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『カナルタ』メキシコ上映ツアー、決定。
今月エクアドルの首都キトで日本国外初の劇場公開が行われた『カナルタ』が、メキシコでも今月末〜5月末にかけて上映されることが決まった。今回は複数都市で、大学、映画館、カルチャーセンターなど様々な場で上映される。
上映ツアーで巡る都市は3つ:オアハカ、サン・クリストバル・デ・ラス・カサス、そしてメキシコシティ。大学の先輩から繋いでいただいた現地のご縁を辿りながら企画していった上映ツアーだが、メキシコ
「非時代」の態度、もしくは否定弁証法の必要性について(『芥正彦責任編集 地下演劇 第7号』掲載文)
*劇作家・芥正彦氏編集による雑誌『地下演劇』の50年ぶり第7号に寄稿した文章を、出版者である熊谷朋哉(SLOGAN)氏の特別の許可を得て以下に公開する*
芥正彦が主催する勉強会に筆者が参加したのは、たかだか2回に過ぎない。しかし、間違いなく言えるのは、芥がたたずむあの四谷の「稽古場」には、ある種の「知」の在り方を未来に託し、発展的に紡いでいくための種が時を越えて保存されているということだ。
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「このために『カナルタ』をエクアドルで上映したかった」と確信した、緊張感ある上映後ディスカッション
今日4月12日の『カナルタ 螺旋状の夢』上映後のディスカッションが色んな意味でとても刺激的だったので、書き留めておきたい。
『カナルタ』のキト劇場公開も今日で4日目。俺は期間中、毎晩上映後に劇場に行ってお客さんたちとディスカッションを行っている。毎回、全然違う人たちと出会い、交流することができていて、非常に刺激的だ。初回上映は観客の人数も多く、あまり多くの人と話せなかったが、様々な人に声を掛けら
『イレイザーヘッド』(1977年、デヴィッド・リンチ)
グロテスクで、腐敗臭がして、バッドトリップだった。だが、これ「も」なければ、映画は面白くない。何がどうなったからどうなるのかがわかってしまったら、失われるセンサーがある。映画の中でくらい、そんなロジックは脇に置かせてほしい。リンチはこの作品を通してとりあえずそう言っている。
この映画が世に存在しているからといって、我々を日々がんじがらめにする現実の理屈は一向に消えやしない。現実の機序にとってこの
『カナルタ 螺旋状の夢』を、4年越しで撮影国エクアドルに届ける旅
エクアドルの首都キトに来ている。4月9日から14日までの6日間、『カナルタ 螺旋状の夢』が劇場で公開されるためだ。
会場はOcho y Medio(8と2分の1という意味)という独立系映画館。
新市街の文化的なエリアにあり、キトでほぼ唯一と言っていい、継続的にアートハウスシネマを上映するシアターだ。
映画祭以外で、『カナルタ』が日本国外で劇場公開されるのは、これが初めて。色々と想いが詰まって
この空を見るために俺は生まれてきた
ペルーのアマゾン熱帯雨林にひっそりと存在する、御伽話の世界のような小さな町、サンタ・マリア・デ・ニエバ。道路がこの町で終わり、以降は水路での移動しかできなくなる。観光の「カ」の字もないこの地は、真の意味で地元の主に先住民系の住民たちの交易や行政のささやかな中心地であり、交錯地点だ。
俺は6年前、人類学のフィールドワークを行う目的でこの地を訪れ、ここに充満する湧き上がるようなエネルギーにすぐさま魅
作家・田口ランディさんによる映画『カナルタ 螺旋状の夢』評 「存在をかけて信じる力」
作家・田口ランディさんから、『カナルタ 螺旋状の夢』に向けたエッセイをご寄稿いただきました。この場を借りて発表させていただきます。田口ランディさん、心よりありがとうございます。
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『カナルタ 螺旋状の夢』
存在をかけて信じる力
田口ランディ
幻覚植物によるトリップという題材は、古今東西の多くの映画や文