grantsさんとのご縁

当時蚕都Grantsさんはクラウドファンディングに
挑戦されていました。
その活動をSNSで宣伝してほしいということで
僕は自分のYouTubeで宣伝しました!
結果は無事目標金額を大きく超えて
達成されました!
少しでも力になることが
できていたならば嬉しいという思いです。
クラファンをされていた当時の宣伝動画です。
これからも蚕都Grantsさんのご活動を陰ながら
応援しています!!


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