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地球にわずかに残された、生き物たちが開いている場所

ペルーに入国してからすでに1ヶ月半、今滞在中のアマゾン熱帯雨林にあるワンピス族の村に来てからも、1ヶ月が経った。村にあるWi-Fiが通じるポイントに来て、超久しぶりに文章を更新している。スマホで打っているけど、スマホで長文を打つのが苦手なので短めに。

人類学のフィールドワークでこの村に5ヶ月くらい滞在したのが6年前。その後、博士論文を提出した直後の2019年11月ごろにも数日だけ滞在したので、それ以来約4年ぶりだ。

過ごしてみてつくづく思うのは、物事が身体に馴染むのには時間がかかるし、一度慣れた場所でも、何年も離れていたら再適応の時間も必要だということ。もうアマゾンで猛烈に蚊に襲われることはないだろうと思ったら、人生で初めて足を踏み入れた時と同じくらい、強烈な刺され方をした。今、ようやく身体がまた慣れてきて、蚊にも狙われにくくなっている。

ここでは、外の常識が撤廃される。豚や鶏、鴨、犬、インコ、猿など、村の中の動物たちは全て放し飼い。インコは村を自由に飛び回り、豚はあちこち餌を求めてノソノソ歩いている。逃げたらどうする?そんな心配はない。逃げないのではなく、逃げることが問題になるあり方が外の世界と違うのだ。

人の関わり方も、時間の流れも、ここでないと成立しない奇跡的な環境がある。それは何か?今ここで語り直すのは控えるけど、ただ一つ言えるのは、この世界がまだ存在していることは、世界全体にとって途轍もなく貴重だということ。ここにもう一度、違う形で来ることができてよかった。ワンピス族の友人たちと、今後も色んな形で協力し合っていきたいと、改めて思っているし、それを具体的に形にするために何が実質的に必要か、考えている。

SNSやネットニュースに支配された世界は、とんでもない猛毒の空気を日々吸っているようなものなのだと、はっきり認識することもできた。日本にいたときも、もちろんそれらがメンタル的に及ぼす悪影響などについて、わかってはいた。だけど、その場に身を置いている限り、「SNSもネットニュースも存在しない世界」を体感することはできず、本来の自分に備わっている思考力や感性がどんなものなのか、本当の意味で知覚することはできない。

また日本に戻れば、少しずつ今の感覚は薄らいていかざるを得ないのかもしれない。それでも、このタイミングで日頃自分が身を置いている世界がどんな世界なのかをもう一度感じることができたのはとてもよかった。

人間を含み、生き物たちがこの上なく開き切った状態で生きているこの世界が、いつまでもあってほしい。そのためにできることは何か、ライフワークとして今後も考えていきたい。


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