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『カナルタ 螺旋状の夢』を、4年越しで撮影国エクアドルに届ける旅

エクアドルの首都キトに来ている。4月9日から14日までの6日間、『カナルタ 螺旋状の夢』が劇場で公開されるためだ。

会場はOcho y Medio(8と2分の1という意味)という独立系映画館。

新市街の文化的なエリアにあり、キトでほぼ唯一と言っていい、継続的にアートハウスシネマを上映するシアターだ。

映画祭以外で、『カナルタ』が日本国外で劇場公開されるのは、これが初めて。色々と想いが詰まっている上映なので書きたいことがたくさんあるけれど、まずは実現に至った経緯を振り返りたい。

2022年9月に、『カナルタ』の主人公であるセバスティアン・ツァマラインがこの世を去った。当時は『カナルタ』の上映や他の様々なことで忙しく、衰弱していく彼についての情報を事細かに家族から聞いていながらも、エクアドルに行くことができなかった。そうこうしているうちに、容態が急変し、危篤だという知らせが入ったので、強引にスケジュールを組んでエクアドル行きのチケットを取った。しかし、結局間に合わず、俺が向かう前に亡くなってしまった。

死に目に会えなかったことでとても辛く、喪失感を感じていたが、映画のもう一人の主人公であるパストーラを始め、残された家族たちにせめて会いに行き、この時間や気持ちを共有したいと思った。そして、9月に俺はエクアドルに到着した。

キトに着くや否や、すぐにバスターミナルに向かい、アマゾン行きのバスに飛び乗った。そして、パストーラたちと再会し、村にも向かい、皆と束の間の時間を過ごした。

このとき、改めて強く決心したことがある。『カナルタ』を日本に留めるのではなく、より世界全体に向けて発信していくということだ。アマゾン熱帯雨林でセバスティアンと交わした濃密な対話は、今後長い間世界の多くの人々に重要なインスピレーションを与える力を持っている。それは何よりも、日本で多くの人たちがこの作品を鑑賞し、衝撃を受けたという事実が証明している。日本で鑑賞してくれた人たちの感覚を俺自身も信じているからこそ、これが日本だけの現象で留まっていいわけがないと思っている。

日本の次に上映するべきなのは、どこか?それはやはり、エクアドルではないか。『カナルタ』の撮影国であり、シュアール族を始めとする先住民コミュニティと、隣り合いながら生きている張本人たち。彼らに、この作品を観てもらいたい。日常生活の中にも、メディア言説の中にも、ほとんど現れることがない彼らがどんな世界を生きているのか、感じてほしい。

それまで、エージェントがいるわけではない俺にとって、海外での配給はハードルが高いと思っていた。だが、何事もやってみなければわからないと思い、まだアマゾンの村の近くにいるときに、エクアドル人の映像作家の友人にエクアドル国内でどこか『カナルタ』を上映するのに良さそうな映画館はないか聞いてみた。すると、今回お世話になる劇場であるOcho y Medioのディレクターが友達だという!

フライトもあり、日本に帰国する前にキトに立ち寄ることになっていたので、そのときにOcho y Medioに映画を観に行くついでに、彼にそのディレクターを紹介してもらうことができた。『カナルタ』の上映の可能性について聞いてみると、作品もまだ観ていないのに「ぜひやろう」という返事をもらえた。

リップサービスの可能性も十分あるので、半信半疑のまま連絡先をもらい、後日連絡をしてみたが、どうやら本当に上映できるようだった。ただ、現実的に監督不在のままイベントもなく上映しても反響が弱くなってしまうということで、エクアドル渡航費や滞在費を出資してくれる財団などを探してみよう、というところで一度話は保留になった。

その後、1年以上プランを寝かせてしまっていたが、ブラジル長期滞在が決まり、その時期は日本からよりもエクアドルへの渡航がしやすくなるので、この機にもう一度映画館のディレクターに連絡を取ってみた。正直、もう忘れていたり、話自体が流れてしまっていてもしょうがないと思っていたが、彼女はまだ話を覚えていてくれ、上映のスケジューリングもできるという返事をくれた。

現地の知り合いを通じて、キトの財団から援助をもらうことも試すため、スペイン語で企画書を書いて送ったりもしたが、結局受理されず、渡航費や配給費は自分持ちとなることに。もちろん、劇場公開なのでチケット収入はあるが、売上については全くの未知数で、上手く行ってもプラマイゼロ、基本的には赤字になるという覚悟で上映する。

当たり前だが、劇場側もビジネスをやっているので、ボランティアで上映してくれるわけではないし、要求もシビアだ。日本の劇場のように何かと気を遣ってもらえることもなく、契約書のサインも交わす。最初の話と違う、ということもいくつかあった。全てスペイン語での交渉だったが、筋が通らないときはこちらの言い分を強めのトーンでガッツリ伝えなければならない場合もある。決して綺麗事の世界ではないが、飛び込んでみて、実際に上映までこぎ着けることができたのは、一つの収穫であることに間違いない。

エクアドルを撮影地とする映画は、世界的にも多くはない。また、シュアール族を題材としてここまで長編作品として肉薄した作品も、他に存在しない。それでも、ただ待っているだけでは、エクアドルで『カナルタ』を劇場公開する動きは起きなかった。エクアドルで上映することの社会的かつ文化的意義が大きいのは半ば自明であり、しかも映画祭などですでにキトで2度の上映(つまり試写会代わりになる)を行っているにも拘らず。完成から4年越しの、エクアドルでの劇場公開までの道のりは、本当にとても長かった。

プロダクションやエージェントによって大きく物事が動く映画界では、個人制作の作品がただ座して待っていても、反響を生むことは難しい。それでも、大きな後ろ盾がなくても恐れず飛び込んでいけば道は拓ける。今後も、勇気を持って自分から世界各地で上映のオファーを仕掛けてみようと思う。まずは、エクアドルの後に上映交渉が進んでいるメキシコ、ペルーでの企画を無事実現させることを目指す。その後は、しばらく拠点を置くことになるブラジルや、イギリス、フランス、アメリカ、さらにはアジアやアフリカなどの国々のシアターをリサーチし、掛け合うことにチャレンジしたい。

こうして『カナルタ』が世界中に広まっていくことで、次のステップとしてアマゾン熱帯雨林の森を守り、先住民の人たちが持つ知恵や世界の見方を発展的な形で伝える活動にも繋げていきたい。

もちろん、最優先事項は現在制作中の『La Vie Cinématique 映画的人生』を完成させること。やるべきことはとんでもなく山積みだが、一歩一歩、進んでいくしかない。まずはキトでの初日上映(執筆時点で当日夜)でどんな反響が生まれるか、楽しみだ。



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